プロローグ 最果ての島にて

「ねえ、ゴールド。もうそろそろ教えてくれてもいいんじゃない?
ウバメの祠がどうかしたの?」

目的地にとうちゃーく、とウバメの森にひっそりとたたずむ祠にやって来たオレに、
ポケギア越しにクリスが不思議そうな声を出す。受話器の向こう側ではマリルリもいる。
そりゃそうだろう、寝ても覚めてもポケモンフロンティアという名前の廃人養成所に
通い詰めているはずのオレが、めずらしくクリスに電話すること自体珍しい。
ウバメの森に行ってくるってしか言ってないから、クリスからしたら意味不明だと思う。
オレの様子からこれから楽しいことが始まることだけは分かったらしいクリスは、
めずらしいポケモンの大量発生の情報でも入ったのかしら?とマリルリに話しかけていた。
もっともっと楽しいことだよ、とオレは笑う。さあて、そろそろかな。
温かな木漏れ日を見上げたオレがいきなり黙り込んだものだから、何かいるのってクリスが言う。
久しぶりの再会を喜ぶのは、オレもオーダイルも同じだ。
大きな瞳と小さな羽、妖精のような姿をしたウバメの森の主がオレ達の前に姿を現した。
ひょこひょこと2本の触角がこちらを確かめるように揺れている。
「ときわたり」という能力によって時間移動をすることができる森の神様は、
未来からポケモンのたまごを持ってくることに忙しくていつも祭られている祠は無人だ。
「ときわたり」も今ではディアルガには及ばないインフレによる悲しい定めだけど、
今回ばかりはそれはなしだ。オレにとっては待ちに待ったイベントの主役だ。
よう、久しぶりって笑ったオレに、こくこくと頷いたセレビィは飛び跳ねる。
え、誰誰?ってクリスがポケギア越しに聞くもんだから、機械越しにクリスの声がする、
もしかしてポケギアにクリスが閉じ込められてるんじゃないかって勘違いしたセレビィが
おろおろし始めたもんだから、にやにやが止まらない。何こいつ、可愛すぎるだろ。
オレはポケギアをセレビィに突き付けた。おそるおそるセレビィがポケギアを覗き込む。

「え、ちょ、その声、もしかしてセレビィなの?」

「おーあたり!セレビィ、これは電話って言うんだ。遠くの人とおしゃべりできるんだ」

すごい!すごい!すごーい!嬉しそうにオレたちのまわりをぐるぐる回る。
鳴き声は明るい。クリスはオレがセレビィといると知ってずるーい!と叫んだ。

「へーんだ、ひとりでホウオウに逢いにいっちまうクリスが悪いんだよ!」

「仕方ないじゃない、おばあさんが他の人は連れてっちゃダメだっていうんだもん!」

「だからって真に受けることないだろ、薄情者!ちゃっかりゲットしやがってえ」

「もー、ごめんっていったじゃない!いいかげん許してよ、ゴールド!」

「やだね、ぜってえ許さねえ!」

べーだって舌を出したオレにオーダイルがじと目だ。え?人のこと言えない?
それは言わない約束だぜ、相棒。たとえオレがちゃっかりラティ兄妹をゲットしてても、
それは言いっこなしだ。
ついでにルギア2世がお目当ての性格になるよう、光の源氏計画実行中なのもな!
セレビィはオレとクリスのやり取りを聞いて肩を震わせている。上機嫌だ。よかった。
時を超えて現れるセレビィがいる限り、ウバメの森は明るい未来を約束されている。
セレビィが通った道は新しい草木が芽生えて、花が咲いて、ちょっとした小道になった。
いやあ、よかったよかった。セレビィが配布されたのは2010年の映画の配信だけだもんなあ。
オレがセレビィを捕獲したわけじゃないんだけど、どうやら無事にウバメの森イベントは発生したようだ。
あー、怖かったあ。待ちに待ったウバメの森イベント!待ってたんだよ、ずっとずっと!

