クリスの冒険6

ふかふかの毛布に真っ白なシーツ、お日様の匂いのするクッションとくればダイブしたくなるのが心理である。衝動に任せて飛び込むのもいいが、今クリスの集中力はもっぱら目の前のトゲピーに注がれていた。トゲピーはまだ起きていない。ぐっすりと眠っている間は、そのカラの中に両手両足をしまい込み、チューリップのような頭を器用にしぼませて顔ごとカラの中に引っ込んでしまう。だからはたから見れば、赤と青の丸い先端をした三角のドーナツというべき奇妙な柄の浮かんだ、30cmの随分と大きな卵にしか見えない。大きく割れているあたりがシュールではあるけども。起こさないように慎重に慎重に抱き上げたクリスは、なるべく水平に広げたベッドの上におかれたクッションに何を思ったかトゲピーを立たせようという妙ちくりんな行動に出ていた。どきどきどき、と胸の鼓動すら煩わしい。ごくりとツバを飲み込んで、そうっとおこうとしているクリス。ベッドの段差から興味深げにのぞき込んでいるマリルリ達に、しーっと口元に指を押し当てながら、クリスは置こうとした。

「………ねえ、みんな」

こてん、と一様に首を傾げるメンバー。クリスは困ったような顔をしてつぶやいた。

「どっちが上なのかしら?」

がくりと肩を落としたポケモンたちは、すかさずまっすぐに腕を上に上げた。ジト目の居心地の悪さに耐えかねてクリスはあははとから笑いした。

「だ、だって起きてる頃のトゲピーだったら、その、立ちそうじゃない。逆さまにした方が」

確かに形はチューリップだから丸い卵の胴体を立たせるよりは楽かもしれないが、それはある意味シュールすぎるにもほどがある上に、きっとトゲピーは大泣きするだろう。何を言っているのだご主人とばかりに静止しようとしてくるマリルリに、あわててクリスは弁解した。いくらなんでもそんなことする訳ないじゃない、あははははと明後日の方向を見つめるクリスを前に、改めて自分がしっかりしなくてとマリルリは思う。トゲピーが二匹いたら、この頭のギザギザがぴったり合いそうよね。何年来の付き合いのご主人がわりと真顔でボソリと呟いたことをマリルリは知っていた。

あたふたとしている騒がしい周囲に感化されたのか、目が覚めてしまったらしいトゲピーがぐずりはじめる。あ、と声を上げたクリスは、トゲピーが安心するよう赤子を抱く母親のように体制を変えると、ごめんね、とあやす。よしよし、となでるもののぐずり始めてしまったトゲピーは泣き止まない。あーもー、と結局寝ているトゲピーを立たせると幸せがおとずれるという言い伝えの実行には至らなかった自分を嘆く。つぎこそは、と意気込むクリスの横で、その突拍子もないアイデアに没頭する癖が治らなければ無理な気がするとは思っていても伝える手段がないマリルリは、毎度のことながら歯がゆく思っているのだった。おそらくクリスが聞いたとしても、冒険は少しくらい危険な方がいいじゃない、とよく分からない力説が待っている。

ポケモンやひとの優しい気持ちや楽しい気持ちをエネルギーにしているといわれているトゲピーは、カラの中に幸せをため込んでいるといわれている。そしてその幸せを分け与えているから、トゲピーを見ると人は幸せになれるのだという。それなら逆さまにした方がたくさん幸せがもらえるんじゃないかしら、と邪なことを少しだけ考えたものの、それじゃだめよね、とクリスは自分でつっこんだ。優しくしてくれる相手に幸せを分け与えるのだから邪念は論外だろう。本当のところは、なかなかポケモンは賢いのだろうとクリスは思っている。トゲピーに限らず、トレーナーの手で生まれた時から育てられたポケモンは、野生とかけ離れたポケモンとは、全く別の存在である。生まれてきたばかりのときには無防備である。自分を守るためにポケモンは無意識の内に、トレーナーに愛されるためにかわいいしぐさや態度を示すのだとどこかの論文を読んだことを思い出す。たしかにトゲピーの泣き声を聞いてしまうと、保護欲にかられて可愛がる自分がいるのだ。恐るべしというところだろう。

とはいえど、流石に何時までも泣き止まないのは少々困ってしまう。1kgはなかなかに命の重さを体感するところだが、腕も結構辛いものがあるのだ。少し夜風に当たりましょっか、とクリスはポケモンたちに促した。ただいま数日ぶりに再開したアサギシティとタンバシティをつなぐ定期船のとある一室。トレーナーたちの夜はまだまだ長い。外に一歩でれば、船上バトルをしている人々が見えた。たんたんたん、と甲板を横切れば、船室にたどり着く前に腕試しをと意気込んできた船乗りたちが掃除にせいを出していた。滑りやすいから気をつけろよ、と笑われる前に、すでにずさーっと豪快にひっくり返っているうさみみポケモンが一体。また太ったんじゃなーい?大丈夫?とさっきの仕返しとばかりにほくそ笑むクリスに、がーんとなったマリルリは悲鳴を上げた。耐久戦をすることが多いマリルリにもたせるアイテムは、オボンのみだったり食べ残しだったり様々であるが、
そのせいかもと思考を巡らせるクリスに気づいて、必死で持ち物袋を死守しようとマリルリは涙目で駆けていった。ずだだだだだ、と豪快な踏み外し音が聞こえるのはもはやお約束である。間抜けな古参の悲鳴に、慌てて走り抜けて行くもふもふ。そして滑空して行くもふもふ。残っているのはボーッとしているマイペースと、おそらくクリスの部屋で充電しているであろう留守番係。船内ではあんまり火を出すと怒られる?ご主人?とちらちら見上げてくるバクフーンがいる。早く来てとばかりに声が上がった。


夜風が気持ちいい。うーん、と伸びをしたクリスは、ようやく泣き止んだトゲピーが抱っこをせがむのでバクフーンのモフモフから抱き上げる。空を見上げれば、まるで台風の目のようにぽっかりと浮かんだ穴から星空がほんの少しだけ望めた。真っ黒な海にはちかちかと赤い光が点在している。メノクラゲかドククラゲでも泳いでいるのだろう。ランターン達は黄色い穏やかな光のはずだから。そう思いつつ、探してみるがそのヒカリは見受けられない。霧は数年前から晴れることなくうずまき島を覆っている。さいわい船の進路を妨げるほどのものではないのだが、一面星空を眺められないのは少々残念というほかない。これはこれで綺麗な光景だけども。トゲピーがしきりに手を伸ばすので、お星様には届かないわ、とクリスは笑ってさとした。いつもならグズってまた泣き出してしまうところだが、どうやら様子が違う。トゲピーが突然顔を上げたかと思うときゃっきゃと無邪気に笑って、嬉しそうに顔をほころばせた。どうしたの?と首を傾げるクリスの横で、ポケモンたちが騒ぎ始める。促されるまま前を見つめたクリスは、息を飲んだ。


「すごーいっ!」


思わずついて出た言葉。綺麗ねえ、と感嘆の息を漏らしたのを最後にクリスは完全に見入って言葉を忘れてしまった。先程まで点在している程度だった光が、無数に広がりを見せていることに気づいたのである。海面一面に広がる散りばめられた赤い光がまるでオーロラのように黄色、青、緑、紫と七色に変化して行くではないか。見る度に違う色を放つ光は、点によってサイクルが違うようである。クリスはトゲピーを預けて望遠鏡を引っ張り出すと早速のぞき込んだ。光と思しき点はくるくるくると回っているのが見て取れる。まるでスクリューのような泳ぎ方である。おそらく無数のスターミーの群れなのだろう。
スターミーといえば、アサギシティではもっぱら宇宙生物ではないかと実しやかにささやかれている、分類の上での名前は謎のポケモン。確かにどのような環境におかれても、左右対称の幾何学的なボディに成長することは実際に育て屋ファームで手伝いをしたから知っている。今となってはスターミーよりも謎なポケモンはたくさんいるが、細かいことは言いっこなしだ。このヒカリはスターミーのコアが光っているのだと分かったものの、やはり神秘的な光景に代わりはない。夜空に向かって謎の電波を発信しているのだという噂があったものの、ポケギアのラジオは反応なしである。ここはミステリーを気取るのではなくて、昔の人が穏やかな海に映った星がスターミーになったと信じた素敵な噂に便乗した方が良さそうである。コアの部分を宝石にしてしまう変わった趣味の人もいると聞いたことがあるが、確か再生可能なスターミーのことだ、
特殊なやり方をしないとコアのところからまた分裂してしまうはず。なかなかロマンチックを気取るのも大変だ。

「ホントに宇宙と交信してるなら、流れ星の一つでも流れればいいのにねえ?」

冗談めかして笑うクリスに、上空を旋回していたピジョットが手すりに降り立つと首を傾げる。いい加減に降りてくれと重そうな頭を下ろしてくるバクフーンからトゲピーを受け取ったクリスは、指を指すトゲピーにホントきれいよねえと笑った。

