―――、

 歌い切ったボーカルの満足げな表情が、拍手を背景にアップで映った。見届けたあと、朝から一日中開きっぱなしのパソコンを動作終了する。首を鳴らす。これが今年の仕事納めであった。世間には数日前から休暇の雰囲気が漂っていたが、システムの総責任者ともなれば早々に年末年始を休み倒すわけにもいかない。自慢じゃないが、あずかりシステムはそれだけ世間に浸透しているサービスなのだ。

 電子音が途絶え、惰性で点けていたテレビの音だけが部屋に残る。今年も白組が勝つのだろうか。徐ろに椅子から立ち上がり、伸びをしながらキッチンへと向かった。気付けば今年も残すところ二時間を切っている。あとは年越し蕎麦でも食べて大晦日をシメよう……もちろん、買い置きのインスタント蕎麦で。寂しい奴なのはわかってる、けど口に出したらそこで負けだ。

「こんばんは、年越しソバお待ちしました」
「誰も頼んでおらへんがな」

 年越し蕎麦のつゆを飲むかどうかで迷っていると(なにせ正月太りのスタートを切るか否かが掛かっている)、玄関先でインターフォンが鳴った。22時過ぎ、しかも連打で。迷惑極まりない。

「まあまあそんな事言わずに。うどんじゃ年は越せませんってね」

 現れたこいつは、即席のカップ蕎麦をふたつ両手に掲げたままずかずかと押し入ってきた。

「やだー、もう食べてるじゃん。持ってきたやつ味比べしたかったのに」

 唇を思い切りとがらせたナマエの鼻先は赤くなっていた。指摘すると怒るから、敢えて言うことはしない。同じく持ってきた蕎麦がインスタントであることについてもだ。なんだかんだ言いながら、仕事の終わりを見計らって来てくれること自体はありがたいのだ。一人暮らしの家といっても、年末は騒がしいくらいが丁度良い。

「箸つかってるからね」
「事後報告までおおきに」

 今更なことを言えば、ナマエの辞書に遠慮という文字はない。当たり前のようにこたつに潜り実家のように3分を待っている。一人分とは思えない量のお湯を沸かしたナマエは、案の定卓上のカップをふたつとも開封していた。なんというか……煩悩だらけ。食いしん坊万歳。これは除夜の鐘をきっちりと聞かしておかなけらばならない。

「そろそろお腹がキツくなってきた」
「お前何しに来てんねん」
「年を越しに」
「はあ」

 ナマエが目線でもう食べられないと訴えてくるので、満腹手前のまま片方のカップ麺を啜る。渋々とはいえ食べてやる自分も自分だ。来年は流されることのないようカタい意志を持った人間にならなくては。ニビジムのリーダーのような男になること、これが来年の抱負だ。

「あ、かき揚げは食べないでね。最後の楽しみだから」
「あーハイハイ」

 とっておきを最後まで残して食べるのはナマエの性格でもある。だがかき揚げはさくさくの衣こそが魅力ではないのか。個人的にも、すっかり出汁を吸い込んだ天ぷらには正直あまり食欲をそそられない。どちらかと言うと自分はさくさくしているうちに食べ切ってしまいたいクチだから。宣言通り、ナマエはべしゃべしゃのかき揚げを幸せそうに食べた。既に食べ終わっていた自分はその様子を眺めて、間抜けな顔してんなぁと思った。

「今年もあっという間だったねぇ」

 紅白の進行もいよいよ終盤にさしかかる。ナマエは食べ終わった蕎麦のカップも箸もほったらかしにして、こたつに手を突っ込んだまま番組を眺めていた。女性歌手の歌うバラードに合わせ、ゆらゆらと首を揺らす。

「なんや一年ってえらい早いな。結局今年もやり残したもんがぎょうさんある」
「ふーん、マサキにもやり残すようなことあるんだ」
「当たり前やろ、わいかて人間なんやから。そう言うお前は何かあるんか」
「まぁ、あるっちゃあるかな。今のところ」
「今のところ?」
「まあ今年もまだ一時間くらいあるからねー」
「一時間て」

 屁理屈めいた返事に呆れていると、ナマエがテーブルの上にあった蜜柑を手にとった。暢気に蜜柑なんか食べているこいつが高々残り一時間で何を消化するというのやら。

「今季初みかん、年内に達成ー」

 消化していた。

 減っていく蜜柑の山とは裏腹に、チラシで作ったゴミ箱は皮で埋まっていく。去年は蜜柑のストックが年明け三日後までもった記憶があるのだが、このペースでは年明けの買い出しは避けられそうにない。こたつ、蜜柑、テレビが揃って初めて正月は正月みを帯びるというもの。祖父譲りの厳粛なこのルールが蜜柑抜きの正月なんぞ認めるはずがない。

「あれ、なにこれ?こたつの中」
「それはわいの足。……痛たたたたた解ってから踏まんといてや痛てててて」
「はいー今年のウラミも消化ー」
「何のこっちゃ……ほんまに勘弁したってや」
「やだねーっ。だいたいマサキは働き過ぎなんだよ。別に働いてもいいけどね、少しは身体にも気をつけなきゃ駄目。過労死しちゃうよ」

 はい、ビタミンC。目の前に蜜柑が置かれる。気の抜けた声を茶化す気はどこかへ消えてしまった。もちろん常々改善するつもりではいたのだが、自分は確かに没頭というものの限度を知らない。忙しさを言い訳に体調を押すこともままある。

