「絶対誰にも言うなよ」

部室にあるベンチに腰をかけた俺はさっきからこれしか言えなかった。

「言うわけないだろ」

「だからその、俺が泣いてたとか、特に鬼道には言うな」

「はいはい」

「それと!俺は別にあいつらにびびってたわけじゃねぇからな!あんな奴らなんて俺が本気出せば――」

「そのくらい分かってるから!」

佐久間のきつい口調に俺は思わず黙ってしまった。

「俺は確かにデリカシーなかったかもしれないけど、俺だってただ毎日を過ごしてるんじゃないんだ。間違ったことをすれば反省するし学習もするんだよ。あの話を聞いておいて俺が何も分からないと思ったか?不動から見たら、俺はそんなに子どもなのか?」

言い返す言葉がない。佐久間の言う通りだ。
今の佐久間は"鬼道さんと不動はどういう関係?"と悪気なく聞いた佐久間ではなかった。
俺の知っている佐久間は、素直だけどぎゃんぎゃん煩いガキというイメージがやっぱり強かったが、佐久間はいつの間にか成長していた。他人の成長なんてものは中々発見できないものだが、俺は今ここで目の当たりにした。
いつだったかは忘れたが、母親に言われた言葉を不意に思い出した。

"明王、人は沢山失敗をしながら大きくなるのよ"

「……悪かった」

「あ、いいよそんな。俺の方こそムキになってごめん」

佐久間は冷えたタオルを渡した後、救急箱を持ってきた。

「部室っていいな。保健室行かなくてもちゃんと道具が揃ってるし」

怪我した俺を見て、保健室ではなく部室に行こうと提案したのは佐久間だった。手当てするなら保健室の方が良いけれど、その顔で行きたくないだろうからとのこと。
ハンカチはお気に入りのやつだからちゃんと返して、だなんて言いやがる佐久間に気を遣われたのは却って悔しかったが、それよりこんな面を誰かに見られる方が嫌だった。


「なぁ不動、やっぱり先生に言った方がいいんじゃないか?」

「言ってどうすんだよ。相手は上級生だ。下手に動いたらこっちが嵌められるかもしれねぇんだぞ」

こういうことには頭を使う連中だ。例えば俺が殴られたと報告してもどこの誰がやったという証拠はないし向こうだってチクられたときの対策はしているだろう。逆にこっちが悪者になる可能性もある。そうでもなったら今までやって来たことがすべて水の泡だ。

「何で」

「は?」

「何であの人たちはそこまでして勝ちたいんだ?他人を傷付けてまで手に入れる勝利に何の意味があるんだろう」

「そんなの自分が勝ち組になるために決まってんだろ。学生時代に成功できなかった奴が社会で成功できるわけがない。俺たちはそうやって教えられてきたんだよ。だから勝つために必死になる」

「……一生懸命頑張るのはいいことだ。けど、こんなのおかしい。間違ってる」

佐久間は納得いかないようだった。

「俺もこの学校に入ってから、ちゃんと跡取りらしくしなきゃ、責任ある役職についたなら無様な姿は晒せないって思ってきた。勿論それは今でも変わらない。でも、今俺はすごく楽しいんだ。名声が得られるからとかそんなんじゃなくて、ただ頑張った結果として金賞を取りたい」

その時、俺の中で何かが変わったような気がした。
こいつは、ガキだ。他の奴らみたいにあれこれ考えないガキ。
しかしそれ以上に純粋だった。ただひたすら練習して、みんなで結束して勝利を目指す。それは名誉的だからとか実績を作りたいとかそんなんじゃなくて、もっと単純な気持ちだ。
俺は和解するまで、単に佐久間が羨ましかったのかもしれない。素直で年相応に純粋に、楽しいことを楽しいと言えるあいつが。バカみたいに粋がって、あちこち捻くれていた俺には、そしてこの狂った学校の中でしか生きていない、外にいる奴を知らない俺にとっては、この種の人間は新鮮な存在だった。
佐久間も帝国に入って、周りとの価値観の違いに戸惑ったことだろう。だが佐久間は、そして自分の意志を曲げなかった。こいつは帝国に染まらない人間なのかもしれない。

「お前、帝国には向かねぇかもな」

「そうかな?」

「お前みたいにガキの気持ちで行事やる奴なんかいねぇからな。お前跡継ぎのくせに帝国式の教育を意識してないだろ」

「い、一応教育方針とか色々学んできてるけど……変じゃんここ」

佐久間は内部生と同じ将来を持つくせに中身は外部生、いや、普通の中学生レベルのときがこうやって見える。
帝国の悪口をこんなにもあっさり言うなんて恐ろしい奴。
だけど、この能天気さが俺に安心を与えたのは確かだった。

