青のカーネーション | ナノ


  第一話




「佐久間コーチ、お電話です」

部活動の時間帯にかかってくる電話が、誰からのものでどのような内容であるか、佐久間はもう嫌でも分かっていた。

「はい、今からそちらに向かいます」

電話を受ければ、予想通りの話が耳に飛び込んでくる。佐久間はため息をつきたいのを抑えて電話を切った。

「いつもすみません」

帰る支度をしながら顧問の教師に詫びる。

「いえいえ、気にしないでください。このメニューの通りやればいいんですね?」

「はい。よろしくお願いします」

子どもを優先にしろ、と影山から言われているものの、コーチとしての仕事を放り投げてしまうことはどうしても馴れない。

「佐久間コーチも大変ですね、そのお年で8歳のお子さん二人も育てるなんて……」

しかも親戚でもなんでもないんでしょう?顧問の言ったその言葉が引っ掛かった。だから

「血が繋がっていなくたって大切な子どもたちです」

笑顔でそう返した。



*
"明王君がクラスの子を殴った"

小学校からそんな連絡が入るのは今日に限ったことではない。

「有人」

校舎に入ろうとすると下駄箱で有人が本を読んでいた。佐久間の声を聞き嬉しそうに顔を上げる。先に帰るか、と佐久間は聞いたが、ここで待ちたいと返された。

「じゃあ行ってくるから」

二人がほぼ毎日使っている2年1組の教室の前まで来ると、逃げ出したい気持ちが佐久間を襲った。自分が小学生の頃は親が呼び出されるようなことはしなかったぞ、と心のなかで悪態をつく。教師や他の保護者に頭を下げるのが好きな人間などいない。早くも憂鬱になってしまった。だが佐久間が行かなければ、彼を迎えに来る人間は他にいないのだ。一度深呼吸をしてから、その重い扉を開いた。

「明王!」

一瞬佐久間の顔を見て、しまった、という顔になったがすぐ無愛想な顔してうつ向いた。
明王の前には殴られた子どもの母親であろう人物と、現在2年1組の担任である源田が座っていた。

「どうもすみませんでした」

始めに相手の母親に頭を下げる。謝罪の順番を覚えてしまっている自分に悲しくなった。

「明王、どうしてお友だちをぶったりしたんだ?」

「あんな奴友達じゃねぇし」

「明王」

ちらりと相手の母親を見ると露骨に嫌な顔をしていた。無理もない、自分の息子が殴られたら誰だって怒るだろう。

「理由を言いなさい」

佐久間がそう言っても明王は頑なに口を閉じていた。源田も"何か理由があるなら話そう"と明王を説得しようと試みる。ところが誰が何を言っても明王は黙ったままだった。

「まったく、どうしたらそんな乱暴な子に育つのかしら」

そこに相手の母親が口を挟んだ。

「まぁ親が親なら子も子ね。躾なんてまったくしてないんでしょ?あなたみたいのが親だなんて、ある意味子どもも不幸なんじゃないの?」

「うるせぇクソババア!!母さんは――」

「明王!」

そんな言葉を使うな、と佐久間はきつく注意をしたが明王はまったく反省していない。
再び母親に謝罪したが、当然余計に気を悪くした。

「なんて下品な子なの!?もういいわ、治療費や慰謝料をちゃんと払ってもらえれば許してあげるから」

「それは……」

佐久間がお金の話になった途端顔色が変わったのを、子供ながらに明王は気づいていた。幼いとはいえ、自分の家庭が裕福ではないことくらい何となく分かっている。ただし、"それ"がどこまで深刻なのかまでは知らない。

「どうしたの?まさか払えないとか言わないでしょうね」

払えないことを明らかに分かっていながら、見下したような笑みを佐久間に向ける。それを見て明王は親までも殴りたい気持ちになった。

「うちの子は大怪我したのよ?治療費払うのは当たり前でしょ」

「いや……少し腫れた程度で保健室に行かなくても問題ありませんでした」

母親の誇張表現には流石に黙っておくことはできず源田が割って入った。それを聞いて、佐久間はいけないと思いつつも、安心してしまった。

ところが母親は納得がいかないのか引き下がらない。

「た、確かに怪我は軽かったかもしれないですけど……うちの子は精神的苦痛を与えられたんです。元々繊細な子なのにこんな乱暴な子にいじめられて、学校に行くのが怖いと言っております。ですからそちらの慰謝料はきちんと払ってくださいね。なんなら弁護士をつけましょうか?」

自分よりも一回り上の女性に捲し立てられると何も言い返せなくなる。しかし慰謝料なんて払えるはずがない。
今の佐久間に余分な金などまったくなかった。

「本当にすみませんでした。深く反省していますのでどうかそれだけは――」

佐久間は頭を下げた。長くさらさらとした髪が顔を隠すように垂れる。その間から見える表情はあまりにも哀れで、まだ教師になって間もない源田は戸惑った。

「なぁ明王君、どうしてあんなことをしたかだけでも先生たちに教えてくれないか?」

悪いのは手を出した方というのは変わらない。それでも、何かそれ相応の理由があれば金を払えと怒鳴る母親を説得できるかもしれないと源田は考えた。
しかし、明王は依然として何も話さなかった。

「……明王、謝りなさい」

ここで許してもらえなければ大変なことになる。こっちは電話の相手をしたりお話し合いに出席している時間など一切ないし、金銭が絡めばそれこそ最悪だ。そう思うと胃にキリキリと痛みが走った。

「嫌だ」

佐久間が強めの口調で言っても明王は謝ることを強く拒んだ。
落ち着いた優等生タイプの有人とは対称的に明王は喧嘩っ早く教師や佐久間も手を焼くような子供だった。だから喧嘩で呼び出されるのは今までにも何度かある。しかし原因の多くはサッカーでインチキされたとか、ふざけ合っていたらエスカレートしてしまったとか、小学生男子なら体験しても珍しくないものであった上、相手の保護者がここまで厄介ではなかった(それに他の保護者は自分の子どももちゃんと話し合いに参加させていた)。だから呼び出されてもその場でお互いごめんなさいをして解決してきた。今回ほど拗れたのは初めてだ。おまけに明王は喧嘩の原因も言わない。佐久間は仕方なく一人で謝罪を続けた。

「申し訳なく思っています。後で明王にも言い聞かせますので」

「そんなにお金払いたくないのぉ?楽してお金もらってるくせに。まだ借金返せてないのかしら」

「ちょっと、明王君もいるんですよ!そのような話は――」

源田が止めたものの相手の母親はいやらしい笑みを浮かべた。"楽してお金をもらっている"そう言われたのが悔しくて情けなくて涙が出そうになる。
楽なものか、と喉元まで出かかった科白を飲み込んだ。
そんな佐久間を見て、母親の剣幕に怯えていた源田も覚悟を決めた。

「こうなったのは担任である私の監督不行き届きです。だから私が責任を取ります」

些細なことで大騒ぎして、やれ慰謝料だやれ訴訟だと騒ぐ悪質なモンスターペアレントに遭遇したとき、すぐに自分のせいだと認めてはいけないと源田は先輩から習っていた。そして保護者同士がトラブったときも飛び火しないよう黙って自分の保身に走るのが賢明だと、そう言われてきた。
特に、目の前で喚くこの母親は上の子どものときも問題を起こしていた要注意人物で、源田としては極力関わりたくない人物だった。
それでも、目の前で散々罵倒される佐久間を放っておくことはできなかった。教師として、このような感情を持つのは最低だと分かりつつ、源田は佐久間のことを憎からず思っていたのだ。

若く、整った顔立ちをしている源田に見つめられて悪い気はしない。母親は

「源田先生が責任取ることないわよぉ。そんなことになるなら訴えたりしないわ」

と甘えた声を出した。

「生徒を守るのが教師の役目です。今後は息子さんのことをより見るようにしますし、もし学校に来るのが不安なのであれば、いつでも私が相談に乗りますよ」

「……そこまで言うなら今回は源田先生に免じてなかったことにしてあげてもいいわよ。その代わりもう二度とうちの子と関わらないでちょうだい」

相談に乗ると言われたことが余程嬉しかったのか、母親はすっかり機嫌を良くした。佐久間は込み上げる怒りをなんとか抑え、ありがとうございますと頭を下げた。

それでもなお、明王は不機嫌そうに窓の外を見ていた。











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