気が付いたら真っ暗な世界にいた。何もない無機質な世界。無性に寂しくなって誰かを探そうと前に進んでいくと、真っ暗なのに大きくて綺麗な花が一輪咲いているのが見えた。花の中からはとろとろと蜜が溢れている。俺は何故か衝動的にその花の蜜を吸った。無我夢中という言葉がぴったりといった感じに蜜を堪能する俺。すると目の前に不動が現れた。蜜を舐めながら不動を見上げると、不動は、あの冷めた目で俺を見下ろしていた。その目を見た瞬間、急に胸が苦しくなって呼吸ができなくなる。違うんだ不動、誤解だ。訳も分からないままそんな言葉を並べるも、不動には伝わらない。そして不動は蜜にまみれた俺を見て

「汚ぇな、お前」

そう言った。
嫌だ、そんなこと言わないで。頼むから俺に失望しないでくれ。体ならきれいに洗うから。ちゃんと石鹸で洗うから。汚いなんて言わないで。良かった、今度はちゃんと声が出た。しかし不動は寂しそうに笑った。

「石鹸で落ちるなら苦労しないよな」

その言葉と同時に花は更に大きくなり、俺はそのまま花に食べられた。







「佐久間、佐久間!!」

不動の声を聞き、咄嗟に肌がぞわりと逆立つのが分かった。
体を起こして辺りを見回す。ああ、あれは夢だったのか。昨夜は今までの事を思い出していたせいかあまり寝付けなかった。だから浅い睡眠で変な夢を見たのだろう。
不動の顔をまじまじと見ると、いつもの優しい目をしていてほっとした。

「すげーうなされてたけど大丈夫か?悪い夢見たときは誰かに話した方がいいんだってよ」

余程怯えた顔でもしていたのだろう。不動は優しい口調でゆっくりと背中をさすってくれた。

「ごめんな、もう平気だ。ありがとう」

不動の優しさが胸に染みた。これだけでも心がポカポカと温まる。
だけど夢の話は、しなかった。

俺たちは朝のニュースを観ながら支度を始めた。政治家が税金をどう使うべきかなんかを熱く語っている。

「ペンギンの為に使えばいいんじゃないか」

「また佐久間のペンギン病が始まった」

不動は笑いながら部屋着を脱いで私服に着替えている。

「だってペンギンが増えたらみんな喜ぶだろ?」

「バーカ、嬉しいのお前だけだろ」

「そんなことない!俺が首相になったらペンギン税を導入する」

食器を片付けながら、俺は演説中の政治家の真似をした。

「うわー、俺絶対払わねぇわ」

「お前には昔ハゲだった税もつくから大変だぞ」

「なんだよそれ、そもそも俺ハゲじゃねぇから」

俺が冗談を言って、それに乗った不動が俺の頭を軽く小突く。そして二人でケラケラと笑う。よくある恋人同士のじゃれ合いだ。こうしている時が一番、俺と不動の仲を深めているような気がした。
今日は不動の方が早く家を出る予定だったので、行ってらっしゃい、と玄関で手を振って不動を見送った。

しんとした部屋に一人でいると自分はひとりぼっちのような気分になってこの寂しさを埋めたくなる。
ちらりと時計を見た。まだ家を出るには一時間ほど早い。
もう一度、玄関を一瞥して不動が戻ってこないことを確認すると、洗濯機に投げ込まれた衣服を漁り、昨日不動が着ていた服を拾い上げる。今日は俺が洗濯当番だから、以前不動に教えてもらった通りに洗剤や柔軟剤を入れ、スイッチを押した。不動の服を持ったまま。

洗濯機が音を立てて機動したのを知らせる。それの音を聴いて、俺は寝室へ戻った。

昨日着ていた服がちょっとの間見当たらないくらい、ファッションに無頓着な不動はいちいち気が付かないはずだ。

服に顔を埋めると不動の匂いがした。それは俺に安心と興奮をもたらしてくれる。そのまま下半身に手を伸ばし自身を刺激するとなんとも言えない快感が身体中に走った。

「…う、あっ……ふど……」

匂いを嗅いだり袖を咥えたりすることでますます興奮していくのが自分でも分かる。一瞬、悪いとは思ったけれど誘惑に負けその服で直接自身を扱いた。

「……好き……好きだよ、不動」

我も忘れて行為に没頭していくうちに、絶頂を迎え俺はそのまま射精した。
荒い息を吐きながら、快感の余韻に浸るのはそう楽しいものじゃない。頭が冷静になればなるほど、虚無感に襲われるから。

