第四話
「明王、もう寝ちゃったの?」
「今日は色々あったから疲れちゃったみたい」
「そっか」
「だけど有人もそろそろ寝ないとな。歯は磨いた?」
「うん」
佐久間はいつもより早めに眠ってしまった明王に布団をかけてやる。今日は夜の仕事もないし早めに寝ようなんて考えていた。
「母さん」
「ん?」
「二人が帰って来る前のことだけど、影山総帥から電話きてた」
以前有人は影山のことを"先生"と呼んでいたが、注意されたのか、総帥に直されていた。
「それで?」
「えっとね、メモ取った」
有人はチラシを持ってきて、その裏側を佐久間に見せた。そこには"今月分のふりこみをかくにんした"と有人の文字が書かれている。
「ああ良かった。なかなか連絡来ないから何か間違えたのかと思っちゃった。ありがとう、有人」
「……母さん、その借金っていつまで返さなきゃいけないの?」
「えっ?」
不意に問いかけられたその質問に佐久間は答えられなかった。そんなの気が遠くなるほど先の話だ。大人である佐久間ですらそう思うのだから有人に話せるはずもない。
だが佐久間が黙ってしまうと有人は察したようにやっぱりいいやと質問を取り消した。その鋭さはとても8歳のものとは思えない。
「明王の親って何で借金なんかしたんだろうね」
「有人」
明王に聞こえる、と佐久間が言うと有人は声のボリュームを落とした。
「明王の親が借金しなければ母さんは苦しまなかったし明王も死にかけるようなことなかったのに」
借金の理由は佐久間も知らない。ただそれは危ない人間から借りた金であり、死んだ明王の両親に代わって影山が一度に返済したのは知っている。そして今はそれを明王の親になった佐久間が少しずつ影山に返していた。
この事を明王は知らない。知らないどころか
、そもそも自分は佐久間の本当の子どもだと思っている。
一方で有人はこのアパートで暮らす三人はまったく血の繋がりのない人間同士で、佐久間が明王のために借金を返していることも知っている。前者は引き取られた時から分かっていたし、後者は偶然耳にしてしまったのだ。
有人だって明王と同い年の子どもなのに、ここまで現実を突きつけられているのは気の毒だと思うが、いずれ嫌でも知ることになる明王もやはり辛いのではないかと思う。そうなれば今のうちに言った方が良いような気もするがそうではない気もする。要するに佐久間はどうしていいか分からないのだ。
「そうだな。でも何か理由があったのかもしれない。とにかく、明王は両親のことも記憶にないし、借金のことだって明王は直接関係がない。だから明王にはまだ秘密にしておいて欲しい」
もしかしたら、もっと早く言えば良かったと後悔する日が来るのかもしれないが、自分のことを本当の親だと思い込んでいる明王に、そんなことを言う勇気は佐久間にはなかった。
有人は静かに分かったと頷く。その聞き分けの良さにはよく助けられたものだ。
それでも――
「今日はとってもお利口さんだったから本でも読んであげようか?」
その"良い子"に甘えてはいけないことは佐久間も分かっている。明王があれだけ手のかかる子だから、有人には我慢させてしまうことが多いのだ。
「あ、でも有人は一人で読んじゃうかな?もう読み聞かせなんて――」
「読んで……欲しい」
そう言って有人は恥ずかしそうにお気に入りの絵本を持ってきた。普段はその年齢にしてはまだ難しいような本ばかり読んでいる有人が、このような絵本を読んでもらっても楽しいのか佐久間には疑問だった。それでも読んで欲しいというのなら、きっと好きなのだろうとも思った。
「じゃあこれにしようか」
絵本を持って布団に横たわる。明王が眠っているのを確認した有人はそっと佐久間に抱きついた。
明王の前では恥ずかしいのか、あまり寄って来ない有人も、二人のときはものすごく甘えてくる。それがとても可愛かった。
たまに意地悪して
「あれ?明王起きたの?」
なんて嘘をつくと慌てて離れるものだから、佐久間は有人のことも可愛くて仕方なかった。
「こうして、サッカー少年のまもる君は、仲間と一緒にまたサッカーをするのでした。めでたしめでたし……」
佐久間が読み終えたときには既に眠っていた。昔、母親に添い寝しながら絵本を読んでもらったことを思い出し、佐久間も忙しい中それを実践していた。明王はすぐに寝てしまうが有人は割りと最後まで起きている方だ。それでも今日は有人も疲れてしまったのだろう。熟睡している有人の頭を優しく撫でてやった。
隣で本を読んでもまったく起きない明王はもちろん有人も寝付きは良い。夜出掛ける佐久間にとってはそれが何よりもありがたかった。
子ども二人に挟まれながら、佐久間はお世辞にもきれいとはいえない天井を見つめていた。
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