「まぁいいんじゃねぇの。お前みたいにそうやって帝国様の洗脳受けない奴が一人くらいいた方がいいだろ」

俺がそう言うと佐久間は驚いた顔をした。

「帝国の洗脳を受けていないのは、不動の方じゃないか?」

この問いは難しい。何故なら、洗脳された奴が"僕は洗脳されています!"なんて言わないからだ。

「俺は鬼道ほど染まってはいないが何せ初等部からいるしなぁ、結構コントロールされているんじゃね」

「それでも、不動は染まらないよ。不動は俺なんかよりもずっと強い奴だと思う。あと俺も、こんなこと言っちゃあれだけど飲まれるのは嫌だな」

これ、教師が聞いていたら反省文何枚ものなんだろう、そんな話をして笑った。
ぬるくなったタオル佐久間が受け取った。さっきからこいつはマネージャーみたいなことをしている。

「じゃあ、これからはできるだけ複数で行動しよう。不動がまたこんな目に遭うのは嫌だし俺だって明日は我が身だ」

「そうだよな。今回はお前に助けられたわけだけど」

「って言っても俺は叫んだだけだし」

「あのとき、自分が登場してどうこうするってのは思い付かなかった?」

もし俺が逆の立場だったら、冷静になることはできず逆上して上級生をぶっ飛ばしていたかもしれない。脚で。結果的に佐久間は正しい行動を取ったのだがいつも感情的になりやすい佐久間が"人を呼ぶ"なんて理性的な行動を取るとは思えなかった。

「いや、それだと俺たちが加害者になるか返り討ちに遭うだけだから。お兄ちゃんが教えてくれたんだ。いじめや喧嘩を見たときはその場の感情に任せないでまず人を呼べって。誰も来なくたってその声さえ聞けば大抵向こうは逃げるから」

佐久間の兄貴の話は初めて聞いた。随分賢い兄貴だ。そしてそれを守る佐久間も。

「本当なら颯爽と登場してやっつけるなんて方がかっこいいんだけどね。それに朝練に来ない不動を探しててようやく見つかった!って思ったらあんな状況だったからムカついて一度は怒鳴りこみに行こうかとも思ったよ」

そう言って佐久間はいたずらっ子みたいな笑みを見せた。

「はい、じゃあ膝出して」

佐久間は消毒液と絆創膏を持っている。

「それ貸せよ自分でやるから」

「何言ってるんだ。怪我って他の人に手当てしてもらった方が治り早いんだぞ」

「……それ誰が言ってた?」

「お兄ちゃん」

思わずプッと吹き出した。

「笑うなよ!本当だからな!だっていつもお兄ちゃんが手当てしてくれてたから治り早かったし」

「バーカ、ガキの怪我なんて元々すぐ治るもんなんだよ」

嘘だーなんて言いながらも俺の手当てをし始めた。結局佐久間がやってくれるらしいので折角だからお言葉に甘えるとしよう。
鬼道への態度を見る限り、余程兄貴に懐いていたはずだ。だが兄貴の教えを守り続ける佐久間に、よく分からないが少し苛ついた。いや、佐久間にではなく佐久間の兄貴に。

「お前、今でも兄貴のこと好きか?」

デリカシーがないのは俺のような気もしたが、どうしても聞いてみたかった。

「好きだよ」

佐久間の答えに偽りはない。その言葉には温かみすら感じた。突然出て行った兄貴。跡継ぎという責任も佐久間に押し付けて、何もかも投げ出して姿を消した兄貴。そんな奴にも関わらず、何故佐久間はこんなにも優しい気持ちでいられるのだろう。俺には不思議でしょうがなかった。

「だってあいつは――」

「じっとしてて」

顔に手が触れる。頬にできた痣に薬を塗る佐久間の指はどことなく安心感を与えてくれた。
顔が近い。野郎のアップなんて見たくないものだったが、目をそらせないくらいに俺は固まっていた。

あれ?こいつこんな綺麗な顔してたっけ?

長い睫毛も輝くような橙色の瞳もきゅっと結ばれたほんのりと赤い唇も、何もかもが美しく見えた。
肩よりも伸びた水色の髪が、窓から入ってくる風に吹かれて揺れる。

「痛くないから」

ガキをあやすような口振りに、不思議と腹が立たなかった。それどころか動揺した。先程の恐怖からくるものではない。何だ、これ。

俺の手当てをする佐久間の顔は今まで見たこともないようなもので、その大人びた表情に思わず見とれてしまう。
さらさらと佐久間の髪が靡くのを見ているのに、時が止まったような気がした。

「これで大丈夫かな」

その言葉と同時に予鈴が鳴った。
HRが始まる五分前にこれが鳴る。ということはつまり――

「ここから教室まで五分で行けってか?」

「走ればなんとか間に合うかも」

「よし、ちんたらしてたら置いてくからな!」

「不動こそ、遅れるなよ!」

片付けも適当に済ませ、俺たちは全力疾走で教室へ向かう。
ギリギリ間に合って笑いながら顔を見合わせたときの佐久間の顔は、やっぱり子どもの顔だった。

あれは多分気のせいだ。




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