久しぶりの客人は相変わらず頭の弱い女子みてぇな花畑系ふわふわオーラを背負ってやって来た。でもジロくんのすげえところはそれが素だってこと。女子のは十中八九演技だからジロくんのこれは天然記念物にも近い価値があると思う。 「今日はね〜、これとね〜、」 もうすっかりおなじみになった気の抜けるような声色と共にゴツゴツ四角ばった紙箱が鞄からいくつも出てきて俺の部屋のカーペットに転がる。よくこんなに入ったもんだと感心するレベル。うちに来る時はだいたいいつもこんな感じだから、俺はジロくんの鞄が四次元ポケット的な何かなんじゃないかともう三回くらいは疑った事がある。見慣れたラケットバックじゃなくて斜め掛けの小さな丸いボストン。氷帝のボンボン達がいかにも使ってそうな、やたらと高級感漂う皮の鞄とかを使ってるところを見た事が無い。俺はジロくんのそんな所をちょっと気に入ってたりする。 ネチネチといつものガムを噛みながら続々と登場するお菓子の箱やら袋やらを見ていると、ジャーン!とかって見事に頭の悪そうな効果音をセルフで口にしながら、ジロくんは鞄の中からひと際立派な紙箱を取り出した。途端にうっかり力をこめてしまったせいでガムが口元でパンッと弾ける。漂うグリーンアップルの香りの向こうで、ジロくんは白い歯をみせて得意げな顔をした。 「前言ってたやつ、これでしょ?」 「ちょ、まじ、え?」 「丸井くん超喜んでるC〜」 「喜んでるなんてもんじゃねーから!嬉しすぎてキレそう!」 褒めて褒めてと言わんばかりに自慢げな顔でジロくんが差し出したそれはもはや幻と言えるレベルの、予約も数ヶ月先まで埋まってるようなお取り寄せスイーツナンバーワンの店が監修してるスナック菓子で、その話題性もあってか人気すぎて神奈川のスーパーやコンビニじゃ到底見かけない、まあとにかくそんな感じの。おまけにパッケージにはやたらとリアルな栗の絵が描いてある。まさかの期間限定品。俺は慌ててティッシュを引っ掴んで口の中身を吐き出した。ガムとか食ってる場合じゃねえ。 「さっすが東京だな、このへんじゃマジで入手困難だっつーのに。コンビニ?」 「ん〜、わかんない、貰い物だから」 「女?」 「うん、女の子だった気がする」 「さっすがジロくん。麦茶?コーラ?紅茶いれる?」 「コーラお願いします!」 「オーダー、コーラはいりまーす!」 ジロくんがまき散らした大量のお菓子の箱を踏まないように気をつけながら、軽いフットワークで部屋を飛び出し階段を駆け下りた…つもりだったけど、結構ドタドタと足音が鳴ってちょっとうんざりした。今でも自主練したり後輩につきあって打ち合ったりしてるけど、部活現役の頃とは運動量が比べ物にならない。おまけに食う量はもちろん変えてねえからこうなるのは仕方ないことのように思えた。でもテニスと食う事で構成されていた俺の生活からテニスが抜けたんだから、食う事を控えようだなんて考えはこれっぽっちもない。そんなん拷問だろ。 氷を適当に放り込んだコップを二つ、コーラと一緒にお盆に乗せて階段をのぼる。自分で飲み物いれるとかめんどくせえし普段は絶対客にやらせるけど、前にジロくんに頼んだら冷蔵庫前で野垂れ死んだように寝てたからもう頼むのはやめた。心臓にわりぃし。「丸井くんと会うの緊張するからひとりになったらつい眠くなっちゃうC〜」と言って笑ったジロくんの姿はいろんな意味で今でも忘れられない。眠くなっちゃうとかって、生易しいレベルじゃなかった。目撃した側としては完全に行き倒れだった。 台所下りてるあいだにジロくん寝ちゃったかなぁなんて思いながら軽く蹴って部屋のドアを開けると、立て膝で俺の勉強机を覗き込んでいたらしいジロくんが不自然すぎる動作で慌ててしゃがみ込んだ。そして焦ったようにこっちを振り返る。先週弟と教育番組で見た、どんぐり掘り起こしてるところを発見されたリスみてえ。若干気まずそうにへにゃっと笑ったジロくんをあえて無視して小さい丸テーブルにお盆を置く。餌を与えられた小動物のように四つん這いで寄ってきたジロくんにバレねえように視線だけで机の上を見ると、乱雑に散らばってる諸々に埋もれていたはずの写真が机のてっぺんに出されてた。 いつもの爽やかさ以上にやたらと晴れやかな顔をした幸村くんを中心に、テニス部レギュラー全員で撮ったやつ。毎日がとにかく騒々しかった、約一ヶ月前のあの頃に撮った写真。ものすごく大事で、でもなんとなく苦い思いがあって額には飾れなかったから、机に置きっぱなしにしていたんだ。それをジロくんは目敏く発掘したらしい。別に見られて困るもんでもねえから、あんなに気まずそうにすることねえのに。 コーラ冷やしてなかったから氷とけるまで温いぜ。あえて写真やジロくんの行動には触れずにそう言うと、ああうん、みたいななんともぱっとしない返事が返ってきた。それにもあえて触れずに俺はお待ちかねの紙箱に手を伸ばし、中身をお盆の上にぶちまける。 「食わねえの?なら俺が全部食っちまうけど?」 スナックをチョコでコーティングしてあるそれをひょいひょいと口に投げ込む俺とは対照的に、ジロくんはクルミみてえな丸い目をちょっとだけ伏せてだんまりだ。お盆の上が半分くらい見えてきたあたりで、やっと金髪の頭が動いた。何か言いたそうなのは分かってたけど、その顔が予想を遥かにこえて不安げだったせいで俺は少しぎょっとした。おまけに予想すらしてなかったことを聞かれたもんだから思わずどもったのも仕方の無い事だと思う。 「丸井くん、さ。テニス、やめないよね?」 「…え、は?やめねぇ、よ」 「だよね、よかった」 「なに、そんなん聞きたかったわけ?」 「うーん…そうじゃないけど、なんか…」 なんか、ともう一度呟いて、またジロくんはちょっと項垂れた。ジロくんはだいたい死んだように寝てるかあるいは壊れたみてえにテンション高いかのどっちからだからこういう状態は珍しい。だからどう対処すればいいのかよく分かんねえ。つきあいが短いっつーのはこういう時にちょっと不便だ。食べる手は止めずにチョコスナックを摘んで口に放る。ありがちな菓子だけど、一流の店のはやっぱりそのへんの100円コンビニ菓子より遥かにうまい。じんわりと舌で溶けるタイミングが絶妙。とろけるマロンの味を堪能してから、俺は再び口を開いた。 「ジロくんはどうすんの」 「やめないよ」 「ふーん。なんで?」 「丸井くんがやめないから」 「あー…、俺がテニスやめたらどーすんの」 「丸井くんテニスやめないんでしょ?」 「やめねえけど、“もしも”やめたらって話」 「丸井くんはやめないよ〜」 「俺の話ちゃんと聞いてる?」 どうすればいいか分かんねえからとりあえず適当に話をふったら、ジロくんはあぐらをかいた足に両手を乗せて、身を乗り出して俺を見た。さっきよりもいくらか開かれた目はぱっちりと上目遣い。同い年の中学生男子なのに様になってて結構可愛いとかマジうけるとか思ってたらだんだん会話が怪しくなってきた。っていうか会話が成立してない。会話はキャッチボールで成立するはずなんだけど、俺だけ延々と壁打ちしてるような感覚だ。ジロくんはあぐらをかいたまま手を床に這わせ、ズルっと俺の方に近づいてきた。そして今度こそ完璧に覚醒した大きなクルミの目で俺を射抜く。 「だって丸井くんはテニスやめないもん!」 「どんだけ自信あんだよおめーは。そう言いきれる根拠は?」 「俺がやめないから」 「…ジロくんがやめないって言いきれる根拠は?」 「丸井くんがやめないから」 あぐらをかいたお互いの膝小僧がぶつかりそうなほどの至近距離で、ジロくんと俺の成立していない会話が続く。「とりあえず」で始めたはずの話題がなんだか面倒なことになってしまった。目の前の金髪の説によれば、ジロくんがテニスをやめない理由は俺で、俺がテニスをやめない理由はジロくんだと言う。全く意味が分からないようで、でも真理のような気もする。何の筋も通ってないように思えるこの説を提唱するジロくんは異常なくらい自信に満ちてる。さっきまで項垂れてたのがウソみてえ。もくもくと思考に暗雲が立ち込めて何も見えなくなりそうになってきた。だめだこりゃ。 「わりい、俺、ジロくんの言ってることよく分かんねえ」 「えへへ、よく言われるC〜」 「なんでそこで照れんのかも分かんねえわ」 「あ、そういえば新しいポッキーも持ってきてるよ」 「まじかよそれ早く言えよ!食おうぜ!」 もやもやとまとまらなくなった思考をコーラの炭酸でごまかして、近くに落ちてたお菓子の袋を適当に取る。