「おっまえ……ええ加減に理解せんかい!無理して取るな言うとるやろ!」
「えへ」

 床に散らばる白い破片。その中央で棒立ちになるわたしは、現在絶賛ご立腹の彼に一切の身動きを禁じられています。わたしの手には、無残にも粉々になったお皿たちの生き残りが一枚。食器棚のお皿を取ろうと背伸びをし、気付いたときにはこの有様。命を絶たれた哀れなお皿たちは、彼の骨ばった指が丁寧に回収しております。お皿にのりきらない程の罪悪感を毎度のように抱えながら、繰り返してしまうのはわたしの悪い癖だ。小さく舌を出したら怒られた。話を茶化すのも悪い癖だ。

「絶対動いたらあかんで」

 恋人のひいき目を抜きにしても、彼は大変よく出来た人間だと思う。普段から注意力に乏しいわたしが面倒事を起こす度に、彼の面倒見の良さを目の当たりにしてきた。彼の人となりは、わたしが折り紙付きで保証する。しかし彼の言葉通り、この光景を繰り返したのは一度や二度の話ではない。せっせと手を動かす彼の眉間にシワが刻まれているのも納得がいく話だ。

「えーと、ごめんなさい?」
「腹の底からギッチリ反省しとけ。お前はわいの寿命どこまで縮ましたら気が済むのやろな」
「う……」
「一緒に住んどったら、いくつ命あっても足りるかも分からんわ」
「わかってるよ!ごめん!とりあえず指切らないでね!」
「……」

 原因を作ったわたしを咎めるように、マサキは眉間のシワを深くする。怪我を心配しての言葉であったが、発言の主がわたしでは甚だ説得力に欠けていた。辺り一面のまきびし状態じゃなかったら、矛盾の指摘と共にデコピンを食らわされていたことだろう。

「あほ、切るかて」

 たっぷりとした沈黙を挟んでいた所為か、わたしは最初何を言われたのかわからなかった。それが先程の言葉に対する答えだと気付いたのは、咀嚼してからのこと。ひきつり気味の表情こそ変わりはしなかったが、ぼそりと呟いた言葉はわたしを安心させるのに十分過ぎた。本当に、律儀に答えてくれるよなぁ。これだからわたしはマサキから離れられないし、離れたくないって思う。

「ほら、もう動いてええで」

 掛け声を合図にその場を退くと、硬直していた脚が喜ぶのがわかる。やれやれと立ち上がろうとするマサキに後ろから抱きつき、言い忘れていた「ありがとう」を言った。

「ほんまになぁ、手のかかる……」

 溜息混じりに振り返ったマサキの表情からは、不機嫌を現す色はすっかり消えて無くなっていた。頭をぐしゃぐしゃと撫でられ、わたしは起き抜けのようなボサボサ頭になる。だけど不満なんてひとつも無い。

「どうせナマエの身長やったら届かんのやさかい、はなからわいに頼んだらええのに」
「集中してたみたいだし、声かけて中断させちゃうのも悪いかなと思ったの」
「そんならそうと、椅子使うとか……他にも方法あったやろ」
「わかってたけど、うーん……さすがに今回も割るなんてことはないだろうと思って」
「ほんまに呆れるで……お前学習能力おかんの腹ん中に忘れてきたんとちゃう?」
「そんなことないよ」
「ナマエが言うても説得力無いわ」
「……」
「頬膨らかしたってあかんもんはあかん。そんなんやと、そのうち不幸してまうで」
「今幸せだからいいんだもんねー」
「そら良かったな」
「うん、良かった。マサキがいるもの。こうやってちゃんと叱ってもらえてるし、今だってどこも怪我してないしね。ふふ、正直わたしってマサキのおかげでまともに生きてるんじゃないかなって思うよ」
「自覚あるんや」
「もちろん。それに、マサキはわたしに優しくしてくれるでしょ、ときどき辛辣だけど。マサキに頭撫でてもらうの好きだし、一緒に居て楽しい」
「……」
「普段あんまり言わないけど、わたしはマサキと居られて幸せなんだよ。あれ?なんか顔赤くな……むぐっ!」

 覗き込もうとすれば、背中に腕を回され、勢い良く引き寄せられた。マサキの肩口に顔が埋まりいささか変な声が漏れる。

「どしたの?急に」
「知らん知らん。ああ、わいが知るか」

 顔を上げようとしても片手で抑え込まれて、いよいよ表情を伺う余地は無くなってしまった。そのまま顔を正面から胸板に押し付けられて、息がしにくい。置かれたままの手に、頭を後ろに引くことは諦めて、もぞもぞと顔を横にずらした。

(……あ、)

 息苦しさから解放され、酸素と共に流れ込んできたもの。シャツの胸元にぴたりと合わさった耳がひとつの音を拾い上げた。距離はなく、空気が入る隙間さえ許さない。肌と布と、それだけを媒介として、不規則な拍動が直接脳に響いてくる。自分のそれよりも随分と駆け足なリズムに、わたしの口元はゆっくりと弧を描いた。

「えへへ」
「なにを笑とんねん」
「えー、なんでもないよ」
「おかしなやつやな」

 おかしい?それはこっちの台詞だよ。顔を見せたくなくて抱き込んだんだろうけど、脈がいつもより早いから照れてるのがバレバレだよ。だけど言ったら絶対離されちゃうから、口には出さないことにした。赤いであろう彼の顔を想像すると、ひとりでに笑みがこぼれてくる。これでいて、わたしも少しは考えられるようになっていたらしい。近い未来、凝りもせずに忠告を忘れお皿を割ってしまうわたしは容易く想像できるけど、自分に起こった小さな変化に喜ばずにはいられない。マサキはわたしに学習能力が無いって思い込んでるみたいだけど、わたしだって、ちゃんと考えて行動できるようになってるんだよ。だからわたしは、おりこうに、静かに黙っていることにするの。このぬくもりが、しあわせが、簡単に逃げていったりしないように。




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