「研磨?!家出た?!まだだよね?!あの、わ、私実は寝坊しちゃって…!着くの、ちょっとかかりそうなの!って言ってもなんとか待ち合わせの時間ちょい過ぎくらいには着けるよう頑張るから!あっもし、もし万が一先に着きそうだったらマックかどっか入ってて!じゃあまたあとでね!ほんとごめん!!」

 ぶつっ。かかってきた時とまったく同じ唐突さで、通話は切れた。ツー、ツー、とも言わなくなった無音のスマホ。電話モードからはすでに切り替わっており、俺は耳に押し当てていたそれを離した。現れたホーム画面を見る。はあ、と吐いた息が淡い白さを保ったまま、霧散した。
(もう来てるんだけど…)
 一言も喋らせてもらえなかったから、言えなかった。代わりに、首元に巻いたマフラーへ口元を押し込む。必要のなくなった言葉のかけらは、毛糸の塊にくるまって消えた。さむい。
(かえりたい…)
 咄嗟に思い浮かんだ感情。少しだけ、げんなりした。だって、どう考えてもおかしい。こんな寒い日に外出なんて絶対、頭がやられてると思う。ふと、周りを見渡せば、自分と似たような人々の姿が少なからずあって。小雪さえちらつきそうな空の下、駅前の広場は待ち合わせをするにはうってつけの場所だ。誰もが自身の待ち人を、今か今かと望んでいるのだろう。
 俺はまた、げんなりする。自分もそんなふうに見られてるんだろうなあ、と考えながら。


 研磨が、好き。
 そう言われた時のことは、今でもよく覚えている。それからすぐ後、「だから、私と付き合ってください」と言われたのも。これまでの人生で、一番驚いたといっても過言ではない。ドッキリかと疑ったくらいだ。なぜなら俺は、彼女はずっとクロのことを好きなんだとばかり思っていたから。

「お、俺…?」
「そう。研磨」

 ほとんど絶句に近い反応で固まったままの俺に、彼女はまるで実にいかめしい宣誓でもするかのように言った。「研磨が、いいの」と。
 瞬間、俺の頭からはついぞあったはずの、最も仲のいい幼馴染は完全にいなくなった。残っていたのは、目の前で唇を噛む少女だけ。持っていたPSPをラグの上に落とす。かすかな落下音に、彼女の薄っぺらい肩がびく、っと震えたのがわかって。ああ、本当なんだ、と信じることができた。そして湧き上がってきたのは、なんとも言い難い感情。それはたとえば、彼女の寝顔を見た際に抱く感情と酷似していた。気付けばそっと、触れたくなる感じ。
 だから、考えるよりも先に勝手に口が開いたのも、当然だったのかもしれない。俺は答えていた。脳が命令したのではなく、きっと本能で動いていた。一言、返す。

「…俺、も」

 告白されたことに対しての返事として、的確だったのかはわからない。今思えば、ちょっとずれていたのではないかとも考える。ただ、本心だった。俺も彼女と一緒だったのだ。ずっと、ずっとずっと。
 ちっちゃな頃から一緒にいて、バレーの試合がある度声をかけてきてくれるのは、いつだって彼女だけだった。道端で転んだ人を見かけたら、ごく自然に彼女のことを思い出した。クロと並んで歩いていて、先に「研磨!」と名前を呼ばれたら、なんだか心地が良かった。これが恋だとか、男女の恋愛だとか。そういうのは正直、興味なかった。ただ俺は、彼女と同じ気持ちをなんだということをとにかく言いたくて言いたくて、言った。
 そんな俺の思いを、彼女はとても上手に汲んでくれた。

「うん!」

 とびきりの笑顔がまぶしくて、思わず目を細める。「嬉しい」と微笑んだ彼女の顔が、それからというもの、離れない。夜眠る時、部活の休憩中、はたまた授業中なんかも。目を閉じればすぐそこまで滲んでくるのだから、わりと重症だ。
 けれども嫌じゃなかった。もっと言えば、面倒でも何でもなかったのだ。むしろ、


「研磨あああああごめん!ほんっとごめんね?!いやまさか目覚まし時計が壊れてるとは知らず…!超絶トラップだった…」

 突如として耳に飛び込んできた声に、思考が途切れた。下を向いていた顔を上げる。次いで視界に入ってきたのは彼女だった。息が、荒い。

「…なにもそんな走ってこなくても…」
「いやいやいや!遅れたんだから、これくらい普通だよ!」

 とか言いながらも、どこか誇らしげに言う彼女を見て俺は内心、笑いそうになった。頬だけでなく、鼻まで赤い。

(トナカイみたい)

 慌ててひっかけてきたというのが丸わかりなコートの襟が、片方、変に曲がっていたので直してやる。細い首筋に指が届きそうになって、途端、彼女が耳まで赤くなった。その様子に俺もまた、はた、と我に返って急いで手を引っ込める。なに、してるんだろう俺。

「あ、ご、ごめん」
「え?!なんで謝るの?!」
「え、と…なんとなく」
 すると彼女はころころ、声を上げて笑った。
「へんなの、研磨ってば」

 申し訳なさそうにしたり、盛大に照れたり。かと思えば、こちらがびっくりするほどの笑顔で、俺を楽しそうに見つめてくる。彼女は、不思議だ。見てると、吸いこまれそう、
 まあるい瞳がぱっと輝いて、俺に向けられる。

「ねえねえ研磨、」
「なに」
「いつから来てた?遅れちゃったお詫びに、何か奢る!何がいい?」

 あ、でももしかしてマック行ってた?じゃあー、ロッテリアにする?ううーんだけど、こないだもごはん、ハンバーガーだったっけ…。
 ぶつぶつ呟いている彼女は、やっぱり俺に喋る隙を与えてくれそうもない。
 でも、まあいいや。

「そんなに待ってないから、奢らなくていいよ」
「そうなの?遠慮しなくていいんだよ?!」
「ううん、いい」

 まさか会えただけで十分だから、とは言えるわけもない。それに、俺がかれこれどのくらい待っていたかなんて、どうでもいい話なのだ。
 こんな寒い日に出かけるなんて、どうかしてる。周囲の人間に、待ち合わせしてるやつだっていうふうに見られるのも、ほんとはあんまり好きじゃない。
 それでも、

「じゃあ、行こっか研磨!」

 当たり前のように手を伸ばしてくる彼女を思うことが、すでに俺の一部なので。

「うん」
 とだけ答えて、俺はあたたかな体温に寄り添った。









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