「少し歩こうか」


 沈黙を破ったのは彼女だった。いちど話し始めたら案外会話は途切れなくて俺は胸をなでおろす。さっきまでの気まずさを埠頭にそっと置き去りにして、海沿いの柔らかい砂を踏んだ。最近出会ったポケモンのことや、毎日欠かさず聴くラジオのこと。彼女だけが知っている、みのなる木の場所。ぽつりぽつりと、他愛のない言葉を交わした。ひとつひとつ、順番を譲り合うみたいにして、互いの日常の引き出しを開けて見せ合う。

 そのなかで、夜アサギの灯台に出ると噂の幽霊の話をしたら、アトリさんは興味深そうに笑っていた。怖い話が苦手な俺にとっては捨て身の覚悟で切り出した話題だったが、彼女はこの手の話を得意としていたようだ。お返しにと、さっきよりも数倍怖い話を雰囲気たっぷりに聞かされて、夜の海を指定したことを少しだけ後悔した。

 流れていたのは、くだらなくてゆるやかな時間。それは静かな海岸線の波と同じ色をしていた。それからまた少し話をして、再び沈黙が海辺を支配する。だけどそれは既にもどかしいものではなくなっていた。街の灯りが近くなり、さっきより少し光を帯びた砂浜でアトリさんがぽつりとこぼす。


「ヒビキくん」
「なんですか」
「なんだかあまり実感ないね」
「まあ……正直なところ」
「今更訊くけど、あれ、どう思った」

「あれ……って」
「あのメール」


 あのメールとは、恐らく先週の告白メールのことを指すのだろう。思い出して少しだけ体がこわばる。緊張のせいで震えそうになる声を抑えて、あの日から言えずにいた言葉を、なんとかはっきりと口にした。


「嬉しかったですよ」
「本当に?」
「もちろん」


 アトリさんが顔を上げたのがわかった。不安げだった横顔は目元をうるませていたのか、のぞく瞳がきらりと輝いたように見えた。大人びた人だと思っていたけど、いまここにいる彼女はまるで少女のようだ。年上の彼女に対してなのに、綺麗と思うより先に可愛いらしいと思うなんて、俺は少し雰囲気に酔っているのかもしれない。


「そっかあ。実はね、あの時本当は、困らせてしまうんじゃないかって思ってたんだ。こんな、ヒビキくんからしたらあまりにも突然のことだろうし……だから、この状況がまだ信じられなくて。今でも夢だったんじゃないかって思ってる」


 現実かどうかを疑っているのは俺だって同じだ。頭では理解したつもりでも、未だに体がフワフワとしてどこかおぼつかない。実際まだ、俺はありふれた日常から外れた今に、心の底からついていけているわけではなかった。


「前向きな返事がもらえて、すごく嬉しかったよ。だけど、同時に不安にもなった。本当に嬉しかったのに……この数日間、どうしてヒビキくんがいい返事をしてくれたのかずっと考えてた」
「アトリさん」


 光を映す瞳に影を落とし自信なさげに呟いたアトリさんを安心させてあげたいと思った。なんでかなんてわからないけど、もし俺が今何も言わなかったら、うつむいたままの彼女が波にさらわれて、そのまま戻って来られなくなってしまうような気がしたから。


「好きと言ってもらえて、嬉しくない人なんて居ないと思います」

 
 無骨な言葉にならないように、言葉には気を付けたつもりだった。自分がそうであったように、あなたからそんなことを言われてうれしく思わないだなんて、そんなことあるわけがない。

 彼女は言葉を返しては来なかった。風が弄んだ髪を諫めるように撫でつけ、灯台が照らす先を見つめている。


「アトリさん?」


 押し黙る姿に少し不安になって彼女の名前を呼ぶと、アトリさんは振り返っていつも通りの調子で俺に笑いかけた。違和感を感じたことも、彼女の微笑む顔を目にした安心で波間に溶けて行く。


「そう、だよね」
「これから少しずつでも、アトリさんのこと知っていけたらって思います。なにかあった時は、ちゃんと俺に話してください……できる範囲でいいので」
「ありがとう」


 ポケギアを覗く。時間は22時を回っていた。気付かないうちに随分と時間がたっていたようだ。ここからキキョウまでは決して近いとは言い難いし、暗い中を遅くまで連れまわすようなことはできない。


「アトリさん。時間、大丈夫ですか」
「ほんとだ、もうこんな時間」
「あの、キキョウまで、送って行ってもいいですか」
「え?」
「遅いし、ひとりじゃ危ないから」
「私、鳥ポケモン持ってなくて……」
「知ってます。構いませんよ」


 彼女がこくりと頷くのを確認して、ボールを手のひらでなぞった。ヨルノズクを繰り出すと待ってましたとばかりに鳴いた。


「落ちないように、リュックのとこ、掴んでてください」


 (いや、リュックって)

 照れ隠しに失敗して発言したそばから後悔するのだが、今は言えただけでも進歩としよう。見上げた空には満点の星が輝いていて、そのひとつひとつが俺のちっぽけな勇気を見下ろしている。ツメのするどい足が地を蹴るのを確認して、マダツボミの塔が見えるまでのあいだ、星の見える帰路でまたくだらない話をした。


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