→至遊歩道


 ユウキは敏感に他人の感情の機微を感じ取れる人なのかもしれない。私が単にわかりやすいだけだったともいえるけど、ユウキはいつも私を先回りして、驚かずに私の打ち明けを受け止めるのだった。私が彼を好きだということにもなんとなく気づいていた。同じように、私が少なからず寂しく思っていたことにも。

「……一緒に居てもナマエのためにならないとか、ナマエに寂しい思いをさせるとか、言い方はいろいろあったと思うんだ」

 お互いが持つ知らない視点があって、それを教えあってはそれぞれの世界を広げて、私たちは心を豊かにしてきたはずだ。今までも、これからも続いていくはずだった。

 ふたりの不穏は見えないところに満ちていたのかもしれない。それを察し、気づきながらも続けて、限界を迎えその瞬間に至っただけのことだ。うまくいっているとばかり思っていた私たちの日々は、いつしかバランスを崩すようになっていた。彼は私とのつながりよりも、自分の思い描く未来を選び取ったようだった。

「いつもメールは読んでるんだけど、返信する手が進まなくて、すぐに作業に戻るようになってる」
「そんな……大丈夫だよ。気にしなくても、返事が欲しくて連絡してるわけじゃないから」
「ごめん。じゃあそうするとは言えない。いつもナマエの『大丈夫』っていう言葉に、寂しさや痛みが滲んでいるように見えた。それを直接言葉にされない苦しさがあったよ。大丈夫って言われてしまったらそこでもう終わりだ。無力だよ。一緒に話し合ったり、やり方を工夫したりして、解決することはできなかったから」
「確かに、一緒にいない時間は寂しいと思ったけど、会えた時はそれ以上に嬉しくて、頻度や回数は問題じゃないって……思ってるよ」
「本当にごめん。そう言ってくれるのに本当に申し訳ないけど、一番は俺が、我慢させてそういうこと言わせてるって思うのがダメなんだ。やりたいことにもうまく打ち込めなくて、よくないループにはまってる」

 ユウキの言葉は真実で、へたなうそをついたりはしなかった。痛みを伴う優しい本音が、私にふりかかってくる。彼は別れの原因を私のせいにすることはなく、自分の気持ちのせいだとして譲らなかった。

 意志の強いユウキのことだ。一度決めたことはテコでも動かせない。泣きついたって、どんなに気の利いたことを言ったって、私が望むような未来はもう、ここに残されてはいない。

 もう会えなくなるならば、せめてきれいに終わりたかった。私はユウキの望んだほうへ進むため、ゆっくりと首を縦に振った。

「わかった。私たち、別れよう」

 私たちは、出会って、仲のいい友人からすぐに恋人となり、互いを知らなかった頃には戻れないまま他人になった。終わったんだ、って思ったからSNSもぜんぶブロックして、だけど頭の芯がすっかり冷えたような心地がして、ユウキに関して意味深に発信することをやめた。

 大学1年生の秋だった。


▲▽

 
 現在。年が明けて、期末のテストやレポートの提出のことが頭をちらつく時期を迎えている。

 私は、あれからユウキのことをひきずり続けて結局今も前に進めていないという現実を突きつけられていた。私は確かに、いっときの浅はかな私欲を満たすために先日の夜ユウキへ電話をかけた。彼は元カノという微妙な立場の女をどう取り扱うか、きっと頭を悩ませたことだろう。
 年末年始を独りで過ごして、変に時間もあったせいでちょっとねじが外れた行動をしている気がする。自分で電話をしておきながら、ちょっとユウキに同情した。私は何がしたくて、どこへ向かっているのだろう。

 全部シャットアウトしたSNSは電話のあとにすべてブロックを解除したけど、私はもうユウキのアカウントをフォローできないし、一応こっそり投稿を除いてみたけど、私が知っていた頃となんら変わりないユウキが編んだ言葉たちがマイペースに並んでいた。ユウキもきっと、私がブロックを解除したことなんて気づかない。

 私との別れは、ユウキ自身を揺るがすほどの大きな出来事ではなかったらしい。そうであってくれて安心するし、一方で何ら爪痕を残せなかった自分がほんのりみじめにも感じる。電話をしても変わらず接してくれるのは彼のやさしさゆえだとわかっているからなおさらだ。

 なんだかばかばかしくなってきて、開き直りたい気持ちになってきた。盛大な喧嘩別れをしたわけでもなかったし、勝手にギクシャクしていると思っているのは案外私だけだったのかもしれない。


「あの映画、まだ見てなかったら一緒に見に行こう」

 気が付いたら私は、キャンパス内で偶然会ったユウキを、なんでもないことを言うみたいに映画に誘っていた。

「えっ」
「えっだよね。うんわかるんだけど、一緒に観に行けたらいいなって思って、」

 自分でもわかる。誰がどう見ても『どの面を下げて』な行動だ。いちど足を踏み外したことがきっかけとなってしまったのか、徹夜中に寝落ちした朝のテストに臨むような根拠のない自信をぶらさげて、私は思い切ったアクションを起こした。これが他人の恋路なら全力で止めていたかもしれない。だけどこれは私のいくさで、そんな正常な判断に働いてもらっては困るのであった。

 それは人気映画のシリーズ最新作で、いつ、だれと観にいくかは決めていないけど、お互いが映画館できちんと観ようと心に決めているような作品だった。
このシリーズを待ちわびていたファンなら誰を誘ってもよかった。だけど浅はかな期待を捨てられないまま、私は結局ユウキを誘っている。ユウキは少し困ったような顔をしながら、だけど笑って言う。

