同日の夜中。決行を決めたのは唐突だった。特に期日を決めていたわけではない。だが不思議と、今が最善だという判断に迷いはなかった。
 右手の側面を、左手の指の付け根に宛がう。手を滑らすことに恐怖はない。これから少し不便を伴うだけだ。
 添えた手を引く。引けば四本の指がばらばらと床に散らばった。人差し指に巻かれていたハンカチが解ける。赤黒い血がこびりついた布切れだけを床から抜きとった時、その一連の動きを見ている存在に気付いた。

「な……に、やってるんだ」

 信じられないものを見る目で床に散らばったそれを凝視する。瞳はゆっくりと私を追い、さっきまでそれがあった場所を捉える。
 今は夜中だったはずだけどなあ。世話係が訪れるような時間ではないが、不思議と冷静に判断している自分がいて、突然の男の訪問にも動揺することはなかった。無視して、落ちた指を拾い集める。

「また、なんかで…切った…のか?」

 親指だけが残る手の平に、集めた指を乗せていく。多分この男の目に映る私はさぞかし狂っているだろう。だがそれを認めてはいけないという理性が働いたのか、私の口から、最もらしい、その所業がまるで事故であったかのような理由が語られることを期待していた。
 私からすれば、それは、通路を通ってきたときと同じでただの妖気の分割に過ぎなかった。だが目の前の男の頭にそういう理由が過ぎることはないだろう。彼と私の常識が違うことを思い知らされるのは、これで二度目だったと思う。
 今度ばかりは男が私に駆け寄ることはない。怪我をした他人を見捨てられる性格でないことはこの数日間で理解していた。だが今私が纏うものは明らかに男を拒絶している。男はそのことを感覚的にわかっていた。駆け寄りたくとも駆け寄ることを許さないと表現するのが妥当だった。

「今見たことはすべて忘れて、出て行ってください」

 有無を言わさない目に気圧され、男はその場に縫いつけられたように動かない。視線は私の手の平から私の眉間に移っていた。後退する余裕はあるはずだ。近寄らせこそしないものの、出て行くことを阻害しているわけではない。

「もう一度だけ言います。ここから出て行ってください」

 それでも男は動かなかった。纏うものはそのままに、私は男に歩み寄る。

「出て行って」

 もう三度目になる言葉を、はっきりと呟いた。言葉選びをすることに疲れていた私は、要件だけを繰り返す。

「それとも今、ここで死にたいですか」

 はやく私を「異質」と認めてください。妖怪の私は、あなたが助けなければいけない存在ではないことを、自認してください。妹と私を重ねて自分の正義感を遂行しようとしていたことを後悔してください。
 頬に閃光を走らせると、男を縫い付けていたものが解けた。男はようやく「……悪い」とだけ言うと、身を翻して部屋から出て行った。
 私は色のない目をしていたと思う。とにかく男が再び戻って来さえしなければいいと思った。男が何のために定刻以外に此処を訪れたか、私は知らなくていい。垂金は今日、旅行に出ると聞いていた。










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