私には所謂、前世の記憶がある。
昔それを母に言ったらものすごく心配されたので、それ以降誰かに言ったことはない。
前世の私は山奥の小さな村に住んでいて、親の決めた顔も知らない相手と結婚する筈だった。
その時私には好きな人が居て、その人は同じ歳のさらに山奥に住む炭売りの男の子だった。
たまに荷馬車を引いて兄弟とやって来ては、村の人の雑用を押し付けられてもニコニコと笑って進んでやってしまうような人の良い男の子だった。名前は竈門炭治郎。耳に特徴的なピアスを付けて、おでこには火傷の跡が残る赤みがかった黒髪が未だに脳裏に焼き付いている。
そしてついに縁談の日が迫った。
私は何もかも嫌になって家を飛び出した。
その後の記憶はただ曖昧でしかない。
私は鬼になったのだ。
人を殺し血肉を喰らう醜い鬼。
「もしかして… なまえさん?」
彼の震えるような声、信じられないものを見るような目つきで私に刃を向けている。
好きだった人の好きな声が好きな顔が悲しみに染められている。
私はそこで自分が何をしていたのかようやく理解した。
「炭、治郎くん」
見ないで。
醜く汚れてしまった私を。
ぼろぼろと涙が溢れた。
「殺して」
首を差し出す。
炭治郎くんの呼吸がはあはあと荒くなる。
ふるふると切っ先が震えて定まっていない。
「お願い。殺して…」
炭治郎くんがぼろぼろ涙を流しながら私に向かって走り出した。
「水の呼吸… 伍ノ型…干天の慈雨」
すとん、と優しく私の頸が落ちた。
なんの痛みも苦しみもなく、暖かさすら感じる。
「…こんな、姿になって…それでも…最後に貴方に言いたい、ことが…」
「はい…っ」
すかさず刀を鞘に納めた炭治郎くんが消えゆく私の身体を抱きしめた。
「好き、でした」
それだけ言うと私は塵も残らず消え去った。
これで私の前世の醜い物語は終わりだ。
そのはずだったのに。
「なまえさん、こんにちは!」
「こ、こんにちは」
現代では彼と同じ学校に通う生徒。
中学に上がって初めて彼を見たときは心臓がどうにかなりそうだった。
高校に上がった今では極力彼を避けて学園生活を過ごしている。
どうしても醜い自分のことを思い出してしまうから。それがとても辛い。
「…っ?!」
急に腕を掴まれて私は声が出なかった。
炭治郎くんが私の腕を掴んでいる。
真剣な顔で私ににじり寄る。
「なまえさん、何か隠してますよね?俺に」
「え、な…?私たちあんまり喋ったことないでしょ…隠すも何も」
「嘘ですよ」
「炭、治郎くん…?」
私の腕を掴む手に力が込められる。
思わず痛っと声が出た。
それでもあの優しかった炭治郎くんは手を離さなかった。
「知ってるんです。ずっと、なまえさんから懐かしい匂いがするんです」
「…」
「俺の好きな、匂いがするんです」
やめて、炭治郎くん。
あの時の君の表情と、被るから。
「俺と何処かで会ったことがありますか?」
私はその場で泣き崩れた。
好き、好き、好き!!
そう叫んでやりたい。
貴方が好きだから縁談から逃げて鬼になったの。
人を殺したの。食べたの。
全部全部吐き出してやりたかったけど、出来なかった。
お願い、あの時のように私を解放して。
もう、醜い自分を忘れさせてよ。
「ご、ごめんなさい!泣かせるつもりは…」
おろおろしながら炭治郎くんがハンカチで私の涙を拭う。
ああ、懐かしいな。
前にもこんなことあったっけな。
私の涙を拭うと、炭治郎くんは優しい顔になって真っ直ぐに私を見つめた。
「好きです、なまえさん。貴方の背負ってるものごと全部、愛します。一緒に背負わせて下さい」
一介の高校生が言う台詞じゃないでしょ。
生まれ変わっても、本当に…彼は真面目だ。
私は小さく頷いて、前世の懺悔と恋と現世の愛を語った。
今も変わらず