ひとりの少女を愛したが故に罪人となってしまった教師柳生が面会室にて友人へ語る罪の独白。

教師柳生 × 女生徒仁王パロ
他の男も出てくるので地雷なしの方推奨




 彼女は冬の娘でした。みなしごです。私たちが出会ったのは、春のことでしたから。誰しもが浮き足立っていましたよ。新しい季節を、新しい生活を誰もが歓迎していました。新入生は糊の効いた制服を風に翻していましたし、二年生は厳めしく澄ました瞳でそれを見ていました。ほんの一年前まで自分たちがそうであったというのに、おかしな話だとは思いましたが、学生の頃の一年というのは社会に出てからの何年にも匹敵するものなのかもしれませんね。…ええ、そうです。私は新任でしたから、少女達ひとりひとりのことを詳しくは知りませんでした。けれど襟元に付けられた校章を模したピンの色で学年だけは分かります。三年生ともなれば慣れたもので、仲の良い友人たちで連れ立って掲示板へ向かっていきました。女が三つ揃って姦しいと書きますが、まさにそうです。敷地内を所狭しと揺らめく少女達の流れは、何かのパレードのようでした。短なスカートをはためかせ高い声を響かせる様は、少女たちを実際の年齢よりもずっと幼くみせました。少女というのは喉に鈴が入っているのでしょうか。ころころと、とにかく良く笑います。初々しい、絵に描いたような春でした。

 けれど、彼女は違った。その時、私は彼女という存在を目にしたのです。彼女の周りにだけは、冬の気配が寄り添っていました。葉を落としながらもひとり立つ冬木のようでした。しかし次の瞬間、私の瞳は違う光景を映しました。目が合いました。春雷。そう、雷に打たれた心地でした。恋をしたのです。彼女は冬木ではなかった。花でした。現実の春は途端に色あせ、彼女だけが冬野に咲く花に見えました。散る桜が安っぽい紙くずの吹雪に見えた。少女達のパレードは途端に下卑た売女の集団行進へと姿を変えました。その中でひとりきり立つ彼女は、強く、凛々しくも、悲しかった。深い瞳が私を必要としていた。確かにそう見えました。夢想家の着せた幻想だと笑いますか?

 …いえ、失礼。あなたは笑いませんね。昔から、人にからかわれ易い私の話を、あなたは今まで一度も笑わないでくれました。特に、恋の話では。学生の頃、私もあなたも愛を知らぬと揶揄されたことがありましたね。図書室にこもってばかりの本の虫だと言われていました。けれどあなただけは私の恋を知っていた。そうです、シェイクスピア、ハムレット。私の愛読書です。実在しない女性に惚れ込んでいた私をあなたは一度も笑いませんでした。けれど、彼女は私の中のオフィーリアを容易く殺しましたよ。オフィーリアは死してなお花のように美しい。だからといって、目の前で息をし、刻一刻と姿を変える花には勝てるはずもありません。あんなにも焦がれたオフィーリアは、今となっては空想の淫女です。この言葉だけで、私にとって彼女がいかに清く眩しかったか、あなたにはお分かり頂けるでしょうね。


 彼女はとても聡い方でした。一度目を合わせただけで、私の恋心を見抜いたようでした。いえ、本当にそうであったのかどうか、私には知る術がありません。人の心は、特に女性の胸の内は男には分かりにくいものですから、私が何を言ってもそれは憶測にすぎません。美しい花には棘があります。彼女は、そう、例えば大和撫子だとか、そういう類の方ではありませんでした。ただの興味で私に近づいたのかもしれません。あそこでは若い男の新任など、珍しい存在でしたから、彼女にとっては恰好の玩具だったのかもしれません。けれど私にはそんな事、大した問題ではありませんでした。…そういえば、初めて出合った春の日から、そして離別を迫られたあの日まで、彼女は一度だって校章のピンを付けていたことがありません。だから私は彼女が何年生であるのか分からなかった。まるで私の恋心を焦らすかのように、彼女の姿を拝む事は困難でした。随分と手こずらされましたよ。まさに私という遊具で暇をつぶしていたのでしょうね。

 彼女にとってあそこはさぞや退屈な空間であった事でしょう。彼女がピンをつけない理由は、他者から定義付けられることを嫌ったからです。カテゴライズされることに強い嫌悪感を抱く彼女に、学校は適さない。縦にも横にも鎖ばかりです。縛り付け、型に押し込もうとする、自由なままでは生きられない、刑務所のような場所だったことでしょう。刑務所。今この言葉を例えとして使うのはすこし不思議な心地ですね。私はもうずっと永い間、教師になることを切望していました。このことももちろんあなたは良くご存知だ。教育は国の宝です。私はその一端を担いたかった、今でもその気持ちは変わりないつもりです。けれど再び彼女を前にした私の心は、そのような事では止まりもしなかった。私は確信していました。一輪の冬の花を愛でるために、私は生まれたのだと。例え、その花が私だけに愛でられるため生まれたのでないとしても。


