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「なんであんな事言うんだ」

呟くような声色は隠しきれない不満が滲んだ。

マスターの口数が急激に減った時点で、心ここにあらずなのは分かっていたが。

「…またその話か」

小さく息をついて眺めた向かいの眉間に皺が寄る。

「だって、俺は納得いかない」

あまり見ることのない表情を前に、口の中が乾く気がした。

何を言おうとしてたのかも忘れて、掴んだ白磁のマグカップ。ぬるくなり始めた珈琲を一口含む。

つい先日まで、赤と緑の二色が目立っていた街並みは今やもう跡形もなく。

SALEの文字が踊るPOPでどこもかしこも埋め尽くされている。

度々利用するこのカフェですら新年の福袋が積まれ、賑わう客も浮かれ気味だ。

ほんの少し前までは俺たちもあちら側に居た。

共に年を越すのも二度目になればそれなりに相手の性分も見えてくる。

マスターは許せないのだと思う。
俺は、俺なら、どうするだろう?

「俺なら絶対別れない」

自問に自答を出すより早く告げられた断言に瞬く。

卓上の片手を不意に握りこまれた辺りで入ったスイッチに、気付いていれば対処のしようもあったかもしれない。

けれどその時気を取られたのは隣のテーブルで。

席についた男女は見覚えのあるパンフレットを置いた。

駅地下のこの店から外へ出てすぐにある劇場で上映してる、話題のやつだ。

幼い頃からの夢を追う主人公は途中、ともに歩んだ恋人との別れを選ぶ。

賛否は概ね両論だろうが、少なからずマスターは否の側だった。

ついさっき、館内の照明が点いてからずっと。

「俺ならアカイトを泣かせたりしないし」

「っ、おい」

「絶対傷つけたりしない!」

「マス、」

「幸せにしたいっていつも思うよ」

だからやっぱ俺なら別れないと自己完結した奴は晴れやかな顔をして。

気が済んだみたいな態度を取るけど、徐々に上がっていった自分の声量を理解していないのだと思う。

さっきも言ったが新年なんだ。浮かれているのだ世間は。

良く言ったとか囃子立てた見知らぬ親父も声を少し落とすべきだし、他の客も拍手とかしなくていい。

隣の男は向かいで彼女が羨ましいとか言ってるのだから声高らかに安心させて周りの視線を集めるべきだ。

浴びる注目に遅れて気づいたマスターは少し照れたように苦笑して、お騒がせしましたと周囲に頭を下げた。

先の言葉と今の状況、どちらにも視界は揺らぐし顔が熱くて仕方なかった。

もう帰るとどうにか出した声は小さく、震えたけれど向かいの席には届いたらしい。

一刻も早くこの場から退避したいだけで、別に深い意味はない。

ふたりになりたいとか、そういうあれもないから汲み取って破顔するのは今すぐ止めろこの手を離せとか。

そんな虚勢のひとつだって声に出せずに腕を引かれて動揺の中店を出る。

「あの店、ちょっと行き辛くなったか?」

ごめんな、とマスターは暢気な心配をしたけどそんなことはどうでも良い。

「早く帰る…」

繋がれた手のひらを握り返すことしか出来ない距離感がもどかしくて仕方なかった。


end
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