すっかり寂しげになったお盆の上にそのポテトチップスをまき散らす俺のすぐ横で、ジロくんは新発売だというポッキーの封をあけた。疲れた脳には糖分だって相場が決まってんだ。俺はお情け程度に残ってた有名店監修のチョコスナックを二、三個掴んでジロくんの手に乗せた。すっかりマメの薄れた手の平でチョコがころりと転がって揺れる。 思春期の手の平は欲しがりな探検家だ。俺たちはいつだって何かを求めているわけでもないのに手を延ばしてしまう。そこでだいたい何かを掴めちまうもんだから、ついつい引き寄せてしまうのだ。でも元々何か特定のものを探してたわけじゃないから、掴んだ確固としたそれはすぐに要らなくなってしまう。そんな重荷を背負うつもりはないのだ。なのに掴んだそれがフワフワと不確かな物だとしたら、物珍しいそれに気を惹かれて、同じく曖昧に浮かぶ自分と溶け合ってしまいたくなる。俺とジロくんが離れられない理由はそれ。傷の舐め合いにも似てるけど違う。俺たちには傷なんてない。ただ両手があいてるだけ。今までみたいに毎日ラケットを握るわけじゃないから尚更だ。ラケットで埋まっていた片手があいてしまったから。実際俺たちが“こうなった”のは夏が過ぎてからだったから、俺のこの考察はあながち間違ってないと思う。 「それ本気でうめぇよ」 「ねー、おいしいねー!」 「これくれた子可愛い?巨乳?紹介してよ」 「だーめ。俺が丸井くんに女の子紹介するはずないC〜」 「なにそれ俺だけ贔屓とかひどくね?」 「俺丸井くんまじめに好きだもん」 「そういうわりにジロくん女遊びやめねえけどな」 「やめるよ〜」 「へえ、いつ?」 「丸井くんが女遊びやめたらやめる」 「まじ?じゃあ無理だわ。一生このままじゃん」 菓子を食いながら放った俺のこの台詞を聞いて、ジロくんは突然へへへと笑い始めた。下がっていく目尻の様子が一目瞭然。いやいやいや、 「だからそこでなんで照れんだよって」 「だって、一生って。これからもずっとこうやって、一緒においしいもの食べて一緒にお部屋で話してくれるんでしょ?俺、超うれC〜!」 ジロくんは持ってたポッキーを机の上に投げ捨て、勢いよく俺に抱きついた。背中に回された手が俺の部屋着を掴む感触。くっついた胸が少しずつ熱くなっていく。ヘタしたらマジで俺たちは一生このまんまだ。こうやって、一生だなんて言葉を気軽に使えるような、まるで雲のように軽くて不確かで、不真面目でスカスカであやふやな不純に埋没していく。それでいい、それがいい。俺もジロくんと同じように持ってたポッキーをお盆へ投げ捨てた。飽きもせずに嬉しい嬉しいと言いながらひっついてくる金髪を適当に撫でて、パーカーの背をぐっと掴んだ。抱きしめられて抱きしめる。俺もジロくんも筋肉ムキムキってわけではないけど、でも女みたいには柔らかくねえのに、やめられないのは何でだろうってたまに思う。まぁ、手持ち無沙汰だからだろうけど。俺はただ時折、排気ガスとか女の香水で汚れた肺の中身を、この洗剤の匂いで一杯にしてしまいたくなるのだ。旺盛なはずの俺の性欲がそこにはめったに介入してこないから、ある意味どこの女よりも真面目な理由でジロくんを選んでる。 「俺、ほんとに丸井くん好き。ほんとだよ」 「はいはい知ってるって」 「俺やめないから、丸井くんもやめないでね」 それがテニスの事なのか女遊びのことなのか、こうやって時折会ってどこまで本気か分からないような恋人ごっこをすることなのか、あるいはまた別の何かなのか。よくわかんないけどとりあえず返事はイエスだ。何事も迷ったらイエス。あたりまえだろぃ、と言って、俺はジロくん家の愛情いっぱいなせっけんの匂いを窒息してしまいそうなくらい吸いこむのだ。本当はこのまんまなんてあり得ないことくらい分かってる。たまーに、本当にたまに、俺たちはどうなるんだろうて思う事がある。互いを抱きしめ合うこの手にラケットが戻ったら、俺たちはどうなるんだろうか。片手だけになっても縋り合うのか、あるいは。でもそんなこと今はいい。杞憂、ネガティブ、不安、そういうのは俺たちには似合わない。まさか一生だなんて言葉、お互い信じちゃいないけど。 (2012/7/14) |