青のカーネーション | ナノ


  第ニ話





「源田先生……ありがとうございました」

「いえ、俺こそ頼りなくて。もっと早くあれを言えたらって後悔してます。テンパっちゃうと何言えばいいか分からなくなるんですよね」

源田は照れくさそうに頭をかいた。例の母親は先に帰ってしまい、三人で話し合い用に動かしていた机を元に戻していた。

「そんなことないですよ。源田先生のお陰で助かりましたから」

「そう言ってもらえると嬉しいです」

爽やかな笑顔を見せる源田を見て、彼が生徒だけでなく保護者からも(といっても母親に限るが)絶大な人気を誇る理由が分かったような気がした。面倒見がよくて気さくで俗に言うイケメン。まさにテレビドラマに出てくるような教師である。
子どもを指導するという点では自分と似たような仕事をしているのに、源田はとても輝いていてそれが佐久間を虚しくもさせた。

「佐久間さん」

「はい?」

「俺にできることがあったらいつでも言ってください」

22歳である自分と同い年なのに、佐久間は一人で仕事に没頭している自分とは違って仕事をしながら子どもを二人も育てている。そんな、たった一人ですべてを抱え、必死に生きる佐久間をなんとかしてあげたいと源田は切実に思った。

「あの、これ俺の連絡先です」

適当な紙に携帯の電話番号とメールアドレスを書いて佐久間に渡す。これなら佐久間が不必要と判断した場合そのまま捨ててくれると思った。佐久間は驚いた顔をしたが小さくありがとうございますと紙を受け取りながら礼を言った。

「いてっ!」

渡したと同時に脚を思いきり蹴られ、何事かと後ろを向くと明王が憎々しげに睨んでいた。

「明王、源田先生になんてことするんだ。源田先生がいたから俺たちは助かったんだからな。ほら、お礼言いなさい」

「嫌だ!」

明王はもう一度源田を睨むとそのまま教室を出ていった。佐久間はすみませんと頭を下げ、明王を追いかけた。




*

「明日でいいからちゃんと源田先生にお礼言うんだぞ」

「俺、源田のこと嫌い」

校内の階段を降りると二人の足音が鳴った。放課後の小学校というのは喧騒な日中とはうって変わって、ガラリと静まり返っている。
明王は不貞腐れた顔で手提げかばんを振り回していた。

「源田先生だろ。呼び捨てにするな」

源田はこんなにみんなから好かれている先生なのに、何故か明王だけは源田を毛嫌いしていた。佐久間にはその理由が分からない。

だが、他の保護者の前では自分のことを"私"と言うのに佐久間の前では"俺"だったり、佐久間と話すときにはしきりに頭をかく仕草をしたりする源田が、佐久間のことを特別意識していることを明王は何となく気付いていた。佐久間のことに関して非常に敏感であった明王はそんな源田を敵視していたのだ。



「有人ごめんな、遅くなって」

先ほどの本は読み終えてしまったのか、今持っている本は別のものになっていた。

「いいよ。もう終わったんだよね?なら帰ろう」

有人は文句も言わずにてきぱきと帰る支度を始める。佐久間はそれを見てありがとうと言いたくなった。

二人が小学生になってからは三人で帰ることもほとんどなくなった。だからこうして帰ることは嬉しくもあるのだが、明王のことを考えるとそうとも言えない。
佐久間は不機嫌そうな明王を見てため息をついた。親は子どものことなんてすべてお見通しだとかいうけれど、佐久間は明王のことが分からない。覚悟はしていたが親になるというのがこんなに大変だなんて思いもしなかった。疲れがどっと押し寄せてくる。

「どうしてあんなことしたんだ」

そう聞いてもやはり明王は何も言わない。佐久間なりに色々聞き方を変えてみたが、それでも明王は黙ったままで、疲れていたのもあり佐久間も徐々に苛立ちを覚えた。そして

「理由もなく乱暴するような子は嫌いだ!」

そう言った。
まずい、と思った時には手遅れで、明王は目にいっぱい涙を溜めながら怒鳴った。

「俺だって母さんなんか大嫌いだ!」

佐久間に手提げかばんを投げつけた後、そのまま走り去った。
鞄の中身が道路に散らばり、それを拾っている間に明王を見失ってしまった。どうやら、待ちなさい、という佐久間の声は効果がなかったようだ。

「母さん」

それまで黙っていた有人が佐久間を呼ぶ。

「どうした?」

「明王に絶対に言うなって言われたんだけど……」

有人は少し躊躇ったが、佐久間の目をしっかり見て話始めた。


有人が話してくれたのは喧嘩の原因だった。
簡単に言ってしまえば相手の子どもが佐久間の悪口を言ったのが事の発端。
昼休みにサッカーをやっていた。そしてその子は明王と一対一でボールの取り合いになった。だがあっさりと負けてしまった上、クラスのアイドル的な女の子にそれを見られてしまった。以前からその女の子に好意を寄せていたので腹いせに明王の親である佐久間の悪口を言ってやったということだった。
元々、若く美しい佐久間もまた他の母親からあまり好意的に見られていない。特に源田が気にかけていることをいち早く察知した例の母親は面白くないと佐久間を目の敵にしていた。
子どもというのは意外と母親の話す言葉を聞いている。電話しているとき、立ち話をしているとき、大人同士の会話だと思っていても、子ども
しっかり耳にしてしまったなんてことは少なくない。例にもよってその子どもも、母親の口から発せられる佐久間の陰口をよく聞いていたのだ。

(お前のかーちゃん"ばいしゅん"してるんだろ?それで知らないおっさんに楽して金もらってるらしいじゃん、気持ち悪ぃ)


「母さん、"ばいしゅん"って何?」

子どもというのは本当に残酷な生き物だ。佐久間は心底そう思った。目の前にいる有人にどう説明したらいいかなんて分かるはずもない。
佐久間はお前はまだ知らなくていい言葉だ、とお茶を濁した。有人は佐久間を困らせるようなことは極力しない子どもだ。だからそれ以上は追求してこない。
ただ、売春という意味を知らなくたって、知らない男から金をもらうのが異常であることくらいは有人も、心ない発言をした例の息子も、そして明王も漠然と理解していた。していたからこそ悪口のネタにし、明王はそれを怒り、有人は話しにくそうに佐久間に打ち明けた。
明王が殴った理由を言わなかったのは佐久間が傷つくと思ったからだ。それなのに佐久間は明王を問い詰めてしまった。

「有人、すまないがやっぱり先に帰っててくれ」

あれだけ待たせておいて悪いなと思いながらも佐久間は行かなければならないところがある。

「分かった。あいつのいる場所分かる?」

「当たり前だろ。お前たちの親なんだから」

有人は寂しさと嬉しさを足して2で割ったような顔をした。これは現実を知っている目だ。そう思うと複雑な気持ちになるのは避けられない。

「じゃあ先に帰ってるね」

有人の背中を見送りながら、佐久間は胸が苦しくなった。













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