第58話

ゴムの手袋ごしに伝わる柔らかい感覚に顔を歪めつつ、果汁が滴る柑橘類の成れの果てを、口を広げて待っているバルキーとゴミ袋に突っ込む。うへえ、気持ちわりい。つか勿体ねえ。こみ上げてくるものをなんとか堪えながら、俺は先に進んだ。道路は一面オレンジ色に染まっている。主に潰れてしまった残念な意味で。今はいい匂いだけど、こうも天気がいいと腐敗も速いだろうから悪臭に変わっちまうだろうし、がんばらないと。おーい、ホース回してくれ、と呼ばれて、はーい、と返事をしたはいいが何処にあるかわからない。
こっちだこっちと呼ばれて振り向けば、バケツを抱えた兄ちゃん。駆けていくと蛇口をひねっている。慌ててホースを別の格闘家の兄ちゃんに渡した。

「さあ、さっさと済ませるぞ、新入り。しっかりこすれよ」

「はーい」

粉石けんを豪快にぶちまけつつ、水で濡らされた地面をゴシゴシと手渡されたブラシで懸命にこすった。まだまだこの作業が終わるのは先が長そうだ。

「そういやシジマのおっちゃんは?」

周りを見るがジムリーダーの姿が見当たらない。兄ちゃんに聞くと、ああ師匠ならおそらく奥さんにこっ酷く叱られてるんじゃないか、と笑いをこらえつつこっそりと教えてくれた。サボリだと思われたら困るから、泡を一気に坂道の排水口まで流しながらこすり続ける。

「この間もジムの仕掛けが誤作動を起こして、ジム中が水浸しになったことがあってな。
あの時も凄かったもんだ」

「なんというカカア天下」

「いや、愛妻家なだけだろう。昨日、どこかに旅行に行きたいんだが何処がいいか相談されてな、トージョウの滝なんてどうだと提案したところだ。あの人はいつも修行に明け暮れているからな、迷惑を掛けっぱなしですまないと言ってたから」

なんという電話ネタ。なっつかしいなあ。トージョウの滝は、カン「トー」と「ジョウ」トの境、もといカントーリーグにジョウト地方の人間が挑戦するために整備されたチャンピオンロードの一つだ。滝登りがないといけないから、まだまだ先のダンジョンだな。
……ってトージョウの滝?今すぐ?思わず口走りそうになって慌てて口を閉ざす。待ってあげてー、ロケット団の復活を狙ってラジオだけ持ち込んでこっそり滝の後ろで潜伏し続けてる元ボスがいるから、行かないであげてー!むしろ未来の俺とクリスが行ってる可能性があるから、タイムパラドクスが起こるから、ややこしくなるから行かないであげて!
いつになるんだと聞いてみたら、夫婦水入らずに野次馬は不要だぞ、と兄ちゃんに笑われた。

「サファリとかどう?」

「まだ建設途中だからな、まだ先だな」

「あ、やっぱり?24時間鍛錬って言っちゃうような人だもんなあ。奥さんも大変だ」

………うまく丸め込まれちまったのかもしれない、と今更ながらに俺は思った。これは一時間前に遡る。









サンドパンを連想した俺は間違ってない。M字のトンガリのような真っ黒な髪型は後ろから見ればつんつんしていた。立派なモミアゲ。そしてどこまでがモミアゲなのかヒゲなのか境目が分からない、真っ黒な口ひげが大口を開けた。んー、筋肉の上から脂肪を蓄えるらしいレスラーと考えたら間違ってないのかもしれないけど、メタボってるから体格的には金銀水晶?HGSSだったらもっとしゃきっとしてるよな。なんて考えながら俺は大きな背中を追いかけた。なんで空手家のおっさんたちって半裸なんだろう?もしくは世紀末よろしく豪快に胴着がはだけてんだ?それだけ修行が厳しいのか一昔前の美少女戦士みたくそういう素材なのか。どのみちあんまり嬉しくないよな、うん。まあそういう問題じゃないのはわかりきってるけども。腕や脚はテーピングがしてあり、足は包帯が巻いてあるがほとんど裸足に近い。痛そう。シジマサーン、と俺は大きな声で名前を呼びながら手をふった。バルキーも習って手をふる。気づいたらしいおっさんが振り向いた。ようやく追いついて、軽く会釈をしてくれたおっちゃんに俺も返して、軽く挨拶を済ませた。