「なんでゴールドがセレビィが現れるのを知ってるの?」

「まだ太陽も登ってない時にさ、こつこつホテルの窓を叩いてる音がするんだよ。
 2階なのにノックする音がするんだぜ?怖すぎるだろ、普通に考えてさ。
 恐る恐るカーテンを引っ張ったら、セレビィの玉ねぎ頭がドアップで写ってぎゃーっ
 ってなっちまってさあ、もー死ぬかと思ったぜ」

心外だ、とでも言いたげにセレビィが頬を膨らませて、不満げに鳴いた。
玉ねぎっていう単語を口にした途端、顔を真っ赤にして怒り始めてしまった。
やっぱり気にしてんだ?でもさあ、色違いになったとしてもどのみち紫玉ねぎだから、
あんまり変わらない気がするんだけど、なんてからかうとなおさらセレビィはむくれる。
訂正しろとでも言いたげに腕を振り上げている幻のポケモンは、可愛いけど怖くない。
すっかり機嫌を損ねてしまったらしく、うわーん、と嘘なきをしながらオーダイルのところに逃げ込んだ。
うえーん、と抱きついて離れなくなってしまったセレビィにオーダイルはすっかり困り顔だ。
だってさー、可愛い子には意地悪したくなるだろ?セイベツ不詳だけど。
スイトだってそう思っただろ?ってふってみればしばしの沈黙。気まずそうに目が泳ぐ。
へっへー、と笑ってしまったオレはきっと悪くない。スイトだって人のこといえねえだろ。
がーんってなってしまったセレビィが本気で泣きそうな顔をしたので、
あわててオーダイルがフォローして事なきを得た。

「ごめんごめん、セレビィ。オイラが悪かったよ。機嫌直してくれよ。
 なんでも持って行っていいからさ」

両手を合わせてお願いすれば、そっぽ向いていたセレビィがしばしの沈黙ののち頷いた。
何が欲しい?ってアイテム袋を渡すと、これじゃない、あれじゃない、と木の実をひっくり返して、
セレビィが持って行ったのはちゃっかり育成が大変な貴重な木の実ばっかりだった。
さすがはセレビィ、希少価値を分かっていらっしゃる!
しまった、ちょっとからかいすぎた。ごっそりへっちまったじゃねーか、オレのバカ!
ああ、せっかく育てた戦闘中にお役立ちになる貴重な木の実あああ!
がっくりうなだれるオレを尻目に、どっから取り出したのか木の葉っぱで作った袋に
木の実を詰め込んで、すっかりお出かけスタイルになったセレビィは機嫌を直し、
オレの袖を引っ張って祠の方に連れていこうとする。

「どっか行くのか?セレビィ」

こくん、と頷く妖精。にやけるのは仕方ないと思う。

「え、え、どこいくの?」

いいなあ、ってうらやましそうなクリスに、ざまあみろってオレは笑った。

「お土産話はたっぷり聞かせてやるからさ。じゃあな、クリス」

返事を待たずにポケギアを切ったオレは、仕返し成功とばかりにひひと笑ってしまいこむ。
準備はいいかと振り返ったセレビィに、おう、と頷いたオレとオーダイルを乗せて、
セレビィはときわたりを発動した。










腐葉土の匂いがする。広葉樹の折り重なって出来上がったふかふかのじゅうたんには、
膝の部分まで伸びている色んな草花が所狭しと生い茂っているのが見えた。
数秒ぶりに感じる大地をしっかりと踏みしめてる感じはやっぱり安心する。
中途半端な浮遊感と虹色マーブルなトンネルを漂う奇妙な感覚はちょっと酔う。
ふらふらとしてしまうのはオーダイルも同じようで、ちょっと気分が悪そうだ。
モンスターボールに戻るか?って聞いてみたけど、即答で拒否される。
まあそんなことだろうとは思ったけどさ、無理スンナよ?こくりとオーダイルは頷いた。
あたりをきょろきょろとせわしなく見回すのは、きっとジョウトでは見たことない風景が
オレたちのまわりを取り囲んでいるからだろう。
カント―に上陸するのはこのイベントが終わった後って決めてたからな。
オーダイルもオレもカント―地方初上陸だ。かなり変則的な方法だけど。
セレビィがオレたちの前に降りてくる。セレビィもあたりをきょろきょろしてる。