ベッドの上で丸くなると自分がとてつもなく寂しい人間のように思えた。
ずっと誰かに救われたいと思っていた。こんな俺を許して、受け入れてくれる人が欲しかった。
同性愛者でオカマみたいなのにオカマになれなかった男。ここまで気持ち悪い人間はいないだろう。
帝国にいた奴らは気持ち悪かった。でもそれよりもずっと、俺の方が気持ち悪い。

もし、中学生のときに、自分と向き合うのをやめなかったら、自分自身の性と上手く付き合う方法を探していたら、俺はここまで卑屈にならなかったかもしれない。自分という一番身近な存在から目をそらした俺の人生は笑えるくらい孤独だった。

だけどそんな俺を、不動は愛してくれた。不動がいれば、この孤独から抜け出せる、自分では何も変わろうとも思わずに、身勝手にそう思った。

だけどやはりセックスのない生活など俺には耐えられなかった。したくてしたくて堪らない。それをひたすら我慢するのは地獄だった。

一体何をもって俺たちは恋人だと言っているのだろう。性生活も存在しないで、何をもって――
いつまでこの生活が続くのか。そう考えると気が遠くなった。恋人同士なのに、一緒に住んでいるのに、別々に処理をするなんて絶対におかしい。
けれど不動はこれ以上の進展を求めていない。どこかで俺のことを醜い色情魔だとでも思っているのだろう。
例の大暴露をされてから、普段の生活をしているときは特に問題ないものの、不動は俺との性生活から目を背けている。
おそらく、あのとき何も言わなかった不動だから、俺が浮気しても責めたりしないだろう。実際、不動はセックスが出来ないことで、俺に引け目を感じている。飲んで帰ってくるといつも不動は俺に謝ってきた。抱いてあげられなくてごめんと。勿論その事を不動は覚えていない。けれどそれが、不動の本心だ。
だから誰かと寝ても怒られない。でも、怒られはしなくても、不動はまた俺を軽蔑するだろう。頭の中では受け入れようと思っても、俺を汚いと思ってしまうのは不動のせいじゃない。それはもう仕方のないことだし、俺は何よりも不動を傷付けてしまうことが嫌だった。

それでも、俺の体にも徐々に限界がきていた。元々中毒のようにセックスに狂った生活を長い間送っていたせいで、これだけ長い間なにもしていなければ身体があの刺激を嫌というほど求めてしまう。今までは運良くレジスタンスの活動や帝国学園の監督など、仕事に追われたお陰でセックスに明け暮れている場合ではなかったから、なんとか事なきを得た。
しかし今、大会も終わり仕事が一段落着いてしまった。この瞬間が一番怖い。溜まっていた欲求が一気に爆発する。こんな風に一人で処理するだけでは満足できない。セックスがしたかった。涙が握りしめていたシーツを濡らす。

俺たち、何で付き合っているんだろう

ふとそんなことを思った。好きだから?確かにそうだ。好き合っているからこそ一緒にいる。けれど俺は不動といて幸せなのか、そう思うと否定できない自分がいて不安になった。いやそれはない。好きな人と一緒にいてそんな――

じゃあ不動は俺と一緒にいて幸せなのか

幸せでは、ないだろう。もしかして、俺たちはお互いに傷付け合って、お互いの幸せの邪魔をしながら生きているのではないだろうか。セックスを拒絶している不動とセックスに依存している俺。
俺たちは一緒になってはいけなかったのかもしれない。

それでも不動が好きだ。今も狂おしいほど愛している。だから別れたくはない。けれど苦しかった。

俺が不動に望んでいることは、抱いてほしいということだけ。たったそれだけ。

見慣れた天井がぼやけて見えた。精神的なものなのか、肉体的なものなのかは分からないが、体が怠くて動かない。

その日、俺は初めて遅刻をした。