「そうかそうか、お前さんがゴールドか!ミカンちゃんから話は聞いとるぞ!随分とルーズなところが所があるようじゃがな」

「あはは、ごめん。昨日夜遅くについてさ、そのまま疲れて寝ちまったんだ。飛び起きたらもう11時過ぎててさ、慌てて飛び出してきたんだ。ごめんなさい」

「まあ、言わんでもわかるぞ。寝癖が付いとるのを無理やり帽子で隠しとるんだろう」
「え、あ、やっぱまだはねてる?どこ?」

あわてて帽子を取ると、髪の毛を触ってみる。うーん、結構前髪伸びてきたなあ、どうせカットだけだしどっか安いとこでも探して切ってもらおう。邪魔になってきたし。

「後ろんとこがな」

「あ、これか。んー、これくらいならいっか。よーし、これで大丈夫」

「まあ、一応隠れはしたがなあ、わしはあんまり好かんぞ。なんでわざわざ帽子を逆にかぶっとるんだ、お前は。ちゃんと被らんか、ツバの意味がないぞ?」

「いやいやいや、これだけは譲れないよ。オイラのトレードマーク!アイデンティティ!ってなんで笑ってるんだよ、バルキー!え?もしかしなくても気づいてた?教えろよなあ」

金銀時代から唯一のトレードマークが、この帽子を逆さに被るというスタイルなんだから、せめてこれだけは守らないと、なんとなくお前誰、な感じがしてしまう。ただでさえデフォルトは左利きなのに右利きになっちまってんだから、面影ぐらい残さねえとなんか悪い気がする。ちょっとだけ無駄に必死になってしまった俺が滑稽なのかシジマさんが面白い小僧だとまとめてしまった。えー、なんだよ、それ!睨むとくすくすと笑いをこらえていたバルキーがせきを切ったように笑い始めてしまった。バツが悪くて俺は苦笑いしかかばない。この野郎。あ、メスだっけか、この女郎。………何か違う?どうでもいいことに悩んでいると、がっはっは、と豪快な笑いが降ってきた。見上げるほどの巨体が揺れる。ばんばんばん、と力任せに肩を叩かれて痛い痛いと必死で俺は抵抗した。一発一発が重い。豪快でありながら、優しい親分気質が溢れるおっさんみたいだ。これならバルキーがカポエラーに進化できない理由も分かるかも、と期待を抱いた俺は早速相談してみることにした。

「ふむ、なるほど。もちろん今からジムに挑戦するんじゃろう?立ち話も性に合わん、道中で話を聞かせてもらうとするか。さあ、ついてこい」

「もっちろん!じゃあ、行こうぜバルキー」

よかった、好感触だ。身構えるバルキーはやる気にみなぎっている。やっぱりシジマのおっちゃんに同族の匂いを感じ取ってんのかなあ、と微笑ましげに見ていたら、何をしとるんだ、と怒られた。するとまさかのランニング。まじすか。慌ててシジマさん達を追いかけた。

「バルキーが懐いとるのは一目見てわかったが……はっきり言おう。ゴールド、お前さん今までバルキーの修行に付き合ったことはあるか?」

「え?修行?レベル上げとかじゃなくて?」

「ああ、鍛錬にだ」

「な、ないです。てか、したことないよな?バルキー」

こくりとうなづくバルキーに、うーむ、とシジマさんは腕を組んで唸ってしまった。

「原因はそれだ。いくら知識や経験を積んでも基礎が成っとらん以上、思うようにいかんのも無理はない」

それってつまり俺の育て方が悪いってことですか、そうですか。やっぱりクリスの言ってたとおりだなあ、と脳裏を午前中の電話が過ぎって俺はひきつった。今までの自分を全否定されたような気がしたのか、バルキーが心配そうな顔で俺を見上げてくる。面と向かってはっきりといわれたのは初めてで、思いっきりドラム缶で頭をぶん殴られたような衝撃が俺を襲った。あはは、やっぱきっついなあこれ。大丈夫だってバルキー、オマエのせいじゃないんだから。頭を撫でてやりつつ俺は先を促した。

「まあまあ、普通のトレーナーが陥りやすい事だからそう暗い顔をするんじゃない。誰だって初めての事はある。問題はそこからどうやって学んでいくかが問題だ。そうじゃろう?ポケモンにはポケモンの適した鍛錬の仕方、というものがある。おそらくお前さんは一度もしたことがないというが、バルキーは殆どが独学の状態だがやっとるはずだ。格闘タイプのポケモンはそういうもんじゃからな。問題は、その練習過程がほとんどバルキーに丸投げ、任せきりってことだ。その場合、どうしても得た経験や知識を元になってしまうから、時としてそれが進化経路を決定してしまうまでに影響を及ぼしてしまうんだ。特にバルキーは3つも進化経路がある。染み付いた鍛錬方法は、そのポケモンの強さに直結する部分があるからな。ゴールドのバルキーの場合、それがサワムラーに近いというわけだ。なに、心配いらん。今からでもしっかりとお前さんが管理をしてやればなんとでもなる。安心せい」

