青のカーネーション | ナノ


  第三話






「明王」

子どもが行くところなど大体決まっている。案の定、明王はいつもの公園で誰かが置き忘れたらしいボールを蹴っていた。
リフティングに挑戦していたが、佐久間の声がしたと同時にボールはあらぬ方向へ飛んでしまう。佐久間がそれを拾うと明王はそっぽを向いた。
ずっと泣いていたのか、目の回りは真っ赤だ。

「明王、ごめんな」

佐久間は明王の元へ行くと膝をついて同じ目線で話しかけた。

「明王は俺のことを守ろうとしてくれたのに、嫌いだなんて言って、本当にごめん。俺、明王のこと大好きだから」

そう言って優しく抱きしめると明王も大嫌いとか言ってごめんなさい、と泣きながら謝罪の言葉を口にした。

「俺、母さんの悪口言われて……我慢できなかった。母さんは"ばいしゅん"なんかしてねぇし、立派なサッカーの先生なのに、あいつが変なこと言うからっ、それで」

「分かった、分かったから」

「俺言い返したんだ。母さんは帝国学園でサッカー教えてるすごい人なんだって。だけど、すごい人なら借金なんかしないってあいつが言って……借金返すためにお前のかーちゃんは"ばいしゅん"してるから――」

「もういいって……辛かったな、嫌だったよな。俺のせいでごめん……」

明王を抱きしめながら佐久間も泣いていた。こんな小さな子どもに"売春"なんて言葉、言わせたくなかった。
そしてそんな子どもに強く信じられていることが、ここまで苦痛に感じたのは初めてだった。明王は、佐久間が帝国学園でコーチをしながら、不特定多数の相手と肉体関係を持っていることを知らない。

「ごめん、明王……」

溜まっていたものがすべて放出されるような感覚で涙が流れていく。子どもの前では泣くまいと思っていたがもう止まらなかった。
佐久間だって好きで売春なんかに手を出した訳ではない。どうしても借金を返さなくてはならなかった。返さなければ明王と一緒にはいられないからだ。

気持ち悪い男と寝るのは苦痛だった。いやらしい手つきで身体を触られるのも、汚いものを口で奉仕するのも拷問のように感じて、幾度となくやめたいと思った。だがコーチとして一人で生活できても、子ども二人養いながら多額の借金を返すとなれば当然、コーチとしての給料だけではやっていけない。だから更に働く必要があった。それも普通に働くだけでは稼げないような金額を。
二人には着るものや持ち物で惨めな思いをさせることはほとんどないようにした。それでも一般家庭の子どもよりは質素な生活を強いている。だから施設や他のちゃんとした里親の元で育った方が二人にとっては幸せなのではないかと佐久間はいつも思っていた。

お金がないということがここまで辛いことだと思わなかった。母親の間では佐久間のことであらゆる噂が飛び交っている。その中に売春しているだの借金まみれだの、とても子どもには聞かせられないような類いのものがあった。根も葉もない噂なら、佐久間だって毅然とした態度で立ち向かえた。変な噂を流さないでほしいと。だが悲しいことに事実なのだ。主婦たちの井戸端会議のネタになる佐久間の話は、彼女たちが冗談半分にしているその話は、大体が本当のことであった。
何で自分はこんなところで泣いているのだろう。同世代の友人たちが青春を謳歌しているこんなときに、自分は血の繋がっていない子どもの目の前でメソメソ泣いている。それがあまりにも虚しくて、どうしようもなかった。


「俺、偉くなるから!」

明王はいきなり泣き出した佐久間に戸惑っていたが、子供心に泣き止んでもらおうと咄嗟に近くに落ちていた綺麗な石を拾い、それを渡した。

「俺はサッカー選手になる。それで偉くなって金持ちになって、借金なんかなくすから!母さんが楽できるように頑張るから……だからもう泣くな!」

明瞭な声は佐久間にはっきりと届き、それは耳の中でとても心地よく響いた。
渡された石を手の平に乗せた。それは他のものより少し滑らかでちょっとばかり綺麗なくらいのどうってことないただの石ころ。それでも、今の佐久間にはかけがえのない宝物に見えた。そして、幼いながらもこんなに自分を思ってくれる明王が愛しくて、溢れる感情を抑えながらもう一度抱きしめた。これが家族の温かさなんだろう。佐久間は改めて実感した。

「ありがとう明王。……そろそろ帰ろっか」

明王の頭を撫でた後、佐久間は立ち上がった。今は小さいその背丈も、いつかは自分と並びもしかしたら抜いていくのかもしれない。
まだまだ未熟であるサッカーの技術も、いずれは自分なんかよりもはるかに上のレベルに達するかもしれない。
佐久間も一時はプロを目指した。だからもし、明王が本当に選手になったら、幸せなことこの上ない。
明王は佐久間の手を握って嬉しそうに歩いている。
いつまで明王と一緒に暮らせるかというのは佐久間自身にも分からないが、彼の存在が佐久間を苦しめながらも支えになっているのは事実だった。

「お夕飯は何にしようかな」

「トマトは入れんなよ」

「好き嫌いしたら大きくなれないぞー」

佐久間は明王の小さな手を優しく握り直した。








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