歩行者信号が青から点滅へ、警告音を伴って赤に変わる。ニャースを連れた居酒屋のキャッチのお兄さん、客引き禁止ののぼりを掲げるポッポ連れのおじさんたちがとくにやり合わず、共存している交差点。かたや隠れもせず、かたや咎めもせず。変な空間。これから誰が何をして、誰とどこへ向かうかなんて、誰も気にしていないし、そこに居るだけで意味があるような、でも何をしたって誰も文句を言わないような。みんな他人って顔をしている。

息を吐けば白くて、でも街のネオンがちかちかと眩しくそんなのはどうでも良くなる。待ち合わせ自体は嫌いではない。半ば自暴自棄になっているのかもしれない。そうしているうちに、見知った後輩を見つけて思わず踵を返してしまった。人通りの多いランドマークを集合場所に選んでいながら、こそこそとしてしまう自分がいる。直視なんてしたくないのにやましい気持ちに気づかされてしまう。私はきょう喧騒の中の、誰でもない一人でいたい。私を知る人物は、今日約束をしている、あの人だけで良いのだ。きょう、私にとっての特定の個人は一人だけ。約束の時間はそろそろだろうか。

(もう、着いた?)

数ヶ月ぶりということもあってすぐ落ちあえるのか心配になった。窺うようなメッセージを送る。しばらく目を通してもらえた様子もなく、いつも遅刻してくるんだもんなあ、と苦笑した。急いで向かっているからこそ見ていないんだろうと思う一方で、待たせてもいい奴と思われているんだろうなあと後ろ向きに捉えている。

(着いた。寒くて中に居た。)

「あ」

服装だとか何も聞いていなかったけど、見回してみるとすぐに見つけてしまえた。こういうのって不思議だ。もっと遅刻してくるかと覚悟していたが、今日ばかりは違う。私は誰なのか、この人の、何なのか。だけど顔を見たらそんなのは、どうでも良くなる。

お互いにあたりさわりのない近況を話しながら、すぐに距離感を見出せた。こういうところに安心して、私は考えることをやめてしまう。

私達は、気楽な、それでいてターゲット層を選ばないような居酒屋に入った。二人でお酒を飲むことはたくさんあったし、別に人に咎められるような何かがあったこともない。店選びは単に楽だったからかもしれないし、あえて変な意味をもつような場所に行くことは避けたかったからかもしれない。

実際、名前のない関係だと思う。職業でいえば、彼はトキワシティのジムリーダーで、私はポケモン保護行政にまつわる部署に配属された公務員。繋がる部分としては、ボランティアの側面をもつ団体との繋がりがあるわたしの職業柄、ジムリーダーである彼と共に臨む仕事がいくつかあったというもの。それだけといえばそれだけだし、十分といえば十分だった。

しかも、それも終わる。私は、3ヶ月前の人事異動で部署を変わった。遠くに行くわけじゃないけど、仕事で関わることはもう、きっとなくなる。

第一印象は、顔が良いなくらいだった、と思う。そして本人にそういった自覚もあるらしく、話していてイラつくのは仕方がなかった。知識もあるし、話は面白いけど、自分の器量のよさについて軽口を叩くときのグリーンは正直面白くない。だけど事実なので私は「また言ってるよ」とか「はいはい」とか、冷たく返す。そういうやりとりが嫌いではないくせに素直さとは遠い会話だった。きっと、グリーンも私の屈折をわかっていて、このくだらない、少し変な気持ちになるやりとりは今日まで何度も繰り返された。

ある日は映画を観に行った。古い伝承に創作を交えたファンタジーで、観た後感想を伝え合って、昼に解散した。

ある日はシンオウまで大きなコンテストを見に行った。同じ飛行機に乗って、違うホテルに泊まって、その日のコーディネーターの演技について感想を語ってお酒を飲んだ。

家に帰れないほど飲んで同じ宿に泊まったこともあったけど、寝て、起きて、もちろんなにもなく、帰った。

素直になれないだけの未来ある関係ならよかった。時間も、会う口実も、それなりの軌跡もあった。

ただ、どうしようもなく、問題があった。お互いにお互いの大事にしたいものが別にありながら、それとは別の、拠り所を相手に見出している。

ずるい関係なのだ。この気持ちがなんなのか、言葉にすることもないし、しないことが前提になっている。逆に言うと、だからこそなんでもできた。言えないし、言わない。特にどこに惹かれたとか、そんな話ではない。都合がいいと思われているかもしれないし、私もそこがいいと思っている。

