「ここは……」

 目を覚まして一番に視界に入ったものは、コンクリート造りの冷たい一室。椅子が一脚置いてあったが、そのほかに生活感のある家具は何もない。

「夢?」

 寝た場所と起きた場所が違うっていうのは夢落ちの定石だったか。ならばもうひと眠りして現実に帰ろう。
 再び眠りの世界に戻ろうと瞼を閉じ、数分。今度は床が硬くて眠れないという状況に陥った。背中とか、両肩も、腰だって痛い。もう、夢のくせに変に感覚がリアルなんだから……えっ。

「痛い」

 痛覚があるということはこれは夢ではないようだ。ではこのおかしな状況は一体何だというのだろう。
 夢じゃないと自覚した途端に視界がクリアになった。先程は簡略な部屋の造りと椅子にしか気付かなかったが、この部屋の異常さを示すものが、それだけではなかったことを認識する。
 高い位置に備えつけられ、鉄格子のついた窓に、外付けの錠前が施された鉄製の扉(あとで開けようと試みたが、鈍いガチャガチャという音が返ってくるだけだった)。なにより、部屋じゅうを埋め尽くす勢いで貼られた呪符。呪符は結界の役割を担うタイプのものだった。まるでこんな、幽閉されているかのような。

「……まっさかぁ」

 昨日の行動を思い起こす。人間界に来て、変な男に会って、わからないことを考えて考えて考え疲れて、その日は下手に動かず休むことにした。あれは確かに森の中だったはず。タイヤ跡を見失わないように、轍からさほど離れていない場所を選んで木に体を預けて……。
 昨日の時点であの轍は新しいものであったし、また人間がそこを通る可能性も十分にあった。人間、という言葉で、昨日あの男が置いていった忠告が頭を過ぎる。さあっと血の気が引くのを感じた。冷静になればなるほどわかる、自分の落ち度でしかない。あの男も、お節介を承知で念のため言った程度のものだろう。私はもちろん、余計なお世話だと一蹴したのだが。
 今は悲観している場合じゃない。ここから出ることを考えよう。まずはこの部屋中の呪符をなんとかしなければ。
 落ち着いて考えれば、突破するものはこれだけで良い。見張りの妖怪に気付かれなければ、脱出も困難を極めはしないだろう。とりあえず、見張りの妖怪の数を把握する。動きがあったときのために、ぎりぎりまでばれないように慎重な行動も心掛ける必要がある。妖気の所在が散り散りになっているところから見て、建物自体はかなり広い敷地のなかに立っているようだ。数は、1、2、3……

「!」

 誰か来る。妖気は感じない。人間か、あるいは、能力を悟られないようコントロールできるような、強い妖怪か……。
 壁の向こうで、重い錠前の外れる音がした。軽い地響きを伴い、重い鉄の扉が開く。部屋に入ってきたのは、醜悪な容姿をした小太りの男だった。表情に男の下衆さがにじみ出ている。周りに数人、ボディーガードと見られる男が立っている。

「気が付いたかバケモノめ。いいか、お前は今日からワシの道具になる。ワシには理解できはしないが、お前ら氷女の涙は金になるそうじゃないか!お前には、これから毎日休まず泣いてもらうぞ!」

 道具だとか毎日泣けだとか、理解の範疇を超えている。高そうなスーツもごてごてとした宝飾品も、着用する人間を選べないのが哀れでならなかった。着ている本人からはおよそ品位と呼べるものが欠片も感じられない。

「そうだ、ホレ今ここで泣け!ワシの前でその宝石とやらを生み出してみろ!」

 会話による平和的解決を図ろうとかそういう感情が一切死んだ。無論、醜悪面した男の発言に対しても無視を決め込む。そもそも関わり合いを持つことが間違っている。視界に入れたら負けだ。

「泣けと言っているだろうが!強情なバケモノめ。まあいい。そんな態度でいられるのも今のうちだ。おい、あれを用意しろ」

 ボディーガードのうちの一人が、ここに用意がございます、と懐から一枚の呪符を取り出した。小太り男はそれを奪いとり私に近付く。

「ホレ、これが何だかわかるか。呪符だぞ呪符!お前らのような汚れたバケモノは、こんな紙切れ一枚に触れるだけで、熱〜い焼印を押されたようなヤケドを負うそうじゃないか!それ、泣き喚け!涙を流せ!!」

 小太りの男は私の右腕を取ると、思い切りよく呪符を押し付けてきた。じゅうう、と嫌な音を立てて、私の皮膚が溶ける。その瞬間、私のなかで何かがぷつんと切れた。

「なんだ、その反抗的な目は!泣けと言っているのがわからないのか!」

 一向に泣く気配のない私に、小太り男はその毛むくじゃらの腕で私の顔に殴りかかる。椅子と繋がれていた私は、椅子ごと床に倒れた。奴は興を削がれたと言わんばかりに、騒々しい足音とともに部屋から出ていった。

「……ありえない」

 復讐は何も生まないどころか次なる復讐を生むだけの無益なものである。重々承知しているが、ただ今回はこのまま穏やかでい続けること自体が無理だった。
 まあ、ああいう人間は生きてたところで周囲を不快にさせるしか能がないんじゃないかな。とかなんとか言い訳を残しておく。

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