例えば、一歩下がって彼を見ているとき。それは仕事に打ち込む姿であったり、好きなポケモンを饒舌に語る姿であったり。ひどく心地よさを得るときであるとともに、その手に触れたいと望む自分に気付く瞬間でもある。待ち合わせ場所へ向かう寒空の下、思い出したようにそんなことを考えた。

「ほな行こか」
「あ、うん」

 服装と髪型と、靴とカバンと……、とっておきを選んで、鏡で十回は確認をしたそれらも、いざこうして街に赴いてみるとまだまだ改善の余地があるような気がしてならない。選んだ靴におさまった爪先を軽く睨んだあと、はぐれないようにといつもより少しだけ距離を縮めて歩いた。

 街には往来をせわしなく行き交い、擦れ違っていく人達。その一人一人がそれぞれをどう目に映すのか、それは私の知るところではない。だけど年頃の私達が隣同士を歩く姿は、少なからず浮ついたものとして映っているように思う。それが何だか照れくさくて、ちょっぴりくすぐったい。人の流れにのらない彼の歩調は、私に合わせてゆるやかだ。普段とは違って、視線を上げれば横顔を覗くことだってできる。言葉少なの会話も、そのぎこちなさが今日は嬉しい。込みあげてくるものが顔を出さないように、私はまた唇を引きむすんだ。

「今日は寒いな」
「うん」
「ナマエ、どっか行きたいとことかあるか?好きな場所言いや」
「ううん、とくに。歩きながら考えていい?」
「なんや、ほんまにしゃあないなぁ……そんなん言うと思っとったわ」

 少し呆れたように彼が笑う。冷えた空気がほんのりと和らいだ。つられて私も笑う。伝染する空気が心地良い。

 多分、本当に行きたいところなんて、こんなとろけた頭で考えたって思いつきはしないだろう。極論一緒にいられるのなら、向かう場所なんてどこだっていいのかもしれない。ただ、それを正直に言わなかったのは、人ひとり分開いた空間が、まだそのことばを口にできるほど甘い距離ではないように思われたから。代わりにふうと浅く息を吐くと、街の空に高く白く舞い上がって消えた。気を抜いたせいか、ふいに肩に掛けた鞄が人にぶつかる。よろめいた私は歩みを進める彼の後ろへと取り残された。

「大丈夫か?あぶなっかしいな」
「うん、大丈夫……ありがとう」

 彼は私を振り返った。私の無事をみとめると、自然な動作で鞄を奪う。背中の代わりに視界に入った彼の心配そうな顔に、現金だと思いながらもほっとしてしまった。流れの止まる歩道で誰かが舌打ちをする。彼が苦笑して道を空け、私もそれに倣う。

「ちょっと、悪いよ」
「平気平気」
「だって重いでしょ?色々中にはいって――」

 投げかけた言葉の終わりすら待たずに、するりと手を取る音がした。次いで指先は彼の細く長い指に絡めとられ、右から左へやわらかな力がはたらく。そのまま磁力に引き寄せられるようにして、手のひらが向かい合った。あ、距離、が。

「行きたいとこ、ゆっくり考えたらええよ」

 彼はずるい。伸ばしていた指がこわばる。入る力をほどこうと緊張を緩める努力をすれば、一度、また一度と隙間の埋まる感覚がした。言いかけた言葉がはじけて消える。胸のあたりがあまく疼くのがわかった。嫌に照れくさい空気のなかで可愛げのある笑みを返すことなんてできなくて、代わりに曖昧に空を掻いていた指先を、私のものではない手の甲にくっつけてみた。触れているのはほんの一部のはずなのに、ひとまわりもふたまわりも違うてのひらが覆う感覚それだけで、心を直接包まれているような気さえした。

(……好きだなあ)

 口に出すのは躊躇われても、内側でならいくらだって言える。彼に手を引かれる感覚を初めて知った脳は、こっそりと言えない言葉を繰り返した。顔を上げることもできないまま泳がせた両目は、無意識の裡に繋がれた手のひらを追いかける。繋がれた不釣り合いな手は、なんだか余裕たっぷりの毛布をかぶっているみたいに見えた。気付いて温度を上げた頬の熱が沸点を迎える。ああ、これから何時間も一緒に居るっていうのに、こんな状態じゃ心臓はもたないかもしれない。なんて、恥ずかしいことを考えているのがそこから伝わっていなきゃいいんだけど。

「……言うとくけど、今日1日このままやからな」

 タイミングを図ったかのように口をひらいたかと思うと、彼が私のそれごと右手を持ち上げた。指先の赤が目に入って、思わずうつむいたままでいた顔を上げる。いつもと変わらずやさしく、でもどこか楽しむような瞳。それが正面を切って私の目の前にある。向かい合わせの軌道がぶつかって、かちりと音をたてた。

「決まらんかったらそれでもええわ。ナマエと居てるし、手、あったかいしな」

 これは偶然?でもそれにしては神様、随分と意地がわるいと思うの。





(心臓が破裂するのと今日が終わるの、どっちが早いかな)




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