「あ」

またたき一つする間もなかった。上空のぽっかり開いた夜空を二分するヒカリが流れていったのである。これはとてもではないがお願いごとを3回もする時間なんて無さそうだと思うよりも先に、まさか本当に見られるとは思っていなかったクリスはぽかんと口を開けていた。今の季節はまだ流れ星が見られるような時分ではない。両手を上げて喜んでいるポケモンたちをみて、ようやくらっきー!という気持ちが沸き上がってきたクリスは笑う。案外スターミー達が宇宙と交信しているというオカルトも間違いではないのかもしれない。
クリスはトゲピーを撫でた。くすぐったいのかトゲピーはじたじたとあばれる。

「なんか、流れ星が来るのを知ってたみたいねえ?トゲピー」

これもトゲピーがくれた幸福の一つということにしておこうかな、とクリスは思った。だが、残念なことにである。どうやらトゲピーの幸福とやらは限りなく分け与えるものに平等であり、必ずしもクリスにとっての幸福とは限らないであろうことを失念していたクリスである。すっかり景色に見入っていた彼女は、ここがトレーナーたちがいる船の上だということをすっかり忘れていたのだった。

「やあ、奇遇だねクリス君」

「!」

いくら神秘的な光景に目を奪われているとはいえ、足音を忍ばせている気は皆無だったし、ゴールドの時と同様絶叫されるとは思っていなかったのだろう。ミナキにとって誤算だったのは、トゲピーがあまりにも小さくてクリスがだき抱えていることに気づかなかったことだ。突然声をかけられたクリスは当然驚き、びくっとなって腕にそれが伝わりトゲピーは驚く。かつては体力の消耗とポケモンたちの不安を煽らないようにとスイクンの幻の森内では一切マリルリ以外のポケモンは頑ななまでに出さなかったクリスである。当然ミナキのことをトゲピーは知らない。モンスターボール越しに聞き取れる声で、どこかで聞いたことがあると他のポケモンは判別が着いたかもしれないが、まだまだ幼いポケモンにそんな難しいことが分かるはずもなく、当然知らない男が興味深そうにこちらをじいっと覗き込んでくれば恐怖にかられるのも致し方ないと言えた。ぐずり始めたトゲピーはクリスに抱きつくと、大音量で泣き始めてしまったのである。近くにいたポケモンたち共々耳がキーンとなってしまったミナキは無言で片手を下げ、すまないと謝罪する。あ、ごめんなさい、とクリスはあわっててなんとかトゲピーをあやそうと必死で努力する。さすがに泣いている状態で無理やりモンスターボールに戻すのは良心が咎めた。

「すまない、クリス君。まさかキミがトゲピーを持っているとは思わなくてね」

「あはは、ちょっと驚いちゃったのよね?トゲピー。ほら、大丈夫、怖くないわよ?ね?この人はミナキさん。スイクンっていう伝説のポケモンを追い求めている研究家なのよ?だから泣かないの。ね?いい子だから、ほら」

「驚かせてしまってすまないな。これはお詫びの印だよ、受け取ってくれトゲピー。しかし、すごいな、慣れたものだね」

「ヒメリの実ですか、ありがとうございます。よかったわね、トゲピー。えっと、お父さんとお母さんで育て屋ファームしてるんです。私もよく手伝ってるから」

「なるほど、そうか。舞妓さんがキミにトゲピーを託した理由がわかった気がしたよ」

「え?」

「おっと、私としたことが、最近少々口が軽くなっているようだ。勘弁してくれたまえ」

「えーっ、気になること言ってそれはないですよミナキさん!」

「ほら、トゲピーが起きてしまうぞ?」

「うぐ」

クリスの腕の中で眠るトゲピーである。そっとモンスターボールに戻したクリスはようやく腕のダルさが開放されてうーんと思いっきり伸びをした。マリルリ以外のポケモンたちが不思議そうにミナキを見つめているので、軽く紹介を済ませる。

「どうしてミナキさんがここに居るんですか?あ、もしかしてスイクンが?!」

「いや、残念ながら違うんだ。まあ目的としてはあまり変わらないのかもしれないんだがね。少々頼まれたことがあって、今からサファリに行くところなんだ」

「え、それってもしかしてタンバシティに移転しちゃったっていうサファリパークのことですか?」

「ああ、そうだよ。あそこの施設には、姓名判断師の店や通信交換の会場、あとはそうだな、確かサファリパーク関連のイベント会場が急ピッチで建設されてると思うんだがね。おそらくジョウト地方で1番最新鋭のタイムマシンが導入されるはずだから、それに用があるんだ」

そこまで語ったミナキは、目をキラキラと輝かせて何の仕事か知りたいと顔に書いてあるクリスに苦笑する。好奇心旺盛、興味津々なのはいいことである。ミナキはざっくばらんに語ってくれた。


ミナキはスイクンを追い続けることに人生を捧げることをも厭わないトレーナーである。その熱意は専門家としての知識や生態調査の権威としては右にでるものはいないほどであり、少々風変わりなポケモンの研究家としてポケモン研究学会では扱われていた。タマムシ大学に調査を依頼したり、興味深い資料や論文を発表したりと深いパイプと貢献してきた実績から、研究機関から予算と研究室が与えられるほどである。現在ミナキはとある大掛かりな計画を進行中であり、実行するために様々な機関、関係者を練り歩き交渉や打ち合わせに奔走しているとのことである。むろんそれはすべてスイクンと合うための手段に過ぎず、実際に目撃情報が寄せられれば、遊泉寺港は言わずもがなで、よくマサキを苦笑させているのはここだけの話である。

その計画とは。

「使者、ですか」

「ああ。伝説のポケモンの目撃情報を集めて記録できる、特殊な学習装置を開発してもらうんだ。それをポケモンに持たせて未来に送る。もともとスイクンは出会える確率は非常に小さいから、少しでも確実性を確保しておきたいところなんだ。タイムカプセルなら、それが可能だろう?そのポケモンを受けとれば、確実に伝説のポケモンに導いてくれるはずだ」

「そっかー、だから使者。カッコいいですね!」

「そう言っていただき光栄だよ。実はクリス君にもこの計画に協力していただきたいんだが、いいかね?」

「え?」

「いずれ計画が実行段階に移せるめどが付いたら、一人ひとり連絡するつもりだったんだが、丁度いい。私が何故スイクンを目撃したことのある人間の連絡先を集めて回っているか、は実はこの計画のためでもあるのだよ。ゆかりのある人間は幾度もスイクンとめぐりあう幸運に恵まれるものだ。未来のゴールド君やクリス君も例外ではない。だから、未来のキミと連絡をとってもいいか、許可を貰いたくてね。流石に無許可でトレーナーIDを使用するのはまずいだろう?」

「あ、なるほど!アタシはいいですよ。きっと未来のアタシも喜んで協力すると思います。ミナキさんにはお世話になったし。あ、でも、もし計画が実行できたら、見せてくださいね。その学習装置!」

「よかった。ゴールドのように即効で断られそうだと危惧していたんだが、安心したよ。もちろん、それくらいお安い御用だ。ありがとう、感謝するよ。成功したら、それなりのものは送らせてもらうつもりだ」

「あはは、ゴールド伝説の三犬欲しがってましたよね。アタシは誰かが捕獲したら、それを図鑑に乗せてもらえたらそれでいいかなあ。アタシの好きなことは冒険だもの、大切なものが増えたら旅に出られなくなっちゃうわ」

「まあ、人それぞれを言ったところか。では、そろそろ私はここで失礼するよ。ゴールド君にもよろしく伝えてくれたまえ。本当はトゲピーを持つキミとバトルをしたいところだが……起きてしまうな。よし、明日にしようか」

「はーい、おやす、ってえええっ?!ミ、ミナキさーん?!」

「この便は明日の昼頃到着だ、一戦交える時間くらいはあるだろうさ。ここで一度手合わせ願おう」

「なんでですか、いきなりっ!」

「スイクンは美しくて凛々しい。そして人智を超えた速さでジョウトを駆け巡るのだ、すばらしいだろう?私ももっと近くでスイクンと会いたいものだ。だからだよ。あの時は野宿の危険もはらんでいたから、ゆっくりとしている時間もなかったけれど今は違う。ゴールド君とともにキミは随分とスイクンに遭遇する機会に恵まれているようだし、それはきっとただならぬ恩恵をうけているからだ。それに私もすこしばかり便乗させてもらおうと思ってね。クリス君もタンバジムに行くために準備をしていた所だろう?負ける気はないが、トレーナーであれば、受けない道理はないと思うのだが?」

「もー、しかも拒否権なしですか」

「ああ、善は急げというだろう?」

ではまた、と颯爽と去ってしまうミナキを見届けて、うつらうつらとし始めているポケモンたちをボールに戻し、クリスはため息を付いた。ゴールドがミナキをストーカー扱いしていた理由。ほんの少しだけわかってしまった自分が悲しい。

潮風がほんの少しだけ北風に似ている気がした。


[ 8/97 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -