「戸愚呂さん、だったでしょうか。これ、あなたに預けておきます」
「新しい氷泪石か」
「垂金が帰って来たら、それを渡してください。きっと馬鹿みたいに喜びますから」

 先程まで部屋の外から感じた息づかいは、もうすでに聞こえなくなっている。何事もなかったように男が部屋を出て行って数分後、それまで辺りに潜んでいた大勢が遠ざかる音を聞いてから、それっきりだ。

「そっちのは……ただの人形なんだろう」
「そう。こっちの私はいわば私の妖気を切り出して固めただけのものです。返事くらいはするかもしれませんが、泣いても氷泪石は生まれません」

 指を切り落とした左手は、火傷を優先していたらしばらく元には戻せないだろう。別に生身じゃなくていいから補充は利くけど、肌と違う材質の代替品は慣れないから嫌いだ。

「非道いねぇ。餌の味を覚えさせておいて、あとはどうにでもなれ、か」
「人聞きが悪い、先に仕掛けたのはそっちでしょう。……やっぱりあなたに任せるのはお門違いだったかもしれないですね」
「主人は氷泪石を渇望している」
「……呆れます。あなたって本当に真面目」
「命令があったならそれを間違いなく遂行する、それだけだ」
「裏を返せばそれだけとも言う、」

 話せば話す程おかしな奴だと思う。一見忠実なようでいて、自分の主義に反するならば水面下で主人に手の平を返すことを躊躇わない。信頼を置く配下が何を考えているかは主人には関係ないのだ。ただ従順でさえあればいい。たとえそれが表向きだけの話であっても。

「それと……お願いがあります」

 ここを出る前に、もうひとつだけ頼んでおかなければならないことがあった。

「身辺管理の担当、変えてもらえますか?」
「構わないが」
「どこかの誰かさんみたいに、主人のコレクションを逃がそうだなんて、ヤケを起こしそうにない人を」
「あんた、不器用だね」
「誰がですか」

 不器用っていうのは、ハンカチもろくに巻けない人のことを言うの。

「生きていなければ確かめられないことは、たくさんありますから」

 私が逃げることは、男の死を意味する。そのためにわざわざ不自由してまで指を捨てていくと言うのだから、私も神経がふれてしまったものだとつくづく思う。
 男は自分の命に無関心になり過ぎた。妹の存在が不確かになるにつれて、彼は日常に疑問を抱きはじめていた。彼は私を逃がすことが自分の目的だと錯覚してしまった。彼になまじ近い私の境遇が災いしたのだ。だが、それは錯覚にすぎない。一度逸れた目的を元に戻すのは、レールを曲げてしまった私自身の責任だ。彼はまだ死んではいけない。かつて待ちわびた日を迎えるまでは。

「それじゃ、御主人によろしく」

 ……まったく、同情してるのはどっちなの。



To be continued.()

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