 聖女。彼女は私にとって清く輝く唯一の女性でした。ですが、私と情を交わすようになった彼女が果たして誠実であったかどうか、お話しする必要があるでしょうか。少なくとも私にとっては、あまり心地好い内容ではありません。けれど、そうですね、これも良い機会ですから、あなたにも聞いて頂きたい。
 初めて迎える冬のことです。彼女が制服の上に羽織っていたのは、驚くほどに上質なコートでした。真っ白なウールのピーコートです。一介の学生が着るにはとても値しないような、私なんかでも一目見て分かるほどに仕立ての良いものでした。だからこそ、悔しいほどに、彼女に似合っていたのです。ダブルフロントのボタンにあしらわれた碇のモチーフには、見知らぬ男の束縛心が確かに刻まれていた。私の心は震えましたよ、嫉妬にね。

 素敵なコートですねと私は言いました。半分は本心で、もう半分は本心ではありません。彼女は微笑を浮かべましたよ。男性から貰ったのだと言いました。私を試す笑みでした。自惚れるわけではありませんが、彼女は私という玩具を気に入っているようでした。だからこそ、私で遊ぶのです。私のような堅く面白味のない男の嫉妬心を煽るのは、彼女の格別気に入っていたお遊びでした。

 物事は彼女の思う通りに運んだでしょうか。私はすぐに彼女へ贈り物をしました。真っ黒なダッフルコートです。わざわざ言う必要も有りませんが、女性に何かを差し上げたのは初めてのことでした。それから冬を二度迎えましたが、もう彼女は私の前で白いピーコートを着ることはありませんでした。私の知らぬ所でそれを着ているのだとしても、私にとっては大した問題ではありません。ただのコートだと笑いますか? …いえ、あなたは笑わないで下さいますね。とにかく、私の贈った黒いメルトン生地は、彼女の白く肌理細やかな頬を、首を、四肢を、より一層引き立てました。その事実だけで私には十分です。フードに流れる彼女の銀糸は、天空の織物を彷彿とさせました。この世のものとは思えないほどに神々しかった。彼女の手によって木製のトグルが麻紐のループをくぐるたび、私たちの縁が結ばれていくのだと信じていました。私の心は踊っていた。春に浮かれる虫のように、眩いものを目指して飛ぶばかりでした。だから、このようなことになってしまったのでしょうか。


 あなたはどうお考えでしょうか。そもそも、世間には十も二十も歳の離れた夫婦が当たり前にいるというのに、なぜ私たちが恋をしてはいけないのかが私にはどうも分からないのです。相手が子供だからでしょうか? いいえ、彼女は子供ではなかった。少なくとも私にはひとりの女性でした。ポリシーもなく流行りの化粧ばかり施す女達より、彼女の方がずっと女性です。男に右を向けと言われたら右を向くような女より、よほど。彼女の意志と自恃は大人と呼ぶのに十分すぎるほど相応しい。あなたはかつて自分のスタイルを確立している女性には惹かれるものがあると仰っていましたから、この点に関してはいくらか同意が得られるのではないかと感じています。

 では、身体が子供だからとでも言うのでしょうか。それもおかしな話だとは思いませんか。女も男もいつから大人になるというのでしょう。明確な変化など初潮くらいしかありません。初潮を迎えたら女だというのならば、わたしの妹は十二歳で女になったということになります。急ごしらえで作ったのでしょう、おかずが洋食なのにご飯だけが唐突に赤飯だったものですからよく覚えています。…ああ、すみません、話が逸れてしまいましたね。つまり、子供と大人の境を女性における初潮だとすると、ずいぶんと早く少女は女性になります。もちろん彼女はとっくに女です。その判断基準が間違いだというのなら何が正しいのでしょう。なにを持って、大人とするのか。

 男だって同じです。少年と男の違いは何だと言うのでしょうか。稼ぎがあること? 仕事があること? では仕事のない者はいつまでも恋をしてはいけないということでしょうか。…いいえ。恋は、人を選びませんよ。人を選ぶのは人です。人が人を選ぶのです。互いに選びあった者同士が愛し合ってはいけないだなんて、そんな…、そんな馬鹿なことがありますか。

 年齢なんて、なんだというのでしょう。それをいうならば私のほうが彼女よりよほど子供だった。我を忘れるほどに恋をしていた。ただ彼女が愛しかったのです。


 だから、口付けをしました。私の車の中でです。朝には降っていなかった雨が突然降り出したので、彼女を送り届けようと思ったのです。送り狼だなんて古い言葉がありましたね。そんなつもりは毛頭ありませんでしたよ。どちらかといえば蜂が花に止まるのと同じように、です。大げさな例えでしょうか。いえ、その時たしかに私にとって死活問題でした。彼女に口付けをしなければ死ぬような気がした。彼女といるときはいつもそうです。二人きりでは彼女にどこか触れていなければ生きている心地がしなかった。愛の証のトグルとループにこの指先で触れれば、背筋を幸福が駆け抜けていきました。白いシャツを穢す昂揚感を、あなたは知っていますか。しかし、人目を忍んで人を愛すというのは大変なことですね。だからこそ、人目がない時くらいは、神も、月も、空気も、何もかもが私達から目を背けて下さると思っていました。実際に、彼らは私を見逃してくださったのかもしれません。けれど人間は私を許さなかった。障子でなくても目は至る所にあったようです。一生世話になることはないだろうと思っていた制服を着た男達が、私たちを引き離しました。

 ああ、本当に、間抜けな話ですね。私は愛に翅をもがれた愚かな蜂です。その後は瞬きをする間もなく、今ここであなたとお話をしています。最後に見た彼女の瞳を、私は今でも毎夜思い出します。いいえ、毎夜ではありません。何時でも、何分でも、何秒でも、いつなんどきもあの瞳を思い描いています。彼女は出会った日と同じ目をしていました。孤独の色です。冷たい野に咲く美しい冬の娘。彼女は確かに私を必要としている。それが私のすべてです。素直に言えば、かつての夢を呪っていますよ。私が教育者でなかったならば、こんなことにはならなかったはずです。人間は、世間は私を犯罪者へと貶めました。花を愛でただけの私を、あまりにもつめたい牢へと引きずり落としたのです。あなたはここに居る私を見て、どう感じましたか。私の話を聞いてなにを考えましたか。どのような思いで私を見ているのでしょうか。




 ずいぶんと長くなってしまいましたね。貴重な時間を使ってお付き合い下さりありがとうございました。なんだか心が晴れたような気がします。人に話すことによって、私の愛が本物であるということを改めて思い返すことができました。あなたにとっては、残念なことでしょうが。…私を、説得しようと思っていらっしゃったのでしょう。あなたは本当に私の良き友人です。私が兼ねてから教師になりたいと切望していたことを知っています。それを、叶えた夢を、このようなところで手放すわけにはいかないと気を揉んで下さったのですね。そうでしょう。私を改心させ、弁護を担当しようとした。そうでしょう、そうです。

 ありがとうございます。あなたは昔からどこか冷たく見えて、その実とても優しい人でした。しかし弁護の件に関しましては、お断りさせて下さい。私に弁護などは必要ないのです。私に罪はありません。ただ恋をしました。人を愛す幸せを知っただけのことです。手にした幸福を易安と逃すほど私も耄碌してはいません。どの蜂だったでしょうか。確か針に返し棘のある種がいましたね。…ああ、あなたは変わらず物知りだ。そうです、蜜蜂。蜂の一刺し、ですね。一度刺した針を無理に抜こうとすれば、蜂はそのまま死に至る。そういえば、ヒトの男性器も返し棘に似た形を有しているとは思いませんか。…この話はよしましょう。


 とにかく、今の私にできることは、彼女に会えない暫しの暇を、試練だと思い耐え忍ぶことだけです。愛に障害は付き物だといいますから、大した事ではありませんよ。あなたには他にいくつも仕事がおありでしょうから、私みたいな者のことは良いのです。物事に白黒をつけようとするあなたのお仕事は確かに正義ですが、私にも私の正義があります。正義の裏が悪であるとは限りませんね。そのことを私は最近よく考えるのです。答えは恐らく、ひとつではありません。そして愛は、正義にも悪にも属さない。どうにも御し難いものです。愛は無罪です。たとえ何人の男の翅を引き千切っても。かつて夢ばかり追う堅物で愛を知らぬと揶揄された私たちですが、あなたはその事を、もう知っているのでしょうか。私は知っていますよ。生きた年月は愛の妨げになどなりません。まして、法律など。罪の意識など必要ありませんよ。人を愛したことを、悔い改める必要などない。そう思いませんか。
 本当にありがとう、柳君。私はあなたという友人がいることを心から嬉しく思っています。ほとぼりが覚めたら、また会いましょう、必ず。その時はもちろん、彼女も呼んで。冬のうんと寒い日が良い。辺りが凍りついている時ほど、ひとり咲く花は美しいものですから。


 あ、お待ち下さい。最後に良いことを思いつきました。
 どうです、口約束のついでに、ひとつここで予測をしませんか。いつかのその日に彼女が、私の贈った黒いダッフルコートを着てくるか、あなたの贈った白いピーコートを着てくるのかを。例えば、彼女が私たちの見知らぬグレーのコートを着て来たとしたら、私たちはどうしますか。…よしましょう、これも、無粋な憶測の域をでませんからね。


花と蜂 (2013/02/03)