美しい川が東西を真ッ二つに分かつ小さな村に、男が二人住んでいた。
一人は青い髪の男、一人は黒い髪の男。
青年というには盛りに至らぬ体つきで、少年と呼ぶにはすこし草臥れた目をしている。
二人は小さな畑をそれぞれ持っていて、朝起きて畑を耕し、夜は安い布団を板の床に敷いて、寝た。
青い髪の男が、初めて黒い髪の男を見かけたのはある春のこと。黒い髪の男は村を横切る川の桟橋に座って、水面の揺れるのをただ眺めていた。
女のような美しい顔をした男だと、青い髪の男は思った。けれど橋に腰をおろしたまま何をするでもないその姿は、間が抜けて見える。
青い髪の男は、人好きのする柔和な笑顔で、挨拶をした。黒い髪の男はビクリと背を震わせて、目も合わせずに頭を下げる。
青い髪の男はそれと知れぬようにやや眉をひそめた。不躾な男のようであると思った。

数日後、再びその桟橋を通りかかると、また黒い髪の男が腰をおろしているのを見かけた。黒い髪の男は今度、大きな蓮の葉を持って川の水を弄んでいた。葉の両端を掴んで川の流れに晒すと、透明な水がそれをぐいぐい引っ張り、蓮の葉は凧のように美しい弧を描く。黒い髪の男がそれを川から持ち上げると、深緑の蓮の葉に大きな水の玉が一ツ、美しく飾られていた。男は、桃色の唇をそこに当て、喉を鳴らしてうまそうに水を飲み干した。
青い髪の男はその姿が余りに美しく見えて、男の飲んだ水の玉がどうしてもほしくなった。やがて視線の照射に気が付いた黒髪の男は、その細面を上げた。二人の視線がかち合って、青い髪の男は黒真珠の瞳の美しさに息を飲んだ。
「その、蓮の葉を、俺にくれないか」
口を付いてそんな言葉が出た。
「うん、いいよ」
黒い髪の男は、あっさりと言った。あまり直ぐに快諾されてしまったので青い髪の男は拍子抜けした。しかし考えてみれば、ただ蓮の葉の一葉のことである。青い髪の男は心底嬉しそうに礼を言うと、もと来た道を帰って行ったが、何に使うでもない蓮の葉を持て余して、家に着くころには畑に投げてしまった。蓮の葉を無くした黒い髪の男は、また川の流れを間の抜けた面をして眺めていた。
盗み見るようにその光景を振り返って、青い髪の男は自身の心に萌した痺れるような快感に、気がついた。それは決して恋愛感情の類ではない。それは決して憧憬でもない。一ツ確かなものを得たのかもしれない、という予感だった。

その夏、村を深刻な干ばつが襲って、二人の畑にも野菜が育たなかった。腹に入れるものがなければ、死んでしまう。青い髪の男は、初めて死というものを予感して、泣いた。泣きながらあぜ道を歩いていると、いつの間にか例の桟橋に行き着いた。その日、黒髪の男は橋に座ってはいなかった。干上がって、ほとんど水のない川に足を浸して、何やら川の中を探っている。
「なにしてんだ?」
「小貝だよ。量は少ないけど、何日かは食える。」
黒髪の男が川面に浮かべた桶には、わずかばかりの小さな黒い貝が入っていた。
青い髪の男は縋った。
「腹が減って死にそうなんだ。そいつを俺にくれないか。」
すると黒髪の男は汗をぬぐいながら言った。
「ああ、いいよ。好きなだけ持っていくといい。」
青い髪の男は桶を手渡されて、泣きながら礼を言った。
青い髪の男は、黒い髪の男の表情を窺いながら、貝を懐に入れた。ひとつ、ふたつ。
桶の中からどれだけ貝をとりあげても、黒い髪の男は嫌な顔をしない。九つ、十。ついには貝の全てをとってしまっても、黒い髪の男は何も言わなかった。
青い髪の男は何度も重ねて礼を言い、逃げるように家に帰った。その晩、不味い貝で腹を満たした男は、自分の服の、心臓の辺りをぎゅうと掴んだ。
証明された。自分は、やはり揺るがないものを得たのだ。青い髪の男はそう思った。あの男は俺のためにどこまでも己を貶めて見せる、そういう類の人間なのだ、と。自分に使役されるべく運命づけられた、愚鈍な人間なのだ、と。

