鬼道にダルいと言いながらも朝練に行く俺は一体なんなんだ。
単なる人助けのつもりで引き受けた指揮者という役は想像をはるかに超える辛さだった。
俺は他のやつらみたいに名声を得たい、手柄を立てたいなんていう目的意識はない。
なのに何故俺は疲れた体を無理矢理引きずってこんな朝早くに来ているのだろう。
校舎までの長い道のりで考えることなど無駄にある。だが今日はそこまで、どうでもいいことに脳を使うことはなかった。正しくはできなかった。

「おい」

俺の目の前に立ちはだかった二人の男と一人の女。体格からしておそらく上級生だ。

「お前、一年D組の不動明王だよな」

見覚えのない顔だったが、こいつらが誰なのかは大体検討がついた。


*

体育館裏まで連れていかれた俺は極力相手を刺激しないように大人しくしていた。
勿論走って逃げることだってできたのだが、そんなことをしても何の解決にもならないことは分かっている。
折角早く来たのにこんな奴らに時間を使うのは腹立たしいが少しの我慢だ。耐えよう。

「お前さぁ、一年のくせに調子乗ってんじゃねぇよ!!」

俺を脅したいのか近くにあったゴミ箱を蹴飛ばす。しかしそんなものを見ても何も怖くない。それにその台詞は一軍入りしてから耳にタコができるほど聞いた。そんなことを改めてやられたところでどうしろというのだろう。

「学年関係なく金賞取れるよう頑張りたいとかなんなの?自分たちが三年に勝てるとでも思ってんの?」

柄の悪そうな女がそう言いながら自分の髪を弄っている。

「ちょっとさー、礼儀がなってないんじゃないのー?不動君」

ニヤニヤしながら俺の肩を叩く男の声はべたべたとへばりつくようなもので、気持ち悪さしか感じなかった。うぜぇんだよバカ面見せんな。
どうせ遅くても授業が始まる前には解放されるだろう。まだまだ時間はかかるが、そう判断して俺は今日の小テストのことを考えていた。
するとまったく無視していたのが気に食わなかったのか奴らはただでさえ醜い顔を歪めて怒りを露にした。
結局何か言おうが黙って言おうが、どっち道向こうは難癖つけてくるものだ。

「てめぇ、なめてんじゃねぇぞ!」

男の一人が俺の胸ぐらを掴んで思い切り頬を殴った。
別に避けることや反撃することは可能だったが、この状況じゃ却って火に油だし、こちらは何があっても手を出してはいけないことくらい分かっている。今は大事な時期だから。
だが、その衝撃で地面に倒れ込んだ俺を起き上がれないように押さえつけたのは予想外だった。起き上がるタイミングをわずかに誤った。流石に、体格のいい上級生に
力で勝つことはできない。

空を背景に男のデカイ顔が見えると急激に体が強張るのが分かった。向こうも俺が抵抗して起き上がるものだと思っていたようだし俺もそのつもりだった。しかし体は言うことを聞かないまま微かに震えている。

「あれ、どうしたの?もしかしてびびっちゃった?」

俺があまりに無抵抗なのをいいことに、馬鹿にしたような声が聞こえきたが、それがどこからするものなのかさえ分からなかった。俺は今目の前にいる、こんな奴に怯えているんじゃない。それは確実だったし殴られることも覚悟はしていた。なにより今更そのくらいでびびらない。
それでも俺の体は動かなかった。ただ訳の分からない恐怖に苛まれて血の気が引いていく。自分が何を恐れているのか分からないまま、息ができなくなって意識が遠退きそうになったときだった。

「誰か!誰か早くきてくれ!!」

突然どこかから声が聞こえた。

「やっべ、教師に見つかったらただじゃ済まないぞ!逃げろ」

俺を放置して奴らが去っていくとそれと入れ違うように人影が現れた。

「大丈夫か?」

ぼんやりする意識が徐々にはっきりしていくうちにさっき聞こえた声の主が、そして今目の前にいるのが誰なのか分かってきた。

「佐久間……」

殴られた痛みを圧倒的に勝る恐怖はまだ続いていた。心拍数が上がり動揺しているのが嫌というほど分かる。
怖かった。それは呼び出されたことでも殴られたことでもない。あの状況が怖かった。

(あきおくんは可愛いね)

ふと昔の記憶がよみがえった。顔も声も忘れようとしていたのに、俺はたった一日会っただけのおっさんをはっきり覚えていた。
あのときもし電話が鳴っていなかったら?電話の音におっさんが気を取られる事がなかったら?俺が蹴った足が急所に当たっていなかったら?

何で今になってこんなことを思い出すんだ。

あいつらが"そういう"目的でしたことではないことくらい理解していたし、声変わりもとっくに終え、普通の野郎である今の俺に、可愛いの要素など一つもないことだって分かっていた。
なら早く立ち上がって何事もなかったように振る舞えばいい。あいつらって殴ることくらいしかできないんだなと、笑いながら佐久間と馬鹿にし合えばいい。

しかし俺は笑えるくらい怯えていた。その姿はあまりにも情けない。
それほどまでにあの出来事がトラウマになっていたと思うと悔しかった。もう忘れた、と平気な顔をして言いたかった。

「不動」

佐久間はしゃがんで俺と同じ目線になり、名前を呼んだ。

「とりあえず、これ」

差し出されたのはペンギンの刺繍がされたハンカチだった。




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