「どうしたんだよ、セレビィ。ここがオイラ達を連れてきたかったところなんだろ?
 違うのか?」

ちょっと困った様子でセレビィは辺りを見渡した。そして途方に暮れたように立ち尽くす。
え、ちょ、マジでどうしたんだよ、セレビィ。さすがにオレ達は焦りだす。
嫌な予感しかしないんだけどどうしたらいいんだよ。おい。
まさかとは思うけど行きたいと思ってた場所と違うところに出ちまったのか?
それとも行きたい時代と違う時代の行きたい場所に出ちまったのか?
ぎくっとした様子で肩を震わせたセレビィは沈黙したままこっちを見る。
なんかものすごく泣きそうな顔されてもこっちが困るんですけどセレビィさん。
なんで「ときわたり」しといて、自分が今どこにいるのか分かんねえんだよ、おい。
え、ちょ、マジで?笑えねえんだけど、勘弁してくれよ、おいい!
思わず声を上げてしまったオレに、ごめんなさいとでも言いたげにセレビィが抱きついてきた。
オーダイルを見れば肩を竦められる。そうだよな、オレが指示しなきゃどうしようもないわな。

「わかった、わかった、わかったよ、セレビィ。オイラが何とかするから泣くなって」

あやせばセレビィは泣き止んだ。

「とりあえず、人を捜そうぜ、スイト。ここがどこだか、ついでにいつなのかも聞かねえと。
 セレビィはここら辺で待っててくれよ。オイラ達が来るまで絶対に動くなよ?
 もし見つかっちまったらエライことになっちまう」

マスターボールさえあれば捕獲できるのになあ、と思うけど今さらだ。
人のポケモンになるのは話が別だとばかりにセレビィはオレが捕獲体勢に入ると
問答無用でとんぼ返りからの逃走、状態異常からの逃走、ボールを弾いての逃走、
酷い時なんか顔を合わせただけでも逃走なんてやってくれるから困る。
わかった、と頷いたセレビィは木の陰にかくれることにしたらしく、姿が消えた。
オーダイルを連れてしばらく道なりに進んでいくと、開かれた場所に出た。

「ここは……発電所?いや違うなあ、蔦がぼうぼうに生えてら」

討ち捨てられた研究所みたいなところに出ちまった。どこだ、ここ。本気でわからん。
はあ、とため息をついたオレは、とりあえず謎の研究施設にヒントがないかと思って、
がたがたに傾いているドアノブを回してみるが開かない。当たり前か。錠が下りてる。
窓を見てみたけど、内側から真っ黒なビニールを張り巡らされた上に、
段ボールかなんかで目張りされてるせいで中の様子がさっぱり分からない。

「よろしくな、スイト」

わかった、と頷いたオーダイルが前に進み出る。防御とHPに全振りしてるこいつは耐久力こそ心強いんだけど、攻撃面は剣の舞なんかで補助してやらないと破壊力に欠けちまうのが目下の課題なんだ。でも、こういう力任せの仕事の時は、ちょっと残念な攻撃力の方が役に立つときもある不思議。力任せに振り下ろされた腕によって弾かれたドアが豪快にひしゃげた。そしてオーダイルは使い物にならないドアを蹴り飛ばす。さんきゅー、と笑ったオレは早速奥に入ることにした。

「……ごほ、ごほ、なんだこれ。すっげえ匂い!」

焦げくさい匂いが充満している。四角い光が辺りを照らす。すす汚れて真っ黒な部屋だ。
焼け焦げたあと。散乱するガラス瓶。何かが入っていたらしい巨大なガラスケースは、
何本ものコードが伸びていて、電子機器が並んでいるけどすっかり壊れている。
電気はあったんだと思うけど、天井のはひとつ残らず割られていて残ってない。
一体何があったんだよ、ここ。いやな予感しかしないんだけど。
うすら寒いものを感じながら、オレはゆっくりとその研究所の中に進んでいった。

