「お待たせしました」
「ううん、今来たとこ」


 波の音を背景に、俺は女性と二人きりの現場にいる。おそらく配慮のうえで発された「今来たとこ」ってフレーズも生で聞くのは初めてだ。これが、恋人たちの待ち合わせ。これが、デート……不純異性交遊?いや、いたってまじめな清いおつきあいだ。感動でじんと胸が震える。

 集合場所のアサギ海岸にはすでにアトリさんの姿があった。待たせてしまったことを反省しながら時計を見るとまだ15分も余裕がある。正解がわからなくて早めに来たつもりだったけど、どうやら更に先を越されてしまったようだ。待ち合わせ場所に小走りで可愛くやって来たのは、他でもない俺である。

 あっという間なもので、告白の一件からはもう一週間が経っていた。あの夜のことは正直よく覚えていない。あとからアトリさん宛の返信履歴を見たら、送信時刻に3時17分と書いてあった。真夜中のメッセージ。俺の平常心はどう考えてもバグっていた。

 送信ボタンを押してまもなく、後悔にも似た感情に襲われて、俺は即刻ポケギアの電源を落としていた。しかしすぐさま消したばかりのポケギアの電源を入れている自分に気付き、ベッドの上で転げ回った。現実を受け入れたいのかそうでないのか。何がしたいんだ俺は。

 返信から時間にして約数分。真夜中につき本日は営業終了と思っていた画面にはシンプルに並んだありがとうの文字。俺はポケギアを手にしたまま固まった。告白に前向きな返事をして、その意思が相手にしっかりと受理された。刺激が強過ぎる。一連のやりとりが神々しいとさえ思った。返信の早さやうっすら明るくなる窓の外を気にする余裕は残っているはずもなく、意識はぷつりと途絶え、次に気付いたときにはもう昼前になっていた。ポケギアは昨夜の受信画面のままだった。

 いつもの寝起きの悪さとは打って変わってベッドから勢いよく飛び起き、昨夜のやりとりを思い起こしてみた。受信画面を何度も見直したり、目をつぶって恐る恐る開いてみたりもした。メールは変わらず存在していた。夢じゃなかった。

 ここ数時間だけでも手汗の量が尋常ではなくて、精密機械のポケギアはうっすら白く指紋だらけになっていた。しかしそんなこともお構いなしにベタベタの端末を握り直し、寝落ちしたことへの謝罪を並べた。そして付け足す。アサギの海は好きですか、と。自分がどんな状況のただなかにいるのかこの目で確かめる必要があった。二度目の送信ボタンはひと呼吸置いて、人差し指で押した。

 俺がバトルの勝手もわかっていないような駆け出しのトレーナーだったころ、よくきのみを使い果たしては分けてもらっていたっけ。最初は見ず知らずの人の善意に驚いて、反射的に「受け取れない」と好意を踏みにじるようなことを言ってしまった。だけど生意気なひよっこの俺なんかより彼女はうわてだった。断ってしまった手前あとにはひけなくなっている俺に、「持ち帰るには重たくて困ってたんだ」とてのひらにきのみを落としてくる手。彼女の華奢な手は強引ながらあたたかかった。とても重そうには見えないかごのなかを見て、嘘をつくくせにつき方が下手なやつだなと思いながら、受け取りやすい厚意のかたちを学ばされた。気づけば、俺は照れ隠しの減らず口をたたきながらしっかりきのみを受け取っていた。草むらのマダツボミにさえ苦戦していた俺に半分無理やり持たせてくれたきのみは実はとてもありがたくて、とても価値あるものだった。初心にかえるような出来事があるたび、俺はその日のことを思い出す。

 あとからわかった話だが、アトリさんはキキョウのジムリーダーであるハヤトさんの幼馴染で、ひとつ年上のお姉さんであった。

 さて、今居るここはアサギの海。情けない話だが、こうしていざ彼女と対面した俺はアーボックに睨まれたニョロモのようにすっかり萎縮してしまっている。もちろん、アトリさんは人を物怖じさせるタイプの人間ではない。一見クールなようだけど話すと実は気さくでこちらの緊張をほぐしてくれるような人。彼女に対して抱く印象はキキョウで知り合った当初も今現在も、いい意味で変わらないままでいる。原因はこの得体の知れない空気にあった。ひどくもどかしく、自分が情けない。初対面同士じゃあるまいし、どうして気の利いた言葉のひとつも出てこないんだろう。

 第一関門の待ち合わせを無事に終えることができた。はっきり言って本番はここからだ。だが俺はそのきっかけを作るための二言目に悩んでいる。いい天気ですね……いや天気の話をしだしたら話すことがないって自白しているのと同じだ。会話の糸口を探る俺の余裕のなさは、ハッキリ言って少し格好が悪い。

 自覚した自分の苦手に目をつむりながら、僅かに期待を込めて彼女の様子を窺った。夜のアサギは灯台の灯りが海路を照らすだけで、かすかな光をたくわえた街がひっそりと佇んでいる。海岸を歩くアトリさんの表情は暗がりに溶けて、きっと俺の不安げな視線も彼女に届いてはいないのだろう。どうやら助け舟は期待できそうにない。

 人と話をするのってこんなに難しいことだったかな。幼なじみのコトネやバトルを介して知り合った人たちとの会話を思い出すが、大体はポケモンのことばかりだった気がする。ポケモンバカであることは、俺の長所でもあり短所でもある。今みたいに情けなく口をつぐむ様子をオオタチに見られたら、あの尻尾で思い切りはたかれるんだろうなあ。またあれが痛いんだ。

 俺のにがい感情を早速感知したのか、ベルトのボールがカタカタと揺れる。ほうら、きっと今尻尾をたわませているぞ。攻撃を繰り出す合図だ。俺は真一文字に結んだ唇を持て余したまま、波の音に紛れるその音をただ聞いていた。



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