明日。正しくはあと数分後に、俺は十五歳になる。俺はまた、十五歳になる。




 きっかけは何でも無いことだった。いつだったかの俺の誕生日に、友香里がケーキにろうそくを立てていた。オーソドックスなスパイラルキャンドル。それをさすのは毎年友香里の仕事だと決まっていた。日に日に生意気な女王へと変貌していく妹だが、今は大人しく俺のためにろうそくを立てているかと思うと少なからず心も和む。
 ケーキを前にしてご機嫌のようで、友香里はキャンドルをさすたび鼻歌まじりでそれを数える。四天宝寺のユニフォームカラーに合わせたらしく、黄色と緑のキャンドルがひとつずつ交互にさされていく。最初は黄色。いーち、にーい。その声はどんどんと増えて、姉ちゃんもおかんもおとんも、俺以外は皆友香里と一緒にキャンドルを数える。奇数は黄色、偶数は緑。しーち、はーち。俺もつられて一緒に数えた。じゅうにー、じゅうさーん。そして友香里が最後の一本をさす。黄色の、オーソドックスなスパイラルキャンドル。じゅうご!と響いた声のなかに、俺の声は無かった。恐ろしいというわけでもなく、意味が分からないというわけでもなく、ただ頭が真っ白になった。デジャビュなんてもんじゃなかった。

「くーちゃん十五歳おめでとう!」

 祝福の言葉に辛うじて笑みは返せたものの、俺は息を飲み、言葉を失っていた。去年も黄色のキャンドルから始まり、黄色のキャンドルで終わった。俺はその年も、その前の年の誕生日でも、十五歳になっていた。
 冷静に考えて、何かの間違いなんじゃないかと思った。当然の反応だと思う。というより、目をそらしていたと言う方が正しい。けれど残念なことに、次の年のキャンドルも黄色から始まり黄色で終わった。数はぴったり十五本。俺は何度も十五歳になっていた。



 それを確信した日から、俺はまるで魔法がとけたかのように様々なことに気付き始めた。初めてやるはずの単元の数式を俺は知っていた。見たことのないはずの映画の結末を知っていた。工事中の道が将来的にどうなるのか知っていて、数ヶ月後には俺が思い描いていた通りになった。キャンドルという小さなほつれから、日常はみるみるうちに燃え溶け、崩れた。

 まるでだまし絵かメビウスの輪のように、進んでいるのに戻っている。毎日日々が過ぎているはずなのに、気がつけば元の時点へ戻ってきている。終わりの無い輪を俺はぐるぐると廻っている。俺だけじゃない。冬に白い息を吐きながら「そろそろ卒業やなぁ」なんてしんみりと言っていた謙也は、俺や他の三年と共に卒業しおいおいとダムが決壊したかのように泣き、そして春にまた同じ3年2組の教室へおさまり、「おー、白石も同じクラスや!」と嬉しそうに笑う。しかし当然、人の意思や人格は存在しているようで、謙也も毎回一言一句同じことを言うかというとそうではない。教科書は同じでも先生の解説の仕方は同じじゃない。バレンタインのチョコの数も毎年少しずつ違うのだ。
 それでも、新年度から着る予定だった高校の制服をかけていたハンガーには、いつのまにか元のように見慣れた学ランが掛かっている。何が契機で、いつそうなるのか。それとも法則なんて無いのか。それは分からないが、とにかく俺たちは多少の変化はあるものの、似たような日々をくるりくるりと過ごしているらしかった。

 その現象が誰よりも顕著に現れているのが、カブリエルだった。
 俺が毎年初夏にカブトムシと出会い、そして秋の訪れと共に別れることを、人はいつまでたっても新鮮味を持って迎える。人が口にするのは「なんでカブトムシ飼っとんねん」という言葉で、「なんで“また”カブトムシ飼っとんねん」という言葉を聞いたことは未だない。
 まだ確信が持てなかった頃は、偶然またカブトムシに出会ったのだと思った。しかし色も艶もサイズもいじらしさも愛らしさも、全てが間違いなくカブリエルだった。冬の前に涙ながらに埋葬したカブリエルが、次の夏にはまた部室に現れ俺の指先をしっかと掴む。毎年同じ日付に去ってしまうわけではないが、しかしカブリエルは確かに死に、そして確かにまた現れるのだ。それはまるで永遠の命のように思えた。繰り返すのなら、一度の別れは死ではないとさえ思ったこともあった。
 恐怖、懐疑、焦り。繰り返される日々の中、色々な感情が脳内を駆け巡って、暴れ回り、そして冷えた。変化を変化と捉えなくなった自分がいた。執着というものを忘れそうになる自分が居た。
 それでも俺という存在に頼り、ただひたすらに生きるカブリエルを愛しく思った。全身全霊で愛情を注ぎ育てたパートナーにも近いカブリエルとの別れはいつも俺の心を貫くし、それに対して涙を流せる自分を確認して、今年はまだ大丈夫だと胸を撫で下ろす。たかが虫と言ってしまえばそれまでかも知れないが、しかしそれは自分にとっては確固とした死なのだ。いつか死すらも当然に受け入れられる自分になってしまう日が来るのではないかと、俺は内心怯えていた。その死を悲しめる自分でありたかった。生きるということを、命というものを尊く思える自分でありたかった。カブリエルと出会い、そして別れる度、俺は生きることを見直した。



