お行きなさいの設定だけを都合よく引き継いで派生させた別物です。こちらのふたりは付き合っています。
















「また随分と派手に手当てされたもんやな」
「お陰様で。全治1ヶ月ちょいって言われましたよ」
「そら偉いこっちゃ。そないな怪我して、腕、肩に吊らなくて大丈夫なん?」
「手首にヒビはいっただけだから部分的な固定でいいらしくて。でも中途半端に怪我人って感じで嫌んなっちゃいますよ。包帯もぐるぐる巻きですし」
「せやなぁ、医者も変な所で念入れ過ぎやと思うわ。じぶん、エビワラーみたいに見えるで」
「……それ、女の子に言う台詞ですか?」


 招き入れた彼は心なしか嬉しそうに見えたけど、それは彼から見た私にも同じことが言えるんだろう。私は私で、マサキくんと居られるのは楽しくて、ちょっぴりどきどきする。

 怪我は体調に響くものではないから、私はそれなりに元気で毎日を過ごしているつもりだった。だけど利き腕の自由が利かないもどかしさは常につきまとうわけだし、こうして怪我に気を遣ってくれる人が居ると居ないのとではやっぱり違う。なんにせよ、居心地の良い相手の厚意を受けて、私が少なからず胸を踊らせていることは確かだ。


「なんか、折角来てくれたのに食べながらですみません。さっきちょうど朝ご飯にするところで」
「ああ、あんま気にせんといて。わいはもう朝済ましてますし、変な時間に押しかけてもうて、かえって迷惑やったやろ。遠慮せんと食べてくれはったら、これでおあいこですわ」


 お見舞いに来て貰った手前、彼をほったらかしにして食事をとるのはなかなか気が引ける。私がスプーンをテーブルに置いたままで居ると、見かねたマサキくんがにこりと笑い、手振りで私に食べるように勧めてくれた。少し申し訳ない気持ちになりながらも、彼がお互い様と言ってくれたことに安心して、私はほかほかと湯気をたてるリゾットに口を付けた。

 彼が他愛のない話を口にしはじめて、私はスプーンを口に運ぶ合間に気楽な相槌を打つ。彼は話をやめずに私が皿の中身を減らしていく様子を見ていたが、絶え間なく話し続けていたはずのマサキくんが、ぴたりと急に動きを止めた。


「……ナマエはん、片手じゃ食べにくいとかあらへんの?なんならわいが食べさしたろか」
「え!」
「うん、それがええな。ほなスプーン借りるで」


 唐突過ぎる提案に私の思考は一瞬停止する。彼は自分のアイデアに自画自賛すると、かちりと固まった私の左手からスプーンを抜きとり、トマトスープの海を掬い上げた。


「ほら口あけー」
「え、と」
「あーん」


 口元に迫るスプーンと彼の顔を交互に見やって、私は心の底から慌てふためいた。何か言おうと開いた口はからからに乾いて、意図した言葉も声にならない。じわじわと火照る顔の熱さに耐えかねた私は、弾かれたように席を立った。


「わ…、私!着替えます!」
「なんや、残してまうの?」
「熱すぎるので、先に着替えて冷ましておくんです!」


 説得力のない言い訳と共にざかざか席を離れる私を見て、眉尻を下げた彼はへらへらと笑った。虚しくも彼の手に取り残されたスプーンは、空中で所在なさげにしている。じゃあわいもひと口、と聞こえ、へっと声を上げた時には、スプーンは既に口に運ばれたあとだった。


「んー、めっちゃうまい!ナマエはん右手使えへんのにまぁよくこんなうまいもん作りよるわ。尊敬するで」
「……!」


 間接キスと彼の言葉でカッと顔があつくなるのを感じ、言うほど熱くもないねんけどなと彼が笑いながら付け足したのはほとんど耳に入らなかった。それはただの作り置き、と弁明する気すら失せて私はへたりとソファに寄りかかる。冷ました方が良いのはリゾットなんかではなくて私の体温だ。

 ソファに預けた体からは力が抜けてしまい、そのままずるずると床にへたり込む。最後すとんと床についたお尻が痛かった。一連のやりとりに疲労感を感じなくもないが、宣言してしまったので、とりあえず洋服を着替えることにする。しかし、そうは言っても、ワンルームのこの部屋に目隠しとなるような空間はない。トイレはあるけれど、手負い状態の私が狭い空間で着替えることはかえって難しい。彼が部屋に居るからと着替えを躊躇ったが、下着の上にキャミソールを着ていることを確かめて、部屋着のくるみボタンに手を掛けた。