それからも不作は続いた。雨が降らず、身を焦がすような陽が村を灼いた。
元々肉の薄い二人の男は、胸に肋骨を浮かせてはいたものの、どうにか生き延びていた。みちはの草を食い、ぐるぐると体液が燃えるのを感じて、ある時青い髪の男は決意した。
その晩男は地主の屋敷に忍び込んだ。どこも変わらずに食料は乏しいらしく、蔵には僅かな米しか無かったが、それでも男にとっては万宝に等しい。持てる限りを麻袋に詰めて、音も立てずに蔵を後にした。
いくら音も立てずに事を済ませたにしても、翌日にはすべてが明らかだった。明主と名高いその地主も、その日ばかりは怒り狂った。
昼前には、盗人の捜索が万策以っておこなわれはじめた。
男は震えた。震えながら桟橋へ向かう。
黒髪の男は、棒のような脚を川に垂らして、桟橋に座っていた。
「地主の家に盗人が入ったらしい。」
「そうらしいね。」
「あの米をとったのは実は俺なんだ。」
男は今度も涙を流しながらそう言った。水分などとうに失われたと思われた体からも、涙は出るものかと男は思った。
「このままでは俺は殺されてしまう。
頼む。代わりにお前が名乗り出てくれないか。お前は見た目がいいから、きっと殺されはしないだろう。媚びて謝りさえすれば殴られもしないかもしれない」
それが普通ならば箸にもかからない理に反した頼みだということは分かっていたのだが、青い髪の男には根拠のない自信があった。こいつは、この要求を飲む。
「わかった、俺が名乗り出よう。」
青い髪の男の期待はあっさりと叶えられた。黒い髪の男は、気だるそうに立ち上がると、よたよたと歩き出した。
青い髪の男は、たまらない高揚に震えていた。すべて達せられた、と青い髪の男は思った。その幸福と快感を嘗め尽くしていた男は、黒い髪の男が地主の前でひざまずくのを、夢の中に漂うような心地で眺めていた。
ふと気がついた時には、遅かった。
黒い髪の男は、村人達に手酷く殴られて地面に伏していた。

黒い髪の男の身体は、荒れた地面にぐったりと横たえられていた。投げ出された手足は、木の枝のように頼りなく細い。
青黒く鬱血した瞼が重たげに開かれ、美しい瞳に青い髪の男が映る。
青い男は取りすがるように細い身体を抱き締めた。

「おい、死なないでくれ。俺がわかるか?
本当にすまなかった。俺はお前が好きなんだ。俺と一緒に生きよう。俺のために生きてくれ。
俺を愛してくれ。」

黒い髪の男はされるがままに抱かれていた。血の気の引いた唇に薄い笑みが浮かぶ。その表情には、ぞっとするほど思わぬ恐ろしさがあり、青い髪の男は水を浴びせられたように、身体を強張らせた。
時折苦しそうに血の泡で咳き込みながら、それに構うこともない様子で男は言葉を吐き連ねた。

「俺、色んなことを諦めているんだ。
正しい世間も、自分も、諦めているんだ。
だから、もしも俺か誰かが、悪役を引き受けなきゃいけないことになったら、俺がそっちであればいいと思う。
清く生きようという気持ちがある人間に、清く生きる権利はある。

俺とあんたのあいだには天秤があるだけなんだ。
愛なんてのは、お門違いだぜ。」

そういうと男は夥しい量の血を吐いて動かなくなった。




美しい川が東西を真ッ二つに分かつ小さな村に、青い髪の男が住んでいた。
彼は、自分が何も持たないことを、その日ようやく気づいたのだ。




20150909

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -