窓から入り込む日ざしの猛威はまだまだおさまりそうにありませんが、ここに居る人たちはそんなこともお構いなしに、思い思いの温度でコーヒーをたのしんでいます。もちろんあたしもそのうちのひとりで、物好きやなぁなんて言われながら温かいカフェラテを注文したのでした。冷房の効いた店内にいっそう機嫌を良くしたアカネちゃんが、グラスがしっとりと濡れるのも待たずにアイスコーヒーを飲み干します。それを合図として、あたしは前にもそうしたようにぴしりと背中へ力を入れました。いつも笑顔のアカネちゃんが真面目な顔つきになったとき、何故かはどうにもわからないのですが、しゃんとしなくてはいけないような気持ちになるのです。

「さてヒビキ。今日集まった理由は言わんでもわかるかと思うけど」
「あいにくだけどわからないからちゃんと説明してくれ。俺はどうしてここに呼ばれたんだ」
「あかんあかん、鈍感な男はこれやから……。うちら三人が集合しとんねん、そんなん決まってるやんか。もちろん……」
「もちろん、夏祭りデートの報告を訊くためですよ」
「なんなんツクシ……ウチにかぶらんといて」

 ツクシさんに決め台詞を奪われてしまい、アカネちゃんは可愛いらしく頬を膨らませました。くるくる変わる表情に、頬杖をついたヒビキさんが深く息をはきだすのが聞こえます。アカネちゃんの勢いに翻弄されるヒビキさんを見て、思わずくすりと笑ってしまいました。あんなにバトルが上手なヒビキさんも、今のアカネちゃんにはかなわないようですね。

 あたし達が座ったのは、入り口から一番遠い、お店の隅のテーブルでした。喫茶店の中は混みあっていましたが、不思議なことに、周囲の三テーブルだけは空席です。店員さんの気遣いなのでしょうか。店頭には席を待つお客さんがまだいるようでしたが、あたしはヒビキさんのお話を密かに楽しみにしていたので、心おきなくお話を聞けるのだと、不謹慎ながら胸を踊らせていたりもしました。

「まあそないなことはええねん。ヒビキ、デートはちゃんと計画通りにうまいこといったんやろな」
「悔しいけど、お陰様でうまくまとまったよ」
「そりゃそうですよ、どんなに要領の悪いヒビキさんでも立ち回れるように計画を練ったんですから」
「……そりゃどうも。俺的にはゲームコーナーのハードルが高すぎたけど……」
「ゲーム、コーナー?」

 こぼすように言ったヒビキさんがはっと口を押さえた時には、既にアカネちゃんとツクシさんの目にはきらりと光が灯っていました。

「そうやそうや、えっらい大事なこと忘れてたわ。プリクラちゅうもんがあった」
「ヒビキさん勿論今持ってますよね?勿体ぶらなくていいのでさっさと提出してください」

 やってしまったと言わんばかりの表情から、そのまますっかり言葉に詰まってしまったヒビキさんは、脇に除けていたリュックをがっしりと掴むと、ようやく「無理だ」と決死の三文字を紡ぎました。ヒビキさんのお顔は真っ赤、というよりも真っ青に近い色をしています。こんな顔色になってしまうくらい見せたくないものなのでしょうか……。見たいという好奇心はお腹の裏側をくすぐりますが、そうは言っても嫌がっているヒビキさんに無理強いしたいわけではありません。

「そうですか……ヒビキさんとアトリさんの幸せそうなお顔が見られないのは残念です。でも、ヒビキさんがお二人だけの秘密にしたいのでしたら、あたしのことは気になさらなくても大丈夫ですよ!」
「み、ミカンさん」
「あかん……ミカンむちゃくちゃええ子」
「ヒビキさんと違って思いやり100パーセントですからね」
「何で俺を見るんだよ!」
「そうやな、ミカンの言う通り、ヒビキがどーしても見せたないっちゅうんならウチら諦めるしかないわ」
「僕は見れなくても構わないんですけどね、ミカンさんはさぞかし見たかったでしょうに」
「酷な対応やわ」
「卑怯だぞお前ら!ミカンさんを盾にするなんて……」


▲▽


「やーんアトリさんめっちゃかわいー!」
「確かに。もともとお綺麗な方だなとは思っていましたが、写真うつりもいいんですね」

 あのあと、ヒビキさんは一度は青くなった顔を沸騰したかのように色づかせ、半分に切り取った台紙を差し出してくれました。受け取りぎわのお顔は心なしかやつれたような表情です。やはり無理を言ってしまったかしらと不安になりましたが、ごめんなさいと言う間もなく「ミカンさんは気にしないでください」と苦笑まじりに言われてしまいました。ヒビキさんはあたしよりも年下ですが、人一倍気遣いのできる素敵なかただと思います。アトリさんは、きっとヒビキさんのこういうやさしさに誰よりも早く気付いていたのでしょうね。

 あたしはどちらかというと楽しみを最後まで残しておきたい性分なので、先に台紙をアカネちゃん達へと手渡し、ひとまず口々に漏らされる感想を聞くことにしました。

「でも意外だな、アトリさんって結構ワイルドな字書くんですね。もっと繊細な字を書く人なのかと思ってましたよ」
「何言うとんねん!字なんて関係あらへんわ、ハートやハート!この一生懸命な感じ……うちは今ここからアトリさんの想いを読み取ったで」
「は?何いってんだよアカネ、それは俺の字」
「え、」
「ちょっと待って下さいヒビキさん……それはこの『夏祭りデート』とか『初プリ』とかのことを言っているんですか」
「ちょっと、声に出すなよ恥ずかしい!」
「うそやん……え、じゃあなんなん!こっちのシンプルなやつの方が」
「アトリさんが書いたんだよ」

 アカネちゃんとツクシさんは目をまんまるくして顔を見合わせています。だけど断片的な情報に頼るしか方法のないあたしには、何が起こっているのか今ひとつわかりません。

「なあツクシ……うち思たんやけど」 
「そうですね、多分僕も同じことを考えてます」
「なんてゆうんやろ」
「アトリさん」
「「スタイリッシュ」」
「それに比べて」
「ヒビキさん…」
「「オトメン」」

 ふたりが声を揃えて言った言葉に、ヒビキさんは音を立てて硬直してしまいました。あたしは先程からの真相が知りたくて、アカネちゃんから台紙を受け取りまじまじと写真を見つめます。ツクシさんは、オトメンというより女子中学生かもしれませんね、なんて言いながらけらけらと笑っています。

 数種類ある画像には二人ぶんの筆跡を読み取ることができて、なるほど、先ほどはこの書き込み……いわゆる落書きの話をしていたのだなとあたしは一人合点します。話のとおりにシンプルな文字を辿れば、控えめに並んだ数字の羅列に行きあたりました。これは花火の日の日付でしょうか。
 初めて恋人と行く夏祭りで、はしゃぐ心をおさえてこれだけを書き込んだアトリさんを思うと、なんだかいとおしい気持ちになります。もっと浮ついたところを表に出してくださってもいいのに、なんて勝手に二人の思い出をのぞかせてもらっておきながら踏み込んだことを考えてしまいました。

「ありがとうございます。すごくお幸せそうな写真で、こちらまでおすそ分けしていただいたような気持ちになりました。ヒビキさんは、アトリさんのどんなところを好きになったんですか」
「え!えーと……急に言われても」

 急に聞かれてもおそらくすぐに答えられるとは思っていなかったあたしは、急く心を落ち着けてヒビキさんからどんな言葉が返ってくるのかを待ちました。ヒビキさんがあらためて自分を振り返って、いままで言葉にしてこなかったぼんやりとした気持ちに輪郭をあたえるところを見られる。今日もなんだか有意義な時間になりそうです。
 そらそやなあ、少し時間を差し上げますので最低でも10個言いましょうとこの話に便乗するアカネちゃんとツクシさん。お友達の恋のおはなしをするとき、ポケモンのお話をするときと同じくらい、みんな少し体が話題のあるほうへ向いて、次の言葉を今か今かと待ち望んでいるのがわかります。

「えーと……」
「あんまり待たせたらあかんで、アトリさんに聞かれたときのために練習や練習」
「ヒビキさんそんなに頭使ったら明日知恵熱出して倒れませんかね」
「そら乗り越えなあかん愛の試練や、恋人を看病するいうイベントも発生して一石二鳥やろ」
「人を勝手に倒れさすな!ただまあ……いざどうしてと聞かれると、案外困る」
「恥ずかしがったって無駄ですよ、僕らも忙しいですけど10個聞くまで帰れませんからね」

 こんな風に、アカネちゃんもツクシさんも茶化しはするものの、ヒビキさんにずいずいと詰め寄りはせず、今度はお二人なりの「アトリさんの好きなところ予想」に花を咲かせはじめました。
 ただ、想像以上にヒビキさんは言葉にすることに難航しているようでした。恥ずかしがっているというよりは、本当に困っているようなのです。自分のなかで、ひとを好きになることの定義が出来上がっていないとしても、なんだかぼやけた物の形を探っているというよりは、何もないところになにか、ぶつかるものがないか探っているようにも見えました。

「ヒビキさん……あの」

 もちろんわかっていました。物語の主人公が大恋愛の末に結ばれるだとか、実は互いに想いあっていたとか、そんなロマンチックないきさつは、決してありふれた話ではないということ。だけど不穏な空気を打ち消すような言葉は期待できそうになくて、あたしは待ちきれずヒビキさんに声をかけそうになりました。

「俺のことを、好きになってくれたところ……だと思います」

 ヒビキさんの答えは、もちろん責められるようなものでも、ましてや悪いものでもありませんでした。だけど今日ここにアトリさんがいなかったことに安堵してしまったのはあたしだけではないはずです。

「……これは参りましたね」

 あと9個、少なくともいまは聞けそうにはありませんでした。




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