片手の温もり
外に出ると、途端に冷たい風が差し込んできて、身体の芯から冷えてゆくのを感じた。吹き込む風がいつもより冷たく感じられる。
おそらく、いつもなら夕暮れ前に済ませる練習が、日が沈むまで長引いてしまったことが、原因だろう。
「ハル……寒くはないか」
隣を歩くハルのことが心配になり、そちらへ注意を向けるが……
やはり思ったとおり寒そうで、体をがたがたと小さく震わせている。
しかし、彼女の意志はそれとは反対に、首をふるふると横に振るのであった。
「……もっとこっちへ来い。互いの距離が近い方が、体も温まるだろう」
その言葉に応じて、さっきまで少し離れたところを歩いていたハルは、すぐ隣にやって来た。
「確かに、近くにいる方が暖かいです」
そう言って微笑む彼女の笑顔は、厳しい寒さを忘れてしまうほど暖かく感じる。
ふと、彼女の方に再び目をやると、あることに気づいた。
「いつもしている手袋は今日はしていないのか?」
あれは確か、桜色の可愛らしいデザインの手袋で、ハルにとても似合っていたのだが……
「実は、部屋に忘れてきてしまったんです」
いつも必ず身に着けていたのに……と嘆く彼女は、切なげに見える。
「ならば、俺の手袋を貸してやろう。少々大きいかもしれないが、寒さを凌ぐのには丁度よかろう」
「でも……そしたら真斗くんの手が冷たくなってしまいます」
「問題ない。この程度の寒さどうということもない。それよりお前の手の方が心配だ。
音楽を奏でる大事な手に万が一傷が付いてしまっては……」
ハルを納得させるには、どうすれば……
思考を巡らせると…ある方法が浮かんだ。
「では、手袋を片手ずつするというのはどうだろうか。もう片方の手はこのようにして……」
言い掛けたところで、片方の手袋を外しハルの手を取り、そっと握った。
「これならば、どちらの手も平等に温めることができるだろう」
そうして、外した手袋をハルに渡す。
これは手を繋ぐ……ということになるのだろうか。
思わず勢いでしてしまった行為に気づき、ハルの方を向くと、心なしか頬を赤く染め、
先程よりも、少しばかりか暖かそうに見える。
こちらの視線に気づいたハルと目が合い、お互いにどちらからとなく微笑み合う。
「なんだか少し恥ずかしいですけど、すごく暖かいです」
「そうだな、繋いだほうの手にお前の温もりを感じられ、手袋をするよりも暖かく感じられる」
人肌というものはこんなにも暖かいものなのか。
初めて知る温もりに、思わず感激してしまう。
どんな手袋よりも、懐炉よりも、この温もりが暖かいと思うのは、相手がハルだからなのだろうか……
ふとそんな思いが頭を過ぎり、はっと我に返る。
「今日の練習は、いつもより長くやり込めただけあって、ずいぶんと充実していたように思えるな」
「そうですね。曲の方は着実に完成に近づいていますし、次はレコーディングに向けての計画を立てないといけませんね」
「そうだな。やはり、ピアノを主体とした演奏形態を取るのがいいか……あとはバイオリンの音色を入れてみるのはどうだろう」
「バイオリン……素敵だと思います!それなら今度、翔くんに相談してみましょうか」
「そうだな。来栖には俺の方から話をしよう」
「ありがとうございます」
もうそろそろすると、女子寮が見えてくるころか……
こうしてハルと歩いていると、時間はあっという間に過ぎ去り、寮までの道のりがいつもより短く感じられる。
そう考えると、彼女と過ごす時間は、身近なものに思えて、とても儚いものなのかもしれんな。
季節は十二月……卒業オーディションまでの時間は着実に近づいてきている。
残り少ない限られた時間を有効に使っていかねばならない。
「ハル」
女子寮の前に来たところで、俺は彼女の名を呼んだ。
こちらを向く彼女の目を、その視線を真っ直ぐに受け止める。
「卒業オーディション……絶対に成功させよう」
その言葉に彼女は大きく頷き、こう続けた。
「二人で絶対に優勝しましょう」
この言葉があれば、俺はなんだってできるような気がする。
「あぁ、必ずやそうしてみせよう」
繋いだ手をもう一度、ぎゅっと握り返し、そう答えた。
2012.1.17