まだ自分が、ピンク色のスカートしか履きたくないと言って母を困らせたころ。また、水色のプリント・ティーシャツばかりを好んで着ていたころ。姉とは四六時中喧嘩ばかりしていた、と由紀は思い出す。
姉には全ての甘い砂糖菓子と、きらきらと鮮やかな玩具と、可愛らしい洋服とが与えられているような気が、していた。
その後、数回の夏がやってきて、17歳になった由紀は、自分の欲しいものを得るのは恐ろしい事だと考えていた。








「なに、きいてんの」


由紀が話しかけている様子に気づいた秀が、イヤホンをはずした。
パイプ椅子に体を預けるように腰掛ける秀のイヤホンから、微かにドラムのビートが漏れている。


「これ?吉川さん、聴く?」


秀は由紀の視線を追って、音楽プレイヤーをひょいと持ち上げた。
由紀にとってそれは、反射的に口からでた、世間話のような質問だったから、秀のイヤホンを受け取ったのは彼女の本意ではなかった。しかし、2人で過ごす手持ち無沙汰な時間を埋めるには都合のいい活動である。そうするよう課された作業のように、由紀はイヤホンを耳にはめる。
由紀は、学校というシビアな社会の中で、友人達と足並みを揃えるために、また、電車の中で持て余した時間を埋めるために、音楽を聴く。しかし、彼女にとって、音楽は決してそれ以上のものにはなり得ないようであった。
由紀は、音楽を水のように必要とする日々を過ごしたことがない。由紀にとって音楽は、一定のリズムと、しばしば奇を衒ったような強弱とをもって並べられた音以外のものではなかったから。
ゆえに、部屋の壁を数多のCDとレコードが埋めている井浦秀のその行動の動機が、理解できない。

小さな携帯端末から、身体中に轟音が流れ込み、由紀は少し眉をしかめた。
それは由紀の聴いた事のない類の音楽であった。はじめ、それが音楽なのかさえわからなかったほどである。不明瞭な、音だと思った。
ほとんどノイズのような、暴力的なエレキギターの和音と、相反して美しくメロウな女性ボーカルの旋律。幾重にも、執拗に繰り返されるフレーズが産む、意味のない夢を見ているような浮遊感。骨を削るような、穏やかな洋楽であった。
なんて音楽なの、と思わず口から零れた。
それを聞いて秀は音楽の種類を尋ねられたのだととったようで、はにかんで答えた。

「吉川さん、知ってるかな」

そう言って聞かされたバンドの名は、由紀の知らないものだった。
物騒な名前だよね、と秀は笑う。
礼を言ってプレイヤーを返すと、最近、日本でもCDがでたんだ、明日持ってくるよ、と秀は言った。それから秀は約束を思い出したとかで生徒会室をでて、由紀はしばらく1人で座っていた。
イヤホンをはずしても、憂鬱な脱力感が手足から抜けない。落ち着いたフレーズに燻られた、爆発しそうな不安が耳に残っている。
ずいぶんして透がやってきて、京子とレミと翔はそれぞれ用事があって来れないらしいこと、桜ももう帰ったことを伝えて、由紀の隣に座った。その時の由紀は、なぜか、いつものように笑っていることが出来なくなっており、発作のように、言葉を吐き出していた

「透はきっと誰かを本当に好きになった事ないんだよね。」
「…急になにいってんの。」
「そういうのって気持ち悪いなって思って。透は、私が何に見える?人間として見てくれているの?」
「前、本気で好きになりたいって言ったの聞いただろ…。」
「透、殴ってよ。」
分かり合えないでしょう?腹が立つでしょう?それを許して、わたし自分を好きになりたいの。
沈黙のあと、石川は震える声で答えた。
「ごめんな、吉川。」
こんなのは、違う!その時の彼女の絶望を誰が知るだろうか。



この世が許す側と許される側に二分されるなら、自分は許されて生きていかねばならぬ側なのだと、思っている。
好ましいものを手に入れる事への、積極をまだ拒まなかったころ。愛されて、許されて生きていくことに、疑問を抱かなかったころ。なんて愛らしく、愚かな幼少時代!由紀はいま人に何かを与えられ、自分の無力に甘んじる惨めさが恐ろしい。そして、許す側の優位を、奪いたいと思う自分すら、醜いと思っている。


なぜあの曲はこれほど、私の精神に寄り添うのだろう、と由紀は思った。
ルサンチマンの凝縮でしかない、音。叫び。それゆえにこの音楽は全ての人間のものであり得るのだ。


あの曲を出産した彼らの人生がどのようなものであったかも、27歳で死んだかどうかも、由紀には一切関係なかった。
由紀にとっての救いは、彼らもきっと許される側の人間であった、ということなのだ。



( with love for 「loveless」by my bloody valentine )

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