マサキのお母さんは傾聴の達人だ。私の鬼なおかんと違ってくだらない話もつまらない愚痴も歓迎という雰囲気で聞いてくれるのでついつい話し過ぎてしまう。私の家のすぐ隣のマサキの実家。今日はやつから徴収した空のタッパーを片手にここを訪れている。容器は一度洗ってあったものの、ほんの少しの汚れ残りが気になって洗い直してしまった。本日こぼした愚痴は、早朝出勤が続いていて寝不足ぎみだとか、うちの上司は鬼だとか、母の私に対する扱いが酷すぎるだとかエトセトラ。

 コガネからヤマブキへ。私はリモートワークが普及している時代に逆行してわざわざ遠方からオフィスに出社をしている。自分が子供のころでは到底考えられないような距離だけど、二都市間は現在リニアが繋いでくれているおかげでずいぶんと行き来がしやすくなった。通勤手当が出ない代わりに家賃は浮くし、家事に気を使わなくていいことでずいぶん精神的に楽をさせてもらっている。
 私の初めてにして唯一のポケモンであるラッタのこともある。まだまだ元気でいるけど確実に年老いてきてはいて、できるだけそばに居てあげたいと思っている。
 転勤がない職種であるため引っ越しを強制されるようなイベントもなく、結果、数年経った今もずるずるとこの生活は続いているのであった。

 もちろん、家を出てカントーに家を借りようかと考えることがないわけじゃない。私は正直言ってホワイトな企業に勤めているとは言い難い。慣れもあって基本的にはそれほどの不便は感じていないけど、何かトラブルがあるたびに帰れなくなりジョウト住みを嘆くことはしばしばだ。
 最近は少しずつ給与が上がってきたこともあり、引っ越しの費用が無理なく用意できそうなくらいの余裕はある。家を出て自立しろという母からのプレッシャーもあるので、一人暮らしの可能性が少し現実味を帯びてきているところだ。

 通勤の利便性でいえばヤマブキか、その近隣の街になるだろう。比較的家賃相場の手頃なクチバ、ハナダあたりに的を絞って物件を探してみてはいるが、そこからはあまり進展していなかった。予算と希望のバランスがなかなか噛み合わないこともあって、いまだしっくり来る部屋には出会えていない。予定は未定のまま、時期を引き延ばし引き延ばし今に至る。

「なるほどね……それなら」

 だから、突然「マサキの所から通えばいいじゃない!」と提案されて思わず間抜けな顔を晒してしまった。一方のマサキのお母さんはといえば、我ながら名案を思いついたという風な満足顔で、指折り指折り同棲のメリットを数え上げている。ちょっと前にも似たようなことを言われた気がするけど、どうしてそうなるんだ。ああそういえば、この人たちはそもそも親子なのであった。

 だけど、家賃がかからないというのはとても魅力的だし、通勤するのにもそこそこ便利が良い……いや、メリットに目が眩んで思わず具体的なイメージをしてしまった。危ない危ない。目先の甘い話に乗せられて安請け合いなどするものではない。

 面倒見の良い彼女のことだ。成人済みとはいえ息子の体調やら食生活やらを気遣っての提案だろう。ルームメイトが居たならば、1人暮らしとは違って生活に緊張感が生まれる。生活習慣も人並みになる。家事だって分担できる。つまり一石何鳥にもなる。マサキのお母さんは、指でこすればキュッと音のしそうなタッパーをほれぼれと見つめて「ナマエちゃんなら安心して推薦できるんだけどなあ」と笑った。洗い直しているのがバレているあたり親の目は侮れない。

 しかし私にも諸般の事情というものがある。まいこはん現役時代を思わせるはんなりした口調、それとは裏腹にくりだされるマシンガントークはカップの紅茶を飲み干した私の手できっぱりと断らせてもらった。そそくさと席を立って、気管に入った紅茶に少しむせながら「お邪魔しました」と玄関へ向かった。

 「前向きに考えてみてねー!」なんてちっとも残念そうでない声がと背中に降りかかってきて、悩みのタネが芽吹き始めていることを自覚する。どうやらこうかはいまひとつだったようだ。




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