朝起きると、きょうのラッタはなんだか元気がない。外では雨がざあざあと降っていて、私の気分もどんよりと沈み込む。
 この子が小食なのは今に始まったことではないが、今朝はフーズにまだ手を付けていないようだった。代わりに少しだけ水を飲むと、私の顔をじっと見つめてくる。

 「おはようラッタ。どこか調子が悪い?」

 そう問いかけても、私にわかる言葉が返ってくることはない。だけど20年近く一緒に過ごしていると、細かい表情の変化には意外と気づけるものだ。
 私はラッタのそばにしゃがみ、背中の毛を指ですく。
 十分な量を食べることが難しくなってから、ポケモンフーズは少量ずつ、回数を増やして食べてもらうようにしている。ずぶとい性格で食べることが大好きだった私のパートナーは、身長の伸びた自分とは反対に、進化したばかりのふっくらとしていた頃に比べ小さくなったように思う。
 きっとここにいて欲しいんだろうな。自分に都合の良い解釈をしているかもしれないけど、遠からず当たっているという不思議な自信があった。

 「私も行きたくないよ。会社なんて爆発しちゃえば行かなくても済むのにね」

 体調がすぐれないとき。大雨が降っているとき。週明けの月曜日。会社に行きたくないという気持ちが袖を引く朝、私は天変地異に見舞われたカントーを身勝手に想像する。

 とつぜん会社が休みになって、もしも急にすることがなくなったら、私はラッタのそばでうたた寝をしよう。前みたいにどこへでも一緒に出掛けられるわけじゃないけど、お互いの呼吸がそばにあるのを感じて安心できるから、家のなかでじっと過ごすのだって悪くない。
 夢を見る。まどろみの世界では何もかもが優しい。現実は楽しいことばかりじゃない。大事だったものは形を変えてしまって、手のひらからたくさんこぼれ消えてしまった。必死にかき集めてようやく少しだけ残ったもの。ラッタがいて、家族がいて、それだけは今でも変わらないから、ここに居れば私はなんとか潰れずにやっていける。
 だけど目を閉じて開くと、私の日常はいつも通り変わらないまま目の前に広がっていて、私のスマホには上司からのメッセージが溜まっている。そうして私は仕方なく重だるい脚を窮屈なパンプスにねじ込むのだ。

 「ごめんね。もう少しここにいたいんだけど仕事に行かなくちゃ。フーズは無理しないでゆっくり食べて。今日は頑張って早く帰るから。あ、でもなにかあったときはお母さんをすぐ呼んでね」

 ラッタはまた水を飲むと、のっそりと歩きだし私を先導する。ラッタに見送られて私は日常へと歩き出した。
 


▲▽▲

 

 今日終わらせたい仕事はとりあえず区切りの良いところまで片づけた、着信やメールもないので急遽舞い込む仕事もないだろう。すでにいつでも帰れる状態だ。雨は相変わらずバケツをひっくり返したように降り続いているけど、ここを出る頃までに少しでも小降りになってくれれば良い。

 そのときだった。絵に描いたようなとんとん拍子で機嫌をよくしていた矢先、フロア内の照明が一気に消えてしまったのだ。

「停電?」

 大雨で発電所になんらかの影響が出たのだろうか。まだ明るい時間なので周りの様子ははっきりと確認できる。内部バッテリーのおかげでパソコンもブラックアウトしていない。周囲の同僚も慌てた様子はないようでほっと胸を撫で下ろした。
 オフィス内に大きな混乱はないまま間もなく停電は解消された。

 すぐに復旧したみたいで良かった。
 上司がフロアのテレビを点ける。番組はちょうどニュース中継をやっているところだった。

「げっ」

 テレビの音をBGMにスマホを確認するとSNSのトレンドワードに挙がっていたのは、「停電」に加え「運休」という単語だ。なんということだろう。ヤマブキ・コガネ間のリニアが止まった。しかも私の通勤ルートにどんぴしゃだ。関連する投稿はリアルタイムでどんどん増えていて、影響範囲の大きさがうかがえる。現時点で復旧の目途は立っていないらしい。淡い期待もむなしく、なんとリニアは終日運転見合わせになるようだ。

 ふと同僚と目が合う。「ご愁傷様……」とでも言いたげな憐みの視線が突き刺さって私はがっくしとうなだれた。リスクは承知していたつもりだったけど、家が遠いことがこんな形で仇となるとは。

「嘘でしょ……」

 はっとしてネットで近くのホテルを検索したが、すでに空きがない。私と同じくカントーの外に家を持つ人たちがいち早く押さえてしまったのかもしれない。完全に出遅れてしまった。会社に泊まることもできなくはないけど、もともと帰るつもりでいたのでなにも準備をしていない。

 途方に暮れて実家に電話する。母も連絡を待っていたのかすぐに応答があったが、このまま会社に泊まるかもと聞くなり折り返すと言われ通話を切られてしまった。無事を確認できた途端に適当な対応だなあ。まあ、連絡をしたところで迎えに来てもらえるような距離でもない。
 私は何とかすることを諦めて会社に寝泊まりすることを決めた。コンビニに行けば下着やタオル、洗顔料など、急場をしのぐものは買えると思う。

 ラッタはちゃんとフーズを食べたかな。少しでも体調が良くなってればいいんだけど。

 ぼんやり今朝の事を考えているとスマホが震える。お母さんかな?しかし発信元を確認すると、そこには悩みのタネの張本人の名前があった。

「……もしもし」
「ナマエ?大丈夫やったか?ナマエのおかんから電話もろうたで」
「なんで、お母さんに電話した折り返しがマサキからくるの……?」
「え?わいかて家族同然の仲やんか。なんもおかしないやろ」
「いやおかしいから……」
「ほんでナマエ、今日はうち泊まってええから安心してや。帰りがけに迎えに行くさかい、メッセージでええから終わる時間教えたって」
「えっ、泊まり!?ちょっと待ってってば!」
「ほなあとでな」

 またもやこちらの意向は汲まれないまま、むなしく通話が一方的に終了する。

「えぇ……」

 むくむくむくと芽は伸びる。これなら会社で一夜を明かした方がよっぽどマシかもしれない。このまま連絡しないでばっくれたらだめかなあ……駄目か。
 同僚から良かったじゃんと声をかけられる。何も良くない。私は天を仰いで雨雲を呪った。













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