「ほんと?」

「ああ、格闘タイプの使い手としてこれだけは言える。お前さんのサボリが原因じゃな。全く、なんのためのポケモン図鑑だ。一度は目を通さんか」

「ごめんなさい」

マジか。俺がなんにもしなくても、自分なりになんとか強くなろうと頑張ってたのかお前。ちら、とバルキーを見ると、今までこっそりと修行をしていたのがバレたのが恥ずかしいのか、顔を赤くしている。何を恥ずかしがってんだか。言ってくれたらよかったのによう。ってことは、そーだなあ。まずはバルキーがどんな鍛錬してるのか観察して、ポケモンセンターの専門書でも読みあさって勉強しつつ指導を考えてみるか。できるかなあ、俺に。するとその様子を見たシジマさんが、む、と声を上げた。

「ほう、めずらしい。もしかしてゴールドのバルキーはメスか?」

「うん。育て屋さんからもらったんだ。な?」

するとシジマさんがそうかそうか!とひとり納得したらしく豪快に笑い始めてしまった。え?なに?

「そうかそうか、どうやら原因はゴールドだけじゃなくバルキーの気質にもありそうじゃなあ。バルキーでも個人差はあるからな。わしの育ててきたバルキーはトレーナーに似るのかしらんが、いつでも元気いっぱいなやんちゃ坊主で、強くなるためには何度でも立ち上がる負けん気の強い上に意地っ張りな奴ばっかりだ。手頃な相手ならいざ知らず、明らかに実力差が歴然としている奴にまで見つけると、すぐに殴りかかるような喧嘩っ早いせいで、傷が絶えなくてなあ。格闘センスを磨く上で、まずは相手を見極めることから始めるんじゃが、どうやらゴールドのバルキーはその強さを孤高のまま極めることに憧れている節があるのう。毎日トレーニングしないとストレスがたまるから、トレーナーはしっかりとスケジュールを管理する必要があるんだが………。とんだ放任主義の影響でバルキーらしからぬ我慢強さと鍛錬がバレないようにする慎重さが身についたか、と考えていたがどうやらもっと単純だったらしいな」

「へ?」

ばっと顔を上げたバルキーがわたわたとした様子でシジマさんにつめよる。ぴょんぴょんと懸命にジャンプしながら止めようとしているバルキー。そんなに俺にバレるのが嫌だったのかよ、おい。若干ショックを受けつつ溜息をつくと違うのだとばかりにフォローに回ってきた。確かに何もしないトレーナーを見てたら、自分で何とかしなきゃと思うわなあ、なんで気づかなかったんだろ俺。お前が自己流で頑張るのも無理ねえわ、ゴメンな、と頭をなでるとぶんぶんと首をふる。もー、頼りないトレーナーにどこまでいい子なんだよ、こいつ!シジマさんがばんばんとまた肩を豪快に叩いてきたから、咳き込んだ。不意打ちはやめてくれ、不意打ちは!

「がっはっは、なーにを言っとるんだお前は。愛されとるなあ、ゴールド」

バルキーの顔が真っ赤になる。脈略のないその一言で、ようやく俺は勘違いをしていたことに気づいた。

「ちくしょー、どんだけ可愛いんだよ、お前は!」

空気に耐えられなくなったらしいバルキーは、たまらずモンスターボールに戻ってしまった。呼びかけても出てこない。俺はたまらず笑ってしまった。やべえ、久々にニヤケが止まらない。やっぱり可愛すぎるだろ、俺のポケモン!