 規則正しく訪れる日々の中で俺を一番追いつめたのは、やはりテニスだった。俺たちは敗北を喫し、庭球部と掲げられた部室を去ったはずだった。謙也や小石川、ラブルスと師範、そして時に千歳をも巻き込んで、財前が率いるテニス部をフェンス越しに冷やかしていたはずだった。なのになぜか、俺たちはまたユニフォームを着込んでラケットを握り、コートの白線の中に居るのだ。白石部長、と名を呼ばれ、違和感を覚えながらもそれに慣れてしまった自分がいた。

 府大会、関西大会と順当に勝ち進み、そして全国。全国大会の数日間だけは例え何度繰り返しても、やたらと、恐ろしいほどにとびきり濃厚な時間を過ごす。そしてその濃密さに恐ろしくなる。部活を引退してから過ごす一ヶ月のスパンが、全国大会の一試合程度に匹敵するほどだ。それだけ俺の中で、テニスの比重が大きいのだと怖いほどに痛感する。そんな俺の前にはいつも、天才不二周助が立ちはだかった。
 俺が負けるまでずっとこのままなのではないかと、ある時そう思った。俺の思考の多くを占めているのはテニスであると言って良い。俺の人生に影響を与えるものがあるとするならば、それはテニスである可能性が非常に高い。そして不二戦は、ループを繰り返す俺の、中学最後の試合だった。ならば、負ければこの永遠に続くと思えるような得体の知れないループから抜け出せるのではないかと考えたのだ。それはまだ状況が把握できず困惑の渦に居た当時の俺にとって何より魅力的なものであるはずだったのに、俺は相変わらず、何度も青学の不二を相手に辛くも勝利をおさめた。どうしても、自ら負けを選択することができなかった。というよりも、選択権は俺に無かった。「負けさせてくれなかった」という表現が正しいかもしれない。俺は自分で思っているよりもはるかに負けず嫌いだった。

 だらだらと生きていたわけじゃない。戸惑いはあれど、手を抜いたことなど一度もなかった。俺は確かに努力を重ねてきていたし、自分のテニスに自負があった。そろそろ名前をちょっと豪華にして国産天然木製円卓ショットくらいに改名してもいいんじゃないかと思うくらいまで技を磨いても、不二は必ず返してくる。喰らいついてくる。震えるほどの思いを剥き出しにして、俺に真っ向からぶつかってくる。負けるだなんて、できるはずもなかった。
 次に控えている漫才ダブルス。何かと無駄に速い金髪、毎年懲りずに退部する巨人、やたらお人好しの副部長に、自分に厳しく模範の坊さん。減らず口の天才少年、いつまでたっても言うことを聞かないゴンタクレ。そして俺を部長にしたオッサン。馬鹿らしくなるほど濃ゆいメンバーの顔が頭をよぎって、そこでいつもぐぐ、っと背筋が伸びてしまうのだ。俺ひとりの敗北で、今までの「勝ったもん勝ち」が水の泡になる。それは部長になった時から、避けなければならないと思っていたことだ。そして何より、その日まで重ねてきた自分の努力を裏切ることができなかった。勝たなければ意味がないのだと知ってしまった、中学二年の夏を思い出す。ずいぶんと昔のようでありながら、まるでつい昨日のようだった。俺は先輩達のすすり泣きと立海の勝利を讃える歓声のなか、ただ呆然と立っていた。その自分を救ってやりたかった。その思いを後の、金太郎にさせたくなかった。チームに勝ちが必要だった。
 そして俺は「決して折れぬ心」のユニフォームを着て、不二を相手に勝利をおさめる。何度繰り返しても辛勝。けれど勝ちは勝ちだった。その度に、どうしようもない高揚を覚えてしまう。ここが俺の居場所だと、これこそが俺の使命だと、血が煮えたぎって叫ぶようだった。この神経がすり減る思いを経て、そして一年後にも。

 同じようで、いつも違う。夏が来る度、俺は息を吹き返す。より永く命を伸ばしてあげたいと願い、より強くあろうと努力する。明日が来ることに怯え、そして同時に期待を持った。繰り返す日々のなかで、同じ自分ではありたくなかった。明日は今日より良い自分でありたいと思った。


 毎年十五歳になって、いつの間に十四歳に戻ったんだか知らないが、俺はまた十五歳になる。いつまでこれが続くのかだとか、もしかしたら俺も皆もいつまでたっても老けないんじゃないかとか死なないんじゃないかとか、無限に切れぬ恐ろしく膨大な時間に思いを巡らせ愕然とすることもあったが、鬱鬱としたところで残念ながら状況は変わらなかった。ならば受けて立とうと思った。何歳になるのかが問題なのではない。ただ、誰しもに平等にやってくる新しい一年間が、俺にとって、そして俺と共に居るすべての人にとって、どうか実り多き良きものであるよう、俺は手を抜かず真摯に向き合っていたいと思う。一分一秒も無駄にしたくなかったし、そうしないのが俺という人間なのだ。

 あとすこし。毎年毎年0時を過ぎた途端に届く仲間達からのメールで不憫なほどにけたたましく震えるだろう携帯の前で身構えていると、予想に反して電子音ではなく人の声がした。おさえられた「せーの」というかけ声がしたかと思えば、部屋のドアが突如開く。パンパン、という破裂音と共に目前に舞う色とりどりの紙吹雪。目が回りそうなほどに眩しいその景色の向こうで、見慣れすぎた面子の大半が弾けんばかりに笑っている。

「来てもーた、来てもうたでぇ!おばさんに言うたら開けてくれてん!」
「蔵リンの部屋相変わらず綺麗やわぁ〜」
「相変わらずて何やねん浮気か!」
「広か部屋ばいねえ」
「なあー、買うてきたケーキはよ食べようやぁ!」

 謙也やらラブルスやら千歳やら金太郎やらが勝手に口々喋りだす。深夜にも関らず容赦ないテンションに俺は一瞬呆気にとられた。そしてすぐに我に返る。

「こら、近所迷惑やから、声の音量落としたって」

 俺の言葉を聞いて初めて気付いたらしい面々は、はっと自らの手で口元を抑えた。金太郎だけは気にせず勝手に大量のビニール袋の中身を漁っている。それをやんわりと咎める銀さんに、やれやれといった表情で見届ける小石川。そして詰まらなそうな顔をしながら、俺の方へ携帯のカメラを向けてくる財前。もーちょい嬉しそうな顔できひんのですか、なんて可愛らしい憎まれ口を叩いてくる。

 そんな見慣れた景色をみて、俺はなんだかおかしくて笑った。
 0時に誰より速く俺へメールを送ろうと思い、興奮して大人しくしていられなかった謙也がコンビニへ出たらたまたま財前と会ったらしく、そこにまた偶然小石川まで現れたらしい。そこで謙也のテンションがあがりきり、人を集めて俺の家へ襲撃しようとの流れになったようだ。そう説明し終えた謙也は、すうと大きく息を吸ったが、その横ですかさず小石川が口元に人差し指をあてた。謙也は「そうや、あかん叫ぶとこやったわ」と苦笑いしながら、せぇの、と小さく言葉を漏らす。それを見守っていた面々もすぅと小さく息を吐いて、俺の目の前でそれを告げる。

「誕生日おめでとう!」

 八つ揃ったその言葉。何度も繰り返したはずの4月14日が、酷く特別なもののように思えてきた。途方も無い時間のなかで、俺たちはしっかりと意思を持ち今日も生きている。今まで過ごしてきた時間、これから過ごすであろう時間。無限のなかのほんのひと瞬きかもしれないそれも、決して無駄ではないのだ。最初は恐ろしく感じたこの繰り返しも、今となっては慈しめる。家族と、そして仲間と呼べる人達と共にいることのできるこの状況を、ただ不幸だと呼ぶのは相応しくない気がした。十六歳になることと、大切な人達の側にいれること。どちらが良いのか正しい答えは知らない。ただ今の自分と人生を、幸せだと感じることができる。今日という日を愛し、明日という日も好きになれる。

 去年はひとり、バイブの止まない携帯と共に部屋で迎えた誕生日。今年はバイブが聞こえないほどにやかましい、息苦しくなるほどたくさんの宝に囲まれて、俺はまた十五歳になった。


(2012/4/14)