「……あれ」


 指先でボタンをつまみ、いつもするように親指で押し上げたが、うまくホールから外れてくれない。何度か試してみたけれど、あともう少しというところでどうしてもつっかえてしまう。外そうと思えば思う程ボタンは頑なに出口に引っかかり、ようやく通せると思った時にも、起き上がりこぼし状のそれはころんと定位置に戻ってしまうのだった。留めるのは楽なのに、外すのがこんなに難しいだなんて……五体不満足になってはじめてわかる地味な困難とはこのことか。両手を使えた当時を懐古しつつ燃え尽きて真っ白になっていると、背後から何とも言えない視線を感じた。


「……ひとりで出来ますからね!」
「いや……まだなんも言うてへんけど」


 確かに彼は何も言っていないが、目は口ほどによく物を言う。いたたまれなくなった私は、勢いで言わなくても良いことを言ってしまった。よくわからない虚勢を張る私に苦笑し、彼が手助けを申し出たのはそれからほどなくしてのことだ。

 ぴしりと気をつけの姿勢で立たされた私は、目の前でかがんでいるマサキくんを見下ろした。伏した睫毛をこのアングルから見るのは、正直言ってかなり照れくさい。ちなみに言うと、こんなことをしてもらうのは幼稚園に入園する前依頼だ。しかも当時のお相手は、幼い私が全信頼をおく、私の母親であった。


「……なんやナマエはん、ばっちり中まで着込んでますやん。抜かりないわぁ……。男のロマンちゅうもんをもうちょい理解してくれはってもええと思います」
「マサキくん、着替えを手伝いたいんですか、それとも叩かれたいんですか」
「いやいやジョークやてジョーク!かんにんやで、ほらこれでボタン全部ですさかい」


 当然母親でもなくその前にひとりの男性である彼は、予想を裏切らない反応を返し見事に私の怒りを買った。ぱっと手を離してそそくさと逃げる彼をじとりと睨んだあと、あんまりこっちを見ないでくださいねと念を押し、壁に向き合う。後ですこし我儘を言ってやろうと思ったのは言うまでもない。

 下手な脱ぎかたでは手首に激痛が走るので、そろりと袖を抜いてから、器用に体をひねり、重力にまかせて部屋着を脱ぎ捨てる。ボタンさえ外してしまえば、ここまでは比較的楽な作業だ。問題はここから。自分ひとりではないからあまり適当な服装にはなれない。私は面倒と困難を承知でクローゼットの洋服を取り出した。


「……」


 ……まあ、そうですよね。実際現実はそんなに甘くない。ついでに言っておけば、骨に走る激痛は、切り傷に消毒液が染みるなんて痛みの比ではない。数分間の奮闘のあと、私は袖に左腕だけを通した可笑しな格好で立ちつくした。こんなとき、母が居てくれたらと切実に思う。深い深い溜息を吐いて振り返れば、あまり見ないで欲しいと忠告したのも忘れてしまったのか、にこにこと笑みを浮かべて此方に視線を向けていたマサキくんと目が合った。


「……マサキくん」
「何か困った顔したはるな」


 わかっているくせに白々しいことを言うのはやめて欲しい。何も知らないとでも言いたげな口元にむかっ腹を立て、フイと顔を背けて私は不快感をあらわにした。それなのに彼は、私の拙い感情表現に頬をしどけなく弛ませて「ん?」だなんて呑気な応答を寄越してくる。もともとあってないようなプライドが跡形もなく崩れ去っていく気がして、すこしだけ泣きたくなった。今まであまり意識してこなかったけれど、どうやら彼は、少しばかり、意地が悪いみたいだ。

 私がいつまでもモタモタしていては、彼が美味しいと言ってくれたリゾットは解決を待つ前に冷めきってしまう。もしかしたら、私の代わりにと彼が器の中身を食べてしまうかもしれない。(それはそれでちょっと嬉しいけど、と思ったのは内緒だ)彼は、ぐっと押し黙ったままの私を相変わらずの緩み顔で眺めている。いつの間にやら、片手には私のスプーン。食べる気満々じゃないか。選択を迫られた私はとうとう、残った恥を、犠牲にした。


「……やっぱり、手伝ってください」
「しゃあないなあ、ナマエはんがそう言うなら」


 ふたつ返事で了承すると、彼はわざとらしく頭を掻いて席を立った。まんまと策に嵌ってしまったような後味の悪さはあるけれど、もとよりどうしてもできないことではなかったのだ。存外ぽっきり折れてしまう私は、ただ単に素直じゃないだけなのかもしれない。苦し紛れに唇を尖らせてみたけれど、着せた服を整える手が近くに在るのがやっぱり嬉しかった。




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