「なに勝手に殺してんねん」
「あはは」

 ただ自覚しているだけのことはあって素直にハイ気をつけますと言えるような自分ではないから、適当なようで随所で気持ちをほぐしてくれるナマエにはよく救われていたりもする。こうしてみると、ものごとに真摯でないのは案外自分の方なのかもしれない。
不服かどうかはさておき、もらった蜜柑は素直に剥いて食べるのが筋だ。踏まれた足も引っ込めるのをやめて、上に乗っかったままの足の踏み台になってやる。

「おもくないの?」
「そんなにな」
「ふうん」

 こたつの中の足がもぞもぞと動く。おさまりの良い場所を見つけて止まる。さて、新年の買い出しはどこのスーパーに行こうか。どうせならまとめ買いがいい。きっとこいつもついてくるだろうから、多めにだって買い込める。口に放った蜜柑はいつもより少しだけ甘く感じた。

▲▽▲▽

「次、行く年来る年ね」

 紅白がフィナーレを迎えたあと、チャンネルの先の地では今まさに鐘を衝くというところだった。除夜の鐘を聞いたナマエが煩悩を浄化できますようにと祈った。これで自分は今年できる全てを終えた。やり残しがあったとはいえ、振り返れば中々充実した一年だったと思う。「A●BとK-POPの揃い踏みと聞いた瞬間から紅組の勝利を予知していたのだよ、リンゴ様もいるし」誇らしげに言うナマエは、傍らで少し眠そうな目をしている。呂律が怪しくなってきた。お互いに日付越え程度でダウンするような年齢ではないはず。しかし仕事で疲れているのもまたお互い様のようだ。

「別に無理して起きてなくてもええねんで」
「いいのー、日付が変わる前には絶対寝ないから」
「そーか?まぁもうすぐ変わるけど」
「うん」

 気付けば、今年もあと数分を残すだけとなっている。正直言って、仕事がら暦もなにもないような自分は季節に従うイベントごとがあまり好きではない。しかしいざその時が近づいてみれば、説明できない何かに胸を掻き立てられてしまうのも事実だ。ボケーっとテレビを眺めていた自分も、デジタル時計の表示が59分になってからは、途端に浮いた空気に侵される。大人になったって楽しむときは楽しむのだ。

「ナマエ、ちゃんと起きてるか?」
「起きてるよ」
「もうすぐや。もうすぐ」

 年端のいかない子供はとっくの昔に卒業した。なのにこうしてはしゃいでしまうのは、誰かと過ごす年越しが久々だからということにしておきたい。ナマエは想像以上に眠いらしく、相槌こそ打ってはいるが時計をじっと見てばかりでどこか応答が味気ない。
年が明けたら、まずは泊まっていくかどうかを聞いた方が良いだろう。そうこうしているうちにも時間は刻一刻と迫っていた。明日はもう目の前に迫っている。

「ほらしゃんとせな、あと10秒」
「うん」

 こうして一年が終わる。糸目になるナマエに苦笑して、彼女が意識を手放してしまわないように目の前に回った。ナマエは自分が責任を持って明日に届けよう。はち、なな、

「数えるで」

ご、よん、さん、にい、

「誕生日、おめでとうね」
「え?」

 秒読みは原点で終着し、テレビの向こうの人だかりが歓声をあげる。スロー再生を錯覚するような数秒の間に、今年が、いや去年が終わった。唐突に開かれたひとみに気をとられて、ゼロをカウントし損ねた唇はぽかんと開き、取り残されたままでいる。

「ナマエ……覚えてたんか?」
「うん」
「わざと」
「あれ、嬉しくなかった?」

 言葉を濁す自分に勘違いしたのか、「そういやプレゼント用意してなかったもんなぁ……」ナマエはこたつに寝そべり覇気のない声でつぶやく。違う、むしろ逆だ。気持ちに表情が追いついていかない。わざわざこのタイミングを待っていたのか。あのまま終わるとばかり思っていた。大晦日が誕生日だなんて。当の本人ですらも忘れかけていたようなものなのに。

「違う違う、嬉しいわ……ほんま」
「そう?良かった。私も嬉しいなぁ、ちゃんと最後に言えた」

 最後に、という言葉はやけに影響力をもって響く。自惚れを疑うなんてレベルの話じゃない。特別扱いもいいところだ。それもとびっきりの。

 ブラウン管の向こうの世界では、優しく頬を濡らす雪のなか、抱き合う人、握手を交わす人、恋人の頬へキスを落とした人もいる。ひょっとしたら、こんな間抜けな顔で年を跨いだのは世界で自分ただ一人かもしれない。
口許を押さえる手を外せなくて困った。これは喜ぶべき誤算だ。きっと、自分はこれ以上ないくらいにだらしない顔をしている。

「決めたわ、ナマエこのあと元朝参り行くで」
「ええー……寒いし眠いしだるいし………でも行く」

 まだ年が明けたばかりなのに、頭は既に今年の終わりを期待してやまない。言葉にすればきっと現金だって笑われるんだろう。

「マサキ」
「ん?」
「今年もよろしく」
「うん、よろしゅう頼んます」

 テレビの電源を切ろう。賽銭は小銭入れにたくさん。着ていくためのコートは、実はクローゼットから出してある。


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HAPPY BIRTHDAY DEAR MASAKI!
2011.12.31



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