別れよう、勝己。



そう言われたのはいつだったっけ。



随分昔のことのように感じるし、つい最近な気もする。

サイドキックを卒業し、事務所を持つプロヒーローになって毎日が忙しく充実していた矢先に言われた言葉だった。

理由を聞いても教えてくれない。
なんでだよ、と苛立たしげに睨みつけても微笑むだけ。


なまえが何を考えているのか、俺には昔から分からなかった。


さよなら、と動いた唇が僅かに震えていた。
そのままなまえは家を出て行った。


1LDKのアパートに俺一人残された。
一人になると途端に広く感じる。
なまえと一緒に住んでた時はあんなに手狭に感じていたはずなのに。


トースターにパンを放り投げ、コーヒーサーバーをセットする。
適当にテレビをつければ、朝の番組が今日の天気を知らせていた。

その間に着替えを済ませ、チン、と鳴ったトースターからパンを取り出し、出来上がったコーヒーをカップに注ぐ。

この動作を毎日していたのは俺じゃなかったのにな、とほくそ笑む。

朝の弱いなまえが無理して毎朝続けていた習慣。
なまえがいなくなった今は俺が引き継いでやