「ねえ、きょうはてっきり……お祝いの席だとばかり思ってたんだけど」


 白く繊細に塗りたてられたダイニングテーブルの色味を それすらも神経質なほどだと形容したくなるのは、この語調よろしく、正面でカフェオレをすする彼に私が虫の居所を悪くしているからに他ならない。
 白いマグのなかでゆらめくのは、2月の終わりごろに飲みたくなるようなあたたかいそれだ。こだわりなのか、それともただ単に強情なのか。友人の嗜好にとやかく口を出すのにも気が引けるが、いまは決して肌寒く感じる季節ではないのに、彼はこめかみにうっすらと滴を浮かべたままほんのり日に焼けた喉を上下させる。やはりあべこべな図だ。そうして、彼はテーブルに陶器を置くたびにすこし不自然な力を込めてみせるのだった。
 私は私で、濡れたグラスの汗を指でぬぐって何食わぬふうに誤魔化してはみるのだけれど、真正面でひとの表情をトレースしたかのようなユウキのしかめ面にはいまだ納得がいかずにいる。


「当たり前だろ。……だからテーブルにバラなんかが飾ってあるんだよ」


 テーブルの上、花瓶に挿したすこし季節外れの数本を眺めると、無骨に吐き捨てる。 
 「とても素敵でした」コンテストを見たというエリートトレーナーから受け取った花は、白塗りの家具の上で赤く良く映えた。茎にも刺抜きが丁寧に施してある。その傍らで、ユウキの所作は私の眼には少しだけ丁寧さに欠けて映った。うまくは言えないのだけれど、普段丁重にかくしてあるはずの牙をこちらに向けられているような、そんな心地がしてならなかった。


「なんか、なんて。贈ってくれた人に失礼でしょ」

「なんか、だよ。いかにも過ぎて、とか思わないのかよ」

「いかにもって……なに。気にしすぎじゃないの」

「これからもきっとあるぞ、こういうこと」


 なにも、含ませたことがまったくわからなかったわけじゃない。ただその仮定が自分にはおこがましいと思ってしまうからこそ、私は素知らぬ振りを決めるのだ。ずるいやり方だと思う。だけど取り返しがつかないことにだってなりかねない今、自信家でなんてとてもいられない。


「それだけ大きな大会なんだ。なかには下心見え見えの金持ちだっている。毎度毎度いい顔ばっかりしてもいられないだろ」


 そんな大袈裟な。それじゃあ全部断ったら満足なのと言おうとして、すんでのところでやめた。火に油を注ぐだけなのはわかっている。

「別にいいじゃない。せっかくの厚意なんだから。それに綺麗なんだし」

「あーはい、そうですか」


 棘のある口調だ。彼にぶっきらぼうなところがあるのは私も承知している。だけど、たとえささやかでも、増えたリボンの数を祝うはずの今日を、よりにもよって今日を、彼はわざわざ重苦しい灰色のヴェールで彩っているのだ。なにか言いたげなのに明確な言葉にしようとはしない彼に、どうしようもなくもどかしさがこみ上げてくる。余計な口ばかりきいてしまうあまのじゃくな自分にも嫌気が差した。
 ステージのラスト、眩しいスポットを浴びて、シルクで出来た一等のリボンを手にして……私が目指したものは、単なる名声に終わるような場所ではない。私の場合、好きなことと、別の道で頂点に立った彼を追いかけるために 極めたいものがおなじだったというだけだ。

 彼が遠く旅先のトクサネからここトウカまで足を運んでくれたとはいえ、現に私は心にひと握りの欠落間を感じている。贅沢な話だとは思う。しかし不満足げに唇を噛み締める私がここにいるのも変えがたい事実だ。確信からは程遠い。いじけた子供のようでなんだか恥ずかしくなるけれど。


「なら言うけど」


 何が「なら」なのかさっぱりわからなかった。ただ自分の頭の中だけで話がつながっていることは多々ある。とりわけ、論理立てて考えることに向く彼だから、彼自身順当にはじき出した回答があるのだろう。