「まだ誰とも観に行く約束はしてないし、ナマエが誘ってくれるなら、せっかくだし行くよ」

 私がさらなる沼の深みにはまってもおかしくない、こんなうれしい答えをくれるのだった。別れてからは、二人で会うのも、どこかに出かけるのも初めてだ。胸がいっぱいで、舞い上がりそうになる。

「え、ほんと?いいの?無理して言ってないよね」
「いいって言ってるだろ。俺はそんな嘘つかないし、疑われるのは気持ちよくない」
「ああ……ごめん」
「わかったなら気にしなくていいよ。この話はもう終わり。公開して一週間くらいたってるから今から行っても観れるだろ。急だけど、行こう」
「うん!」

 勘違いだけは、しちゃいけない。繋がれない手が、ユウキの困った顔が、浮つく私にしっかりと釘をさす。気まずい雰囲気にしたくない気遣いが、あるいは彼のやさしさが、「友達として」の私にオーケーをくれたのだ。

 ユウキとふたりで観る映画は控えめに言って最高だった。公開初日に来るほどの熱量ではなかったけれど、ネタバレを踏む前に映画館でみられたことも、一緒に来た人が同じ作品好きの同志であることも、それが忘れられないくらい好きな人だという事実も、私に抱えきれない充足感をもたらした。

 映画の後、せっかくだからこのまま夕食をとろうという話になり、街中のかざらない洋食屋へ訪れる。映画の後の余韻を連れたまま、興奮冷めやらぬという様子でお互いの感想を語り合った。共感するところが多々あるのもよし。その発想はなかった!と新たな発見に胸が躍るのもよし。ファン同士での考察と意見交換はとても有意義な時間だ。

 食事と一緒に頼んだドリンクを飲み終わって、帰りたくないなという思いが頭をよぎるころ、ユウキが追加のコーヒーを2つ注文する。察しがいいというか、私がのぞかせる感情を敏感に感じとって、ほしい言葉や行動をくれるのがユウキだ。

 いけないとわかりながら、こういうところが好きだったんだよなと噛み締めてしまう。思い出に浸ってしまう。ここはたくさんの地雷がばらまかれた、私の恋の古戦場だ。なんでもないようにふるまって涼しい顔をしていたいのに、すぐに昔の気持ちが息を吹き返してしまう。

「なんだか、あんまり久しぶりっていう感じしないな」
「多分この間電話したのもあるけど、実際は何カ月も会ってなかったのにね。今日は久々にすごく楽しかったよ」
「うん、俺も楽しかった。ナマエとはもともと話が合うから、あっという間に時間が過ぎてくな」
「うん。本当に」

 聞かないほうが穏やかでいられるとわかっていても、聞かずにはいられないと思うことがある。日々の忙しさや心を動かした出来事を話す中でわざと避けていた、ちょっと声の小さくなる話題だ。

「あの、最近仲良くしてる人とかいるの?ええと……同性じゃなくて」
「ううん、いないよ。そんな気も暇もない。俺のことなんかわざわざ気に掛けるやつはナマエくらいだと思うよ」

 勘違いだけは、しちゃいけない。柔らかい声で降らせる言葉は、きっと嘘ではないだろう。都合よく解釈したりはしないけれど、それでも私は安心してしまった。テーブルの向かい側に座る彼は、新歓のときに見せたような緊張を含んだ表情ではなく、大勢でいるときのような弾んだ空気でもない。そのどちらでもない心を許した態度に感じてしまって、胸のあたりが苦しくなった。

「……そうなんだ。聞いておきながら何もコメントできないんだけど」
「まあ、そうだよな」
「ごめん」
「あのさ」
「うん」
「俺はナマエが思ってる以上に卑怯なやつだと思うよ。気づいてないようにふるまっているけど実は気づいているってことも多い。やってるように見せかけて実はさぼってたりするし。だけどしっかりやってるように見えるのなら、それは成功しているともいえる。ある意味それが本当の俺ともいえる」
 
 卑怯だろうがなんだろうが、心配はいらない。自己のプレゼンテーションにはばっちり成功している。その事実、何をするにも手を抜かずに動くユウキの周りには自然と人が集まる。私のお墨付きだ。私は少なくとも恋人でいた期間、等身大のユウキを見てきたつもりだ。

「ナマエのことは心配してないよ。もちろん、どうでもいいっていうような悪い意味じゃなくてさ。俺も自分のやりたいことに打ち込んできたけど、俺の知らない間のナマエの話、面白いと思った。ちゃんと自分を持ってやってるんだなって安心した」
「私は、」

 私は、あなたのことがどうしても忘れられなくて、本当はほかのこともままならないくらい、今でも想い続けているんです。そう言ってしまいたかった。だけどそういう言葉が過大評価にならないようにと、私も私なりに自分の足で立って、そこから歩いてきたという事実がある。それをこの人にわかってもらえたことが私を勇気づけた。

 勘違いをしないと心に誓っていても、このまま優しさに甘えていたら、私は自分を喜ばせるための言葉をユウキにまたもらいに行ってしまう。諦めきれないまま悪あがきを繰り返して、純粋な気持ちよりも執念が強くなって、ゾンビみたいになってしまった。

「私、ユウキに言いたいことがあるの」

 だから、私に言えることはひとつだけだ。今日話す機会をもらえたことに感謝しながら、私は決意を固めた。



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