「火事でもあったのかよ、すっげえ爆発のあとだなあ」

こくこくとオーダイルは頷く。

「なんか残ってないかなあ。えーっと……あった!なんかおいてあるぜ、スイト!」

焼け焦げた研究所にあるのに、その木の板だけは綺麗なままおいてある。
あとから置かれたものらしい。なんだろう、これ。拾い上げたオレは読んでみた。
ずいぶん前に描かれたものなのか、所々がかすれてて読めないところもあるけど、
なんとなくニュアンスで補ってみる。えーっと、なになに?

「7月6日、ここに立ち入る人間が再び現れるとすれば、心優しき人であらんことを。
 今ここにその願いを記し、この島を後にする。フジ」

そうこの看板には書かれていた。

「……ここ、最果ての島じゃねえか。おーいー、セレビィ、全然違うとこに出てどうすんだよ」

はあ、とため息をついたオレに、オーダイルが首をかしげている。

「ここはさ、ミュウっていう幻のポケモンを使って酷いことをしたフジって人が、
それを反省してそのポケモンを逃がしたことで有名な島なんだ。
あえていうならカント―かなあ」

普通なら絶対に来れないところなんだけど、と付け足すとオーダイルは驚いた顔をする。
オレだってビックリだよ。え?そうじゃない?なんで知ってるんだって?
ひーみーつ、と笑って見せれば、つまらない、とばかりにオーダイルが鳴いた。
最果ての島は無人島だ。人間がいるわけがない。うん、早いとこセレビィに教えないと。
さあ、戻ろうぜってオレはオーダイルに先を促した。

「どうした、スイト」

オーダイルの表情が険しくなる。まっすぐにさっき来た道を見つめるや否や、ゆっくりとした足取りが一気に前のめりになり、定位置であるはずのオレの後ろを追い越して、あっという間に草むらの向こうに消えてしまう。ついて来い、とばかりに鳴き声がして、急かされるようにオレはオーダイルの後を追いかけた。転がり落ちるように坂道を抜け、さっき見た風景が現れる。オレはオーダイルが血相変えて飛び込んだ理由を知った。

「セレビィに何してんだ、お前ら!」

思わず声を張り上げたオレに、セレビィを捕まえようと物騒な兵器を構えてセレビィを追い回している黒づくめの集団が振り返る。大人だ。みんな大人だ。そして目に入るのは背中に刻まれたRの文字。ロケット団かよ!解散したはずのロケット団がいると言うことは、やっぱりこの時代は3年前なんだ。くっそ、よりによって何でロケット団がここにいるんだよ。フジさんがここにミュウを逃がしたのは、ここが安全だからじゃないのかよ!ロケット団がきたら意味がねえじゃねえか。もっといいところに逃がしてやれよ、フジさんの馬鹿野郎。舌打ちしたオレは既に戦闘体勢に入っているオーダイルに指示を飛ばした。セレビィはオレのポケモンじゃないから、他の人に捕まってしまっても文句は言えないけど、捕まえるのに物騒な兵器を使うようなやつから逃げ回るのをほっとくほど薄情になった覚えはない。

「スイト、剣の舞だ!」

ロケット団がオーダイルの怒り狂った大きな巨体に慄いて後ずさりする。持ってるポケモンを繰り出すまでの時間を利用して、オーダイルは攻撃力を上昇させる舞を踊り、意識を集中させた。攻撃を食らってもある程度なら持ちこたえられるさ、こいつなら。そして、複数体のポケモンがオーダイルに襲い掛かる。ばあか、そんなに固まってきたら格好の的だっての!オレは笑った。噛みつき、体当たり、毒針、様々な攻撃がオーダイルに降りかかる。多少ダメージは食らうからボールに表示されたゲージが減る。大丈夫だ、むしろ射程範囲内!

「今だスイト、地震!」

オーダイルの雄たけびと共に凄まじい揺れが最果ての島を襲った。
容赦ない揺れが辺りを襲い、トレーナーは愚かポケモンたちも巻き込んでいく。
木々にぶつかりぐったりと倒れてしまったり、パニック状態になってボールに戻ったり、
平衡感覚を保っていられなくて這いつくばってしまったりしてあっちは大混乱だ。
オレは今の隙に、浮いてるくせに特性が自然回復なせいで飛べなくなってしまい、
その場にうずくまってしまっているセレビィを助けるため一気に駆け寄った。
待て、という男の声がする。ばーか、誰が待つかよ。

「セレビィ、大丈夫か?」

オレの声に反応してセレビィが笑顔になる。
うんうんと頷いたセレビィは手を伸ばしたオレにつかまるために両手を広げた。

「小僧に気を取られるとは何をしているのだ、貴様ら!」

聞いたことのない男の声がした。
怯えるセレビィを庇おうとしたオレとオーダイルの目の前が真っ白になる。
世界が暗転した。







「彼は、」

「いえ、それが」

「どうかしたのですか?」

「非常に申し上げにくいのですが、そのですね、彼は、この国に存在しておりません」

「・・・・・続けてください」

「言葉の通りです、お嬢様。彼の所持していたトレーナーカードのidナンバーでサーチをかけたのですが、彼に該当する人間を確認することはできませんでした。ポケモントレーナーが一度は利用するであろう 施設やサービスにも検索をかけたのですが、データにある戦歴も該当する例は一切ありません。一応彼の写真、血液、指紋などでどこの地域の人間か割り出そうとしたのですが、だめでした。彼の所持していたアイテムも一つ一つチェックしたのですが、本来入手困難なもの、一部現代の技術では再現不可能なものが何点か、はい、こちらです。あとですね、興味深いことに、彼の所持するポケモン達は高価な能力向上アイテム使用の形跡がありました。我々の知らない技を習得しています。たださいわいいずれのポケモンたちも、なんら健康体で改造などあの組織の関連を疑うようなあとは見つかりませんでした」

「そうですか。ところで、その傷、どうなさいまして?」

「あ、ああ、はは、彼のポケモンたちは、現在彼の麻酔が切れるまでボールで回復室に待機している状態なのですが、彼を運び出そうとしたところ、彼に危機が迫っていると感じたのでしょうか、何体かがスタッフを張り倒してしまいまして。どうなる事かと思いましたが、麻酔が効き始める前に、全面的に協力してくれている彼が指示を出してくれたおかげで事なきを得ました」

「しかし、彼の発言はすべて虚構、なのですね?」

「はい、そうなのですが、彼の証言を聞いている間、同意の上で、嘘発見器をつけたのですが一切異常な数値を示しませんでした。身体検査もすべてパスしていますし、彼はおそらく」

「・・・・・なんてこと」


彼女は、彼のあまりにも残酷な現実を知り口元を覆った。彼はおそらく彼女の追っている組織の関係者だったのだ、という限りなく確信に近い憶測がたってしまうのである。一般のトレーナーにしては熟練した腕を持ち、ポケモンたちの絶大な信頼を獲得し、ポケモンの育成に長けた才能をもつ彼を組織が放置するはずがない。どんな境遇をたどってきたのかは想像に難くない。おそらく両親が闇に手を染めていたのだろう、残された孤児が戸籍すら持っていないケースはよくある。彼がもし組織の関係者だったならば、何らかの理由で排除されたとしたら、ポケモンもろとも抹殺されてしまう。

だが彼はそうではない。記憶を操作され、本来の情報を一切表に出さないようにされてから、放置された。彼女のスタッフが組織の放置した研究所に立ち入らなければ、おそらく彼は。保護できたことを改めて彼女は安堵する。





