泣き疲れて眠ってしまった佐久間をベッドまで運んだ後、俺は迷うことなくかつての母校を目指した。
昔から整っていた設備がより充実したものになったのは、それだけ帝国学園のサッカー部が大きくなったからだろう。それに貢献したのは佐久間と――

総帥室まで行くのにそう時間はかからなかった。入ってきた俺を見るなり鬼道は

「遅かったな」

そう言った。まるで俺が来ることを確信していたような言い方や、俺がいても作業を止めないところを見ると、どう考えても馬鹿にしているとしか思えない。

「てめぇ……」

「佐久間にしてはかなり黙ってた方じゃないか。まぁこうやってお前が来たってことは色々聞いたってことだよな」

「ふざけんじゃねぇよ!自分がやったこと分かってんのか」

「佐久間に伝えておいてくれ。お前が来ないせいで生徒たちが心配しているとな」

軽くあしらうような口調で俺の相手をしながら鬼道は仕事を続ける。

「……いいから真面目に聞けよ」

そう言っても鬼道はキーボードを叩く手を止めない。その態度にキレた俺は、側にあったコーヒーカップを手に取り中身を鬼道目掛けてぶちまけた。運良くコーヒーが冷めていたようで、冷静な様子は変わらず、作業を止めた鬼道がゆっくりとサングラスを取る。赤い瞳が俺を見つめ、何を言い出すのかと思えばクスリと笑って

「お前知ってるか?これ、犯罪だぞ」

そう言った。されたことなど特に気にもしていないようなその口調に、ものすごく違和感と不気味さを感じる。机の上を軽く整理してパソコンを閉じた鬼道は再び俺の方に目を向けた。

「俺は優しいからこのことは昔からの友人として許してやろう」

なんとも上から目線な回答が返ってくる。俺は椅子に座ったままの、鬼道の胸ぐらを掴んだ。

「許してやるもなにもお前のやったことの方がよっぽど重罪なんだよ。責任取るつもりあるんだろうな」

「責任?どう取ればいいんだ?」

「佐久間に謝罪して帝国学園を去れ。そして二度と佐久間の前に現れんな!」

「それは断る」

俺の手を振り払うと鬼道は立ち上がり、このだだっ広い部屋をくるりと見渡しながら得意気な顔をした。

「ここで佐久間を抱いたんだよ」

酷い目眩がした。目の前にいる男が憎くて仕方がない。恋人である俺でさえ、佐久間を抱いたことがないというのにこいつは――

「確かこの辺だったかなぁ」

「黙れ!」

のんきそうに机の近くを指差す鬼道を、俺は思わず殴っていた。想像したくもない、そんな光景。鬼道は口から微量の血を流した。その血を手で拭って不満そうに呟く。

「たかが一度抱いたくらいでここまでされるとはな」

「"たかが"じゃねぇだろ!……お前は知らないかもしんねぇけど、佐久間は性恐怖症なんだ。俺以外の奴に触られるのすら嫌なあいつにお前は何をしたか分かってんのか?」

「性恐怖症?」

「やっぱり知らなかったのか」

佐久間のことを勝手に話してよかったのか。それは分からないが鬼道の"たかが"という言葉が許せなかった。強姦なんて普通の奴だって一生ものの傷を負うくらい辛い経験だ。佐久間は子供時代、ずっとそれに耐えてきた。だからそのせいでセックスそのものが嫌いになってしまった。
それを鬼道は何も知らずに、動機は不明であるが佐久間を無理矢理襲った。友人であった鬼道にそんなことをされた佐久間の心はどれだけ傷つけられたことだろう。ここ数日間の、あの怯えきった表情が忘れられない。
自分のことを棚に上げるようだが、帝国の頂点に君臨していた鬼道が、自分の参謀であった人間があんな状態だったにも関わらず、"知らなかった"だなんてどこまで鈍感な奴なんだと心のどこかではそう思っていた。そんなだから古くからの付き合いである佐久間を平気で襲えるのかもしれない。そんな考えが頭の中を回ると目の前の友人に感じるものは、軽蔑の気持ちしかなかった。
鬼道は性恐怖症という言葉に何か引っ掛かったようだが、やがて自分の中で合点が行ったのか気味が悪いくらい嬉しそうだった。

「なぁ不動、どうして佐久間は性恐怖症なんだ?」

鬼道の聞き方はまさに、修学旅行の夜にありがちな"お前の好きな奴って誰?"と大して変わらなかった。こんな風に聞く奴に答えたくはないがここまできたらもう関係ないとか言いたくないは通用しないだろう。仕方なく、できるだけ遠回しな表現を探した。

「ガキのころに親父からそういうことをされて」

「それから?それだけじゃないだろ」

「……中学のときも色んな奴に無理矢理襲われたらしい」

そこまで聞くなり鬼道はニヤリと微笑んだ。

「なるほど、佐久間はお前にそう言っていたのか。そうだよな、おかしいとは思ってたんだよ。いつまでたってもお前が俺のことを慕ってくるから」

「なんの話だよそれ」

「俺は佐久間が中学時代、不特定多数にレイプされていたの知ってたんだ」


ほくそ笑む鬼道を見て、また目眩がした。
さっきから気分が悪くて仕方ない。あの鬼道の目を見てから、ずっと。漫画じゃあるまいし、人間の目に体調を変化させる力などないはずだ。それなのに、俺は鬼道の言葉を聞いたり表情を見る度におかしくなりそうだった。

全部知っていたのに、こいつは何をしていたんだ。ただでさえ顔も見たくない相手に言い様もない憎しみが沸く。

「だったら何で止めなかったんだよ!お前なら佐久間を守れただろ。そうしたら、佐久間はあんな思いしなくて済んだはずだ!」

もう一発殴ろうとしたときだった。鬼道に振り上げた手を止められ、さっきは許したが次はないぞと警告される。
佐久間があのような状態な以上、今騒ぎを起こすわけにはいかない。それに何より大人になった俺たちは暴力振るうと刑罰を受けることになる。こんな奴でも安易に殴れない。

「良かったな、俺が優しくて」

掴まれた手首を振りほどこうとしたが、離すつもりがないらしく、がっちりと掴まれたままだった。

「離せよ!」

「お前、何で止めなかったかって聞いただろ」


鬼道は嬉しそうに口角を上げた。


「止めるも何も、主犯は俺だったんだよ」