「雪菜」
「ッち、がっ……」
違う、違う違う違う違う。こんなの私じゃない!やめて、違う!違う、のに……!
認めたくなくて、ひたすら感情を否定し続ける。でもどんなに撤回しようとしてももとには戻れなかった。どうあがいても、これは私の生み出した氷泪石だ。足下に増えた質量と、声にならない自分の声がそれを物語っていた。
「雪菜。どうして泣くの」
そんなの私にだってわからない。感情を収束させる方法も、悲しみのすべての元凶となった氷女(わたし)たちの涙の枯らし方も。一度あふれた涙はとまらず苦しくなるほど押し込めていた私の心をとかして私の足元を鳴らし続けた。
一向に泣き止む気配のない私に泪さんは少し苦笑する。もうこれ以上娘の涙の理由を問うのは得策でないと、母親なりに悟った。
「あなたに泣いてもらえるなんて。ねえ雪菜、私は本当に幸せ者ね。私はあなたに殺して貰わなきゃいけないのに、うまくいかないもので……今は、死ぬのがつらいと思ってしまったの。あなたと一緒に居られなくなると思ったら、やっぱり生きいてたいって思ってしまったのよ」
「嘘よ。だって泪さん、こんな状態でここにいるのがあんまりつらくて、私に隠れていつも泣いていたじゃない」
「まあ、見られていたの。でもそれは違う、嘘なんかじゃないわ。確かに私は自分で思っていたほど強くはいられなくて、この身をふがいなく思ったのは事実だけど……涙を流したのも自分自身に嫌気が差したからであって、むしろ私にとってはあなたの存在が支えだった。氷女としての生き方を円滑にすることとか、周囲とどう折り合いをつけるかとか……そういうことは、あなたと居られさえすれば問題ではなかったのよ」
「でも、私を育てたのだって罪滅ぼしのためで!それはただ私といることじゃなくて、その行動自体に、意味があっ、て、」
でも、だって、だけど。思わず出る言葉は逐一優しい言葉を否定しかけるが、自分が想像していた悲しいシナリオに修正する意味なんてもうない。彼女の語るそのままが真実だ。それは今まで共に過ごした時間こそが裏付ける。言いながら、自分が自分の思った通りにしか事実ととらえられていなかったことに気づかされた。口をついて出ることばに自分でも違和感を感じて脳が次々とエラーを吐く。
「はじめの動機は不純だったかもしれない。でも私は今、雪菜を本当に愛してるわ。誰かに、そんな資格はないと言われたとしても。それじゃ駄目かしら」
私にはその言葉で十分過ぎた。もう涙は際限なく溢れてきてしまって、言葉なんて発せるわけもなくて私は立ち尽くす。今の今まで幸せを幸せとも思わずに憎しみだけに暮れてきた。どうしようもなく愚かな自分が悔しい。精一杯の強がりで泪さんから目を逸らしてみても、冷えたやさしい手が私の頭を撫でるから、私はただしゃくりあげながら深く頷いてみせた。
兄さん、あなたはまだ泪さんを憎んでいるかもしれません。泪さんを殺したいという気持ちを絶やさずにいるかもしれません。でも、私が泪さんを殺すことはできなくなってしまいました。
ごめんなさい。こんなに私を愛し続けてくれた人を、これ以上憎むことはできません。
私の肯定を見届けた泪さんは、またあの優しい笑顔を浮かべて、ありがとうと言った。
「雪菜」
「……」
「本当に、私を殺さなくていい?」
「私がここを出て行くのを本気で阻止しようというのなら、考えます」
「ふふ、じゃあ選択肢は一つね」
「泪さん」
「なにかしら」
「ちゃんとまたここに帰ってきます。その、たまには」
「待ってるわ。気を付けてね」
「それから……私も」
「え?」
「ええと、行ってきます」
いたたまれなくなって慌てて走り出す。最後に言いかけたことは言葉にこそならなかったが、きっとあの人ならわかってくれているに違いない。首から提げたふたつの氷泪石を見ると、そんな憶測もやけに真実味を帯びたように感じるのだ。
私は、兄を探しに行く。
To be continued.(←)
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