→至カントリーロード



『もしもしナマエ?今から家を出るんだけどなにか持っていくものはありますか?』
「いや別にないかな」
『ほらほら遠慮せずに、なんでも言っていいんだよ』
「じゃあ……卒業アルバム」
『ええ〜よりによって重くてでかいやつ……荷物多くなっちゃうからまたこんどじゃだめ?』
「だめ、無理なら本日の鍋の話はなかったことに」
『そ、そそ、それは持っていかなくちゃ』

 ハルカの声がガタガタ震えている。おいしいお鍋を人(?)質にとられてはさすがのハッピーちゃんも譲歩するほかあるまい……この子もひとり暮らしの民のひとりなわけだし、前々から約束していた宅鍋がドタキャン、それが意味するところは本日の夕飯抜きの危機である。

 そんな電話の向こうでは彼女がどたばたと動き回っているのが音からわかって、仕舞い込んでいた卒業アルバムをさっそく引っ張り出しているところと思われる。リアルタイムで繰り広げられる大捜索劇。まだ通話つないだままなのかな……とこちらがしびれを切らし始めたあたりで、ガラガラと何かが崩れるような音が聞こえた。続いてきゃーという悲鳴が聞こえ、そうして通話は途切れたのだった。事件性はなさそうだし、押し入れか何かから崩れてきた山にハッピーちゃんが埋まっている姿が目に浮かんだ。

 さて、今夜は鍋だし、野菜とか切っておかないと。
 スマホをコタツのうえに置いて、キッチンに戻る。

 この切り替えの良さは一見薄情なようにも見えるが、こういうことは珍しくなかった。ハッピーちゃん……ハルカが度を越したドジッ子属性持ちだということは、初対面の人間でも数分同じ空間にいればだいたい察しがついてしまう。それが発揮される頻度だって日に数回という驚異的記録の持ち主であるから、彼女は生命の危機を心配する友人らからたびたび手厳しい扱いを受けているのだった。もちろん憎めないタイプであることがミソだとは思うし、過保護にしないでくれる分思いやりが感じられるというか、正直むしろかなり愛されていると思う。

 鍋の下準備はほぼ材料のざく切りで終了なので、早くも野菜を切り終わった。生ごみが多い。捨てなくてもいいところまで捨てたせいかもしれない。フードロスにうるさい人に見られたらハチャメチャに怒られそうな三角コーナーである。最後にしめじとえのき、秋の味覚を豆乳スープに投入したところでちょうどハルカが部屋に上がってきた。着ぶくれて雪だるまのようになった彼女が私の横を通る。

「顔真っ赤だなぁ、ここまでなにで来たの?」
「原付だよ原付〜、ううう、さぶいさぶい……おじゃまします」

 そういえばこの子免許もってたんだっけなぁ。公道でドジを発揮しなかっただけ祝福すべきことなのかもしれない。寒さで耳まで赤く染めたハルカは5枚ほど着込んだ服を順に脱ぎ捨てつつ、もぞもぞとコタツに潜り込んだ。お邪魔しまぁす。それは家に入ってきた瞬間に言う言葉であるが、こたつむりは気にせずに唸る。

「なべなべ鍋〜はやくたべたいですナマエさぁ〜ん」
「はいよ、今そっち持ってくからガスコンロの火つけて。あと危ないから通路もあけて」

 はぁ〜いという気の抜けた返事がかえってくる。コタツからは出ないまま、しぶしぶといったように脱ぎ捨てた服を回収した。かじかんだ手が二度三度失敗しながらようやく火をつける。火にあたっている両手にあぶないからどけなさいと声をかけて、鍋の準備はこれでひと段落。あとは蓋をして待つだけだ。

「これ何鍋?」
「ごま豆乳鍋だよ」
「わ〜おいしそう〜。あ、卒業アルバム持ってきたよー」
「ああ、ちゃんと見つけてきたんだね。ありがと」
「うんー部屋散らかっちゃったけどねー」
「片付けないできたのね」
「うん、だからきょう泊めてね!」
「別にいいけど……」
「わーい、はいっじゃあこれがわたしの高校の卒業アルバムでーす」

 計画的(?)犯行に対する苦言は置いておくとして。これがハルカ、そしてユウキの高校時代を切り取って保存した卒業アルバム。表紙のビロード感がそうさせたのか私の色眼鏡のせいなのか、ハルカがリュックから取り出した卒業アルバムは神々しく輝いて見える。

「えっと……見ていい?」
「どうぞどうぞ!さあ高校時代のハルカちゃんを見るがいい〜」
「うんとりあえず見ます」

 さっそく喜び勇んで見ようとしたけど、表紙をめくろうとする手が震えてとまらない。ハルカが生まれたての小鹿みたい!とはしゃいだので代わりにページめくってもらうことにした。表紙に次いであらわれたのはクラスのページ。学級ごとに一人一人の写真が出席番号順かなにかでならんでいるやつだ。クラスは文系、理系と分かれ7クラスほど続いている。

「あっ、これ!これ私だよ!」
「わ〜ぜんぜん変わってな〜い。でも制服着てるとぱっと見た時の印象は変わるなぁ。ハッピーちゃんすんごいJKってかんじするわ」
「……」
「あれ、JKってなにかわかる?女子高生のことだよ」
「ハ、ル、カ!」
「そっちか……いやあ、いいじゃんよ。ハッピーに負の要素ないんだからむしろ喜ぼうよ」
「私は名前を呼ばれたいよ!」
「でもハッピーだよ、わあ嬉しい嬉しい」
「嬉しくないよ〜。じゃあ名残惜しいですがもうわたしのページは終わりで〜す」

 そう言ってハルカは思い切りよくページをめくった。狙ったつもりはきっとないんだろうけど偶然、ほんとに偶然、開いたページはユウキの所属するクラスの写真だった。私は思わず息を飲む。

「あ、そうそう。ここナマエの学科の人が結構いるクラスなんだよー!理系のクラスだけど大学入試で文転する人が多くてねー。ねえねえこの中に知ってる人いる?」
「たしかに……何人かいるっぽい」
「そっかあー、やっぱりね。思った通りだよ」

 実際に知り合いも多いページであることは確かなのだけれど、私の視線はやっぱりユウキをいとも簡単に捕まえてしまう。動揺を隠しながら私は答えたつもりだけど、関係のない話題をわざわざ振ってくれたハルカはきっと、そのこともなんとなく察しているんだと思う。私はユウキとお別れをしてから取り立ててユウキの話題を口にしたことはない。ただ、彼女が偶然を装うなんてできるほど器用じゃないにしても、ハルカが進んで私を彼の写るページに連れてきてくれたような気がしてならなかった。

 そのあと話してくれたのは、かつての日常、わたしが知らない彼女の高校時代についてのこと。その端々にユウキの存在を感じて、私は小さく心を躍らせ、それと同時に胸を痛ませた。考えすぎかもしれないけれど、彼女からは少なからずユウキとのことへの気遣いを感じてしまう。あからさまに言えば私が気にするとか考えてるのかなあ。ありがたいけど、ちょっと水くさいなとも思う。

「うーん……わかりやすい人なんだけど、なに考えてんのかわかんないんだよねえ」
「誰が?」
「ユウキくん」
「なにそれ」
「うーん、うまくいえないんだけどね」
「でもそれわりと結構、わかる」

 言葉にすると支離滅裂だけどそれがきっと最も的確。この言葉以外にそれらしいものが見あたらない。一緒にいるといろんなことがわかってくるけど、肝心なことは読み取れない。わかったつもりになっていただけなのかもしれない。視界のはしっこにハルカの誇らしげな顔がちらつく。

「やっぱりい?」
「わかるけど、全然わかんないもんね」
「わたし高3でクラス離れたし、いまのユウキくんがまえと変わったかどうかなんてよく知らないけど、どうして二人が別れちゃうのかわかんないなあって思ったよ。だって、ナマエと一緒にいるユウキくん、幸せそうっていうか、ちゃんといい顔してたもん」
「そうかなあ」
「あっ、なんかごめんね、追い詰めたいわけじゃないんだけど……」
「いやハルカは悪くないし別にいいよ」
「えっ!っわ!今」
「ありがとね」
「えっえっ!なんかいま嬉しいこといっぱい言われた!」
「うん。鍋を食べよう」
「えっ、ていうかナマエ!鍋、鍋!」
「えっ、あっ、うわ!」

 ぶくぶくと吹きこぼれたお鍋のつゆでコンロは白く汚れてしまったけど、鍋はちゃんとおいしくできていたし、今日の会話でハルカとなにげにつるんでいたくなる理由が一つ増えた。ハルカがこぼしたユウキへの不平は私を傷つけることはなく、傷心中の私を慰めさえするものだった。今日彼女が家に帰らないことは不都合なんかじゃなくて、むしろありがたいことだった。

 あのとき。ユウキから終わりにしようと言われたとき、ものわかりよく応じられたつもりでいたけど、私はもう恋人ではなくなるという現実を受け止められなかった。今も受け入れられていないから、こんな風に相も変わらず想い続けているんだろう。未練がましく夜に電話したり、こんなになってまで友達に応援するようなこと言わせたりして。ユウキやハルカの優しさを搾取しながら、私は性懲りもなく、焦げ付いた恋愛をずるずると引き延ばし続けている。



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