「もともとオスしか生まれないはずのバルキーが、メスで生まれたとなればおそらく新種に近いじゃろう。周りは男だらけで、もちろんそういう扱いが普通だと思って育ってきた環境から、いきなりメスは珍しいという現実を知って、しかもトレーナーはしっかり対等ながらそれなりの待遇で構ってくれるとなれば意識もする。ゴールドみたいにやたらポケモンとのスキンシップが大好きなトレーナーとなれば、嫌でも意識するだろう」

「だからって、鍛錬をオイラに見られたくないって……どんだけ。はー、とんだ伏兵だったなあ。ゴローニャはともかく、他の奴らはもっと構えーってアピールしまくる奴だから全然気付かなかった」

「懐きすぎも考えものじゃなあ」

「うん。アドバイスありがとう、シジマのおっちゃん。なあ、せっかくだしさ、ちょっとでいいからオイラに教えてくんないかなあ……その、格闘ポケモンを育てる上での極意みたいな奴」

シジマさんは肩をすくめた。

「そう何でも教えてもらえると思わんことじゃな。わしは弟子はとらん。それに一日たりともジムを休まないのがポリシーでな、お前さんのためにジムを空けるわけにもいかん」
「そっか、無理言ってごめん」

「がっはっは。じゃが、ジムの挑戦はいつでも受けるぞ。見込みがあるのは間違いなさそうじゃ、磨けば光るかもしれないしな」

「よーし、じゃあ早く行こうぜ、シジマさん!ぜってー勝ってやんだからな!」

「わしまで辿りつけるかどうか、見せてもらおう」

「へ?弟子はとらないんじゃ?」

「ポケモンジムを名乗る上での規約の一つに、後継を指導するために門下生をとらなくてはならんという条項があってな。不本意ながら勝手に修行しとる奴らが住み着いとるんだ。迷惑なことにな、むさくるしくて敵わん。ちょうど一部屋開いとったはずだが、さーて、どうだったかな?」

なん、だと?思わぬ情報に俺は思わず固まってしまう。ってことは改めて思うけど、ハヤトとのジム戦は仕込みだらけだったってことかよ、おい!門下生何してたんだよ、こらー!明後日の方向に吠えた俺にどうしたんだと不思議そうにシジマさんがまゆを寄せた。何でも!とあわてて誤魔化した俺に、にいっと笑ってウインクしてきた。つられて俺も笑ってしまった。格闘タイプのポケモンの極意が知りたいんじゃろう、とこっそり教えてくれる。何処のカッコつけがジムリーダーやってるジムだよ。ジムとジムリーダーの名前が一緒という素晴らしいジムだよなあそこ。ま、冗談はともかく、ありがとうございます!というと、さーてなんのことじゃとしらばっくれるシジマさん。おもしれえなあ、このおっさん。よし、じゃあまずはジム戦で俺の戦い方見てもらって、勝手に門下生名乗らせてもらって数日バルキーの鍛錬に頑張って付き合おう。なんか分かるかもしれない。なんて考えていたら、もうジムの前にたどり着いていた。

「ゴールド、格闘タイプは何故力強いか分かるか?」

「へ?」

「これがわかれば一歩前進といったところだ。じっくり考えてみるといいぞ」

「………!はい!」

シジマさんが去っていく。俺はゆっくりと深呼吸して、門を叩いた。


格闘タイプの攻撃面を考えてみると、技の相性は鋼、岩、ノーマル、氷、悪が良くて、虫と飛行、エスパー、毒がいまひとつ。ゴーストには手も足も出ない。防御面だと虫、岩、悪に強く、エスパーと飛行が弱点。やっぱりゴーストには手も足も出ない。なんでだろうね、ノーマルみたく相互に無効ならいいのによう。金銀から悪と鋼が追加されたもんだから、超攻撃型になったおかげでアタッカーの側面は強化されてきたんだよな。現にHGSSの時点だと格闘タイプのポケモンは二足歩行のポケモンしかいねえわけだし、ダイパまでは物理技しかなかったわけだから。でもダイパからお目見えした特殊技はまだまだ貧弱だし、先制技が特殊の方が上という謎仕様だし意味分からん。もし四足歩行のポケモンがいたとしても、馬鹿力や瓦割りしかできねえし、不遇は約束されてる………ってあれ?そういやトゲキッスはパンチ系覚えたっけ?ムクホークもインファイト覚えるじゃねーか。まあどこでするんだよというツッコミは今に始まったことじゃねえし、いっか。ダイパから技がインフレ化しまくってるからな、後発のポケモンのほうがどうしても有利になる傾向にあって格差があって泣けてくるぜ。まあ、それは愛でカバーってやつで。でもこうして考えてみると、なんで格闘タイプは攻撃面に優れてるんだと聞かれるとすっげー回答に困るなあ。うーん。考えながら進んでみても、答えは出そうにない。考える方向性が違ってんのか?まあ、ゆっくり考えりゃいいか。



俺はゆっくりと門をくぐり抜けた


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