人はこの関係をグレーだというだろう。その自覚がある私達にも問題があるが、歪んだ私達から言わせてしまうと、白だった。

気づけば、もうあれから夜も深まっていて、3軒目のグラスを乾かしていた。驚くほど頭がはっきりしていて、それが信じられない。電車はまだあるけど、それがなくなる時間まではそう長くない。わかっている。いまが楽しくて、考えないようにしていた。グリーンも何も指摘してこない。

そろそろ、帰らないと。

「そのうち、また飲もうね」
「おう」

保証のない約束をして店を出る。何かに反抗するみたいに何故か駅まで遠回りして歩いて、お互いに酔っ払ってるくせに足取りがいやにしゃんとしていて。そうやって繁華街から少し離れたとき。どちらともなく立ち止まって、沈黙が流れる。さっさと帰って忘れようと思っていたのに、よくないことを考えてしまう。もう私達は喧騒のただ中にはなく、距離の問題か、血中のアルコールによってか、ざわめきはかき消されていた。

こちらを窺う空気が呼吸で感じられて、やがて静かに、唇が寄せられる。意外で、驚きを隠せないし、なのにそうされるのをずっと待ってた。余裕ぶっているのか、大切にされているのか、ぞんざいに扱われているのか。なにもわからない。私はそんなことまで知る関係じゃないはずだ。グリーンは複雑そうな表情だった。それがどういう気持ちによるものなのか、なんとなくわかった気もしたけど、言葉にできるほどはっきりしない。ゆっくりと離れて、グリーンの鼻の頭が同じ私のそれを擦って。耐えられなくなって2度目は私から影を重ねた。一瞬だったかもしれない。けれどひどく長い時間のように感じられた。

「緊張してる?」
「別に」

そんなことを聞いてどうするのか。またいつものように自分の優位を示したいのか。私はそれを冷たくあしらえばいいのか。これはいつもとなんら変わりない、いつもの茶化しあいの、延長線なのか。そうか?と鼻で笑われたが私は気にせずに言う。

「私達、お互い様でしょ」

私は誰なのか、この人の、何なのか。だけど顔を見たらそんなのは、どうでも良くなる。「……だな」とだけ言われて、もうなにも言えなくて、むしろ吹っ切れてしまった気さえして、目をそらさずに見ていたら、「やめろ、恥ずかしくなる」と顔を肩に埋められる。罪悪感のためか純粋に言葉通りか。勘違いしてしまうからやめてほしい。やめないでほしい。私達はこの間違いを、3度目、4度目を繰り返してしまう。そんなことを考えながらも足が動かないから、そのまま二人で立ち尽くして、途中から数えるのなんてやめてしまった。

何もなかった。これからも何もない。何かあっても、なかった、って言っていく。

私達、これからどこへ向かうのだろうか。それはこれからどこで過ごすのかっていうこともだし、こんな私たちに未来があるのかっていうことについても。

暗い暗い、冷たい湖の底に落ちていくのか。これは最後なのだろうか。そうじゃないのだろうか。これからの話は、どちらからも語られない。さっき聞いた警告音が遠くで鳴っているような気がする。エマージェンシーサイン、を、無視して私達は、きっと、規制線を踏みにじって、中へ入っていく。

黄色い規制線はたわんで、床に落ちて、どうでもいいという顔をした街で放置されている。私達が声を上げなければ。墓場まで持っていくのなら。

私達は白だと、口を揃えて言い続けていくのだ。



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2018/12 匿名企画「だ〜れだ?」様提出



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