5月5日 ()
 無駄に快晴


 遊んでくれとせがむ弟達を振り切って家を出るのにもやっと慣れてきたとはいえ、すこし心が痛まなくもない。でも部活を乗り越えれば家で柏餅が俺を待ってる。気温と日射しはひでぇけど、湿度もわりと低めだし今日はいけるかもしんねえ。順応なのか鍛えられたのか、三日目にして活路が見えてきた俺はすこし前向きな気持ちで部室の扉を開けた…と同時に飛び込んできたワカメがドッ、と鈍い音をたてて俺の腹のあたりに直撃した。思わずオエッと声が漏れた。あぶねえ、二日連続で吐くところだった。

「おいバカヤ!なにすんだよカス!」
「待ってたんスよぉ丸井先輩ぃ、見て下さいよ、あれ…」

 眉毛をみっともなく下げて縋り付いてくる赤也の視線の先には、めずらしくもうユニフォームにきっちりと着替えた仁王が部室のパイプ椅子に体育座りをしていた。問題なのは、その指に握られたもの。爪楊枝と思われる小さくて細い棒に、国旗のような…鯉の紙細工が付いていた。仁王はそれを指先でくるくると回している。いや、たしかに今日みたいな日には良く見るアイテムだけど、でもよお。なんでお前が持ってんだよ。
 柳生や真田は支度が終わってさっさとコートへ向かったようだし、ジャッカルはおろおろと、でもすこし哀れみを帯びた瞳で遠巻きに見てる。柳はそんな様子をさらに遠巻きに見つつノートになんか書いてる。そうなのだ、仁王の奇行に対して突っ込んであげるような優しくて気の利くまともな男はこの立海テニス部に俺くらいしかいねえ。暑苦しくへばりついてくる赤也をはがしながら、俺は仁王のもとへ向かう。赤也もずるずると引きずられながらもしぶとく付いてきた。

「仁王、それなに」
「かわええじゃろぉー」
「いやだからそれなに」
「鯉のぼり」
「ヤバいとうとう仁王先輩が壊れた」

 嬉しそうに笑みを浮かべた仁王の口から放たれたその返答を聞いて、隣の赤也がサッと青ざめた。縮こまってコンパクトに椅子の上におさまりニヒルな笑顔を浮かべる仁王。たしかに狂気じみた光景すぎて笑えねえ。

「とりあえず赤也が怖がるからそれしまえよ。つーかどこでそんなん入手してくんだよおめーは」
「昨日ひとりでファミレスで夕飯食ってたら隣のテーブルのガキンチョがくれたんじゃ」
「え、におー先輩ガキにまで同情されてんじゃないスか」
「赤也やめろ、これ以上こいつの傷をえぐるな」

 とはいえ、ゴールデンウィークまっただ中にファミレスで一人夕食を食う仁王を想像したらわりと普通に不憫な気がしてきた。しかも家族は今頃ハワイでバカンスとか、辛すぎる。理想的な連休の過ごし方しやがって羨ましい。仁王はどうでもいいけど俺も連れてってほしい。

「私は鯉になりたい」
「俺も」
「俺もっス。俺が鯉になったら泳いでハワイ行きます」

 心の底から飛び出てきたような切実な、深いようででも考えてみればよく分かんねぇ仁王の願望に思わず同意する。そして赤也のバカ丸出しすぎる言葉ににどこから突っ込もうかと思案していと、柳の「鯉は淡水魚だから無理だな」という声が聞こえた。そういう問題でも無い気がしたけどもういいわ。なんか虚しくなってきた。「…行くか」とコートへ促す俺の呟きに、二人も無言で頷いた。

 そしてその数時間後、俺と仁王はさっきの仁王と同じ形で椅子の上に納まっていた。赤也は体育座りすらできないらしく、椅子に腰掛けて上体をだらりと机に投げ出してる。ギリギリ吐かなかったけど今日もちょっと危なかったです神様。

「マジさぁ…連休って…何?」
「生き地獄じゃ、監獄じゃ。拘束されたまま死ぬなんて御免なり」
「じゃあもう俺と一緒に逃げます?」
「………」
「………」
「………」
「やっべ俺今赤也に惚れかけたわ」
「キャー赤也くんマジかっこいい抱いて欲しいなりー」
「なりーとか言う女子嫌っスよ俺」
「赤也のクセに女選ぶつもりかよ」
「生意気じゃのう」

 赤也に絡もうとしたのか、体育座りの足を崩した仁王が「あ、なんか痛い」と呟いた。仁王がポケットに突っ込んだ手を広げると、ハードな練習のせいか、バッキバキに折れた爪楊枝の鯉のぼりがでてきた。「諸行無常ぜよ」と言った仁王と共に、三人で手を合わせて爪楊枝の鯉のぼりに南無南無しといた。憐れな仁王が今日一日お世話になりました。


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