しかし。





記憶喪失よりも酷なことである。自分の基盤がもろとも虚構なのだとしったら、彼はどうなるか。彼女の印象では、彼はどこにでもいる普通の人間だ。特別な力もない、普通のポケモントレーナーだ。同姓同名のよく似た少年を社交界で見たことがあるが、きっと他人の空似だろう。彼の語る家族構成とジョウト随一のお金持ちの子息はどう見ても結びつくところがない。だがいざ話し出すと、教養あふれた博識。表情は軟らかくなり、雰囲気が近寄りがたい印象を払しょくしてしまう。彼の眼はポケモンに対する愛情であふれていた。こちらの一方的ともいえる要求を、彼のポケモンたちの保護を第一条件に提示して全面協力してしまったのだから、彼にとってのポケモンたちがどういう存在なのか分かろうと言うものだ。


「彼は我々の保護下におきましょう、お嬢様。そして、せめて、人並みの暮らしを」


涙ぐむ男に彼女はうなずく。ただし、と彼女は真剣なまなざしでつづけた。


「彼には、こちらの指示の下、動いていただきます」

「お嬢様!」

「彼は手を下されなかった。裏を返せば、組織が動き出せばすぐに引き戻されてしまうような、あやうい立場にいるのです、お分かりでしょう?彼はこちらが情報を開示しなければ、おそらく自分から本来の自分を求めて行動を起こすでしょう。人間自分が何であるかが証明できるものがなければ、生きているとは実感できないはずですもの。浮遊点では、いられないはずです。彼は明晰ですわ。おそらく自分がどういった状況に置かれているか、うすうす感じているのではないかしら」

「・・・・・承知いたしました」

「あの島にいるということ自体、彼の言う普通の人間ならば絶対にあり得ないことなのです。あの島はロケット団のかつての本拠地。あの方が反旗を翻した場所。場所すら隠匿されてる島にどうやって現れるというのです」


そんな大事な会話、オレが寝てる部屋の真正面でされても困るんですけど。オレは青ざめるしかなかった。おいおいおいおい、セレビィ!間違えるにも程があるだろ!何ちゃっかり世界を飛び越えてんだよ!オレがいた世界とこの人たちがいる世界は明らかに違うじゃねーか!のんびりぽやぽやお嬢様がこんなきりっとした令嬢でたまるか!
確かに気づいたら、某お化け屋敷みたいなトコにいて、すっごくびっくりしたけど。ロケット団の誰かのポケモンによる奇襲のせいで上手くしゃべれなくてさ、てっきり病院に担ぎ込まれたと思ったわけよ。よく覚えてないけど、気づいたらベットの上でね。寝てると思って堂々と扉の向こう側でしゃべられても困るって、オレの地獄耳なめんなよ!って気が動転したまんま行こうとドアノブひねったはいいけど、おっさんが先に開けちゃってさ。彼女が、ほら、とばかりにオレを見てたの。何もいえねーじゃんさー。
おっさんから、厳粛な態度をもって迎えられた時は、彼らのすさまじい勘違いにめまいを覚えたよ。どこをどうはき違えたら、そーなるんだよ。かならず我々があなたの味方であることをお忘れなきように、って彼女から握手を求められてさ、訂正不可能である現実に直面する羽目になったオレは、心の底から思った。セレビィの馬鹿野郎!

セレビィがいないと元の世界に帰れない。でも、この時間軸ではセレビィはまだ発見されてない幻のポケモンだ。しかも、どうやらオレ達を発見した時、セレビィを彼女たちは見てないからロケット団に捕まってる可能性大。何この無理ゲー。本編につっこめっていってるようなもんじゃねーか。こっちの世界にもセレビィいるけど、むちゃくちゃ重要なポケモンの筈だ。まずい、まずい、マズすぎる。普通に考えてセレビィを追い求めてる連中とめぐり会ってしまったら、世界に2ひきいる幻のポケモンなんてヤバいにも程がある。

うん、この世界が漫画の世界であることをオレは嫌って程わかってるよ。はじめてゴールドになった日、アニメにおけるケンタか。こっちの世界の金持ちぼっちゃんか本気で悩んだこと忘れねえ。彼女に保護されたことを本気で喜んだ数時間前の自分を殴りたい衝動に駆られていた。どうするよ、オレ。

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