「ナマエは、強くなった。あと前よりかは魅力的になった……たぶんだけど。今回だって純粋におめでとうとは思ってる」

「唐突だね、でもあまり褒められている気がしないな」

「半分褒めてないから間違ってない」

「あそう」

「ただ俺がお前だったら、今ここにその花を飾ったりはしなかったよ」


 きっぱりと言われた割には、いまだ核心に届き得ていないという感覚を得た。彼は嫌味を言いに来ただけなのか。それとも?答えは出ない。期待をする以上、私が自惚れではないという証明がほしかった。臆病な自分がうらめしい。


「つまり、……だから、……」


 言葉を濁す時間が永遠のように感じる。スローで動きだす唇が私を裁く。いま、私は待つことのみを許可された身だ。


「別に誰から何を受け取ってもかまわない。どんな顔でお前がお礼を言うかなんて俺が知ったこっちゃない。ただ、自分の前に持ち込まれるくないならって俺は思う。花を飾りたいなら、もちろん嫌だけど俺が買ってきてやるから、くらいには思う」


 それはひどく恥ずかしい言葉のように聞こえた。私はすこし目を見開いたままで黙り込んでしまった。いたたまれなくなったというふうに彼が言い直そうとする。


「なに言ってんだろうな。大人気ないのはわかってる。自分自身に嫌気が差すほど」


 さっと逸らされた目に焦りを感じる。このまま黙っていたら駄目だと思った。


「ユウキの言ってることがぜんぜんわからないよ」


言え、言え、言うの。


「……だよなぁ、」

「でも」

「でも?」

「言いたいことはわかる。なんとなくだけど」

「自信あるんだかないんだかわからない言い方だな」

「私がそういう意味合いをすこしも期待していなかったら、ユウキは今なんの話をしているの、って絶対疑問に思う」

「……お前だってわかりにくいことだらけだよ」

「お互い様でしょ」

「うん」

「嬉しいよ、これでも」

「……うん」

 先に牙と言ったけれど、それは少し違うなと思った。棘かもしれない。棘なら取り除くことだってできるし、取り除かないままでだっていられる。決めたのは彼だ。変えられるものを変えなかった事実がこの気持ちを支えてもいるのかもしれない。
 自分は実際彼を特別視している。誰かが手間をかけて触れられるようにした花にも心は揺さぶられない。棘があるままに触れたいと思う。本来見ているだけでよかったそれを甘くかじってみたくだってなる。

 お互い患っているものがあるんだと思った。手を伸ばせば届いてしまいそうで、だけど、実際に届くものだとは夢にも思っていなくて。回りくどい私たちには、むしろ直接的な言葉こそが難しすぎて使えなかった。それでいいと思う。怪我をしたくないのはどちらも同じだ。

「現実味には欠けるけどね」

「言いたくないけど、自覚したらいいよ」

「なにを?」

「言うと思うか」

「思わない」

「だろ」

「……アイスティー、飲む?」

「うん、もらうわ」

「暑かったの?」

「あと、口ん中すげーからからで」

「わかった」


 緊張しすぎ、と茶化さなかったのが私なりの返事だ。少ない言葉だけれど、赤く染まる耳たぶがあるからきっと十分だろう。糖度の低い会話だなあと、逆に自分たちらしさを感じてそれがなんだかとても可笑しかった。氷をたっぷりといれたグラスにアイスティーと少しのガムシロップを注ぎに行く。立ち上がった自分も、喉はずいぶん前から乾いていた。完成したアイスティーは、私用の病的に甘いそれを作っている間にも、とまらず氷を溶かしてゆくだろう。笑みがこぼれた。戻ったら、話したかったことがきっとあふれてくる。これがしあわせなんだと、いまはじめてはっきりと思った。


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7月にホウエン企画(夏伯爵/様)に提出させていただいたものです。


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