→至クズ大学生の恋路



 夜に突然電話をかけるのなんていつぶりだろう。

 ベッドに寝そべってから、まずは大げさな深呼吸。携帯電話の発信画面では、受話器をくわえたペリッパーがグルグルと飛び回っている。いちど押してしまった通話ボタンはもう取り返せない。相手が電話に出る前にこちらから通話を切ったとしても、私からの着信履歴が相手の携帯に残ってしまう。どうしよう、誰か助けて。発信時間は永遠のようにも感じるし、ドキドキと心臓の音が煩くてコール音が何度鳴ったのかの判断もつかない。

 それもそのはず。私はSNS上でなら数分おきにつぶやきを連投し、光の速さでリプライを返すような饒舌さの持ち主だが(SNS依存者なだけとも言える)、一方で電話となると現代の若者らしく不慣れの極みで、まるでちいかわのような発話しかできなくなってしまう。
 電話に対する苦手意識は尋常ではなく、突然かかってきた電話は一旦無視して番号をググったのち、よほどの必要に迫られた場合にだけ折り返すという臆病な有り様である。数少ない機会のひとつですら、財布を落とした時にカード会社のお姉さんと話した程度のもので、会話の主導権を握るお姉さんに言われるがままにYESかNOか己の個人情報を伝えただけだった。もし優しくないオペレーターを引いていた場合、「アッ……エト……」と蚊のなくような声でモゴモゴしていた私はきっと鼻でせせら笑われていたことだろう。
 オンラインゲームをしながらのボイスチャットも得意ではないし、とどのつまりはただのネット弁慶である。

 そして今。私をこんなにもはやらせている電話の相手。目的の人物とたった今回線がつながっているというその事実だけで、手汗が滝のようになって止まらない。厳密にいうとかなり興奮していた。気を取り直して再び呼吸を整えるが心拍はやはりばくばくと乱れている。

『もしもし』
「も、しもし」

 そう、この声が聴きたかった。頭の中のオーディエンスがスタンディングオベーション。空想上の歓声が脳を満たすけれど、不審に思われるわけにもいかない。だだ洩れになりそうな歓喜と上擦りそうになる声を押さえつけてなんとか平静を装う。よこしまな気持ちが9割で電話をかけたなんてことは決して悟られてはならないのだ。

「夜遅くにごめん、今時間大丈夫?」

 事前にテキストで許可を求めたりしないで、いきなりの電話で特攻をしかけるかわりに、念のため確認をしてみた。「今じゃない」って思われていそうなら最悪終話する、と退路は確保してあるのだ。できるだけ減点を避けて通りたい。そんなふうには思わないってわかってはいるけど、気の使えないヤツだなと思われたくないのもある。

『あー、と。いや、大丈夫。時間あるよ。なんかあった?』

 聞いたのは自分だし、決死の覚悟で通話ボタンを押したものの、やっぱり返事もなんだかそんなにだいじょばない感じのやつっぽくて、罪悪感がものすごい。ごめんなさい。この場合は、地球の裏側へ突き抜けるほど、メチャクチャ深いごめんなさいを繰り出したい。別にこれといった用事があるわけではないのだ、質問があるというのを言い訳に、些細な会話を楽しみたいというだけの、とても私的な電話だった。

「実は、お願いしたいことがあって」

 とはいえ、時間おいてかけなおすほどのライフはもう残っていなかったので、「大丈夫」を額面通りに受け取り、私は鈍感なふりをした。ごめんね。ちょっとだけ、ほんの少しの時間だけでいいから。

「えっと、今週の月曜1限の授業の資料なんだけど……今回欠席してしまって、もし持ってたら共有いただけないでしょうか」
『講義のレジュメ?もちろんいいよ、いま送る。あとノートもあるからpdfでまとめて送るよ』

 期末のテストに向けて欠席(実は寝坊)した講義の資料をもらえないか恐縮しながらお願いしたところ、渋るそぶりも呆れるそぶりも見せずに二つ返事の了承が返ってきた。なんなら資料のみならず講義中のメモのデータまで送ってくれるという。もらうつもりで聞いておきながら、自分の浅はかさと先方の聖人ぶりのコントラストでめまいを起こしそうである。

『うん、じゃあそういう感じで』
「うん」

 取ってつけたような用事はあっという間に解決し、一問一答テキスト並みのスピード感で会話が終わってしまった。現時点で十分と思えるほど幸せはもらえたけど、通話が終わる雰囲気が漂い始めると欲がだんだんと出てきてしまう。沈黙と「……うん」の応酬でちょっと間をつないでみる。3ラリー。無理がある。最後の方は何の時間かわからなくてお互いに半笑いになってしまった。

『ほかになんかあるんだったらアプリ通話にしようか』
「えっ」

 心臓が口から出るかと思った。深く考えずにキャリア通話から電話をかけたけどこちらの通話料金の心配までしてくれるとはどれだけできた人間なんだろうか。そして少なくとも相手が会話を早急に切り上げたいとは思っていないことを(勝手に)読み取り私は舞い上がる。なんならガッツポーズを決める。イヤホン付属のマイクに擦れて ザッ ていうノイズが向こうに聞こえたと思うけど通信環境のせいにしておく。

「あ、いや、でも今忙しそうだし、特段急ぎの用事があるとかではないというか、その……」
『ん?そっか。ならいいけど』

 あーーーーーバカバカバカバカ私の馬鹿。何でもいいから理由をつけてもっと話せばいいじゃないか。本当は電話を切りたくないくせに素直に言えないとかなんなんだ。だけど、相手はいま忙しそうで邪魔にはなりたくない。でも、もっと話していたい。その一方で、やっぱり水を差したいわけではなく。

 ジレンマだらけの脳内会議をしている間はもちろん沈黙が続くが、その間通話の終わりを急かされないことに涙がでそうになる。優しい人だな、と思ったが待っている間に作業してるだけっぽかった。キーボードとマウスの軽快な音をマイクが拾う。

「あの」
『ん、なに?』
「やっぱり、お言葉に甘えてもいいですか」

 笑われた。けっこう笑われた。うじうじと引っ張った挙句の後出しだ。一番うざがられそうなムーブをかましてしまった。ただもうあとには引けないので、いっそのことひとおもいに、バッサリと断っていただきたい。ちょっと笑いを提供できたくらいの成果だけ、胸にしまうためのお土産にさせてもらおう。

『いいよ。作業しながらでもよければ』
「あっ存じておりました。……じゃなくてえっ、本当にいいの?」
『だいじょうぶ。作業通話みたくなっちゃうけどそれでもいいなら俺は別にいいよ』
「ぜ、ぜひお願いします」
『うん』

 迷うそぶりをみせないまたもやの二つ返事だ。通話が切れる。二度目のスタンディングオベーション。全私が泣いた。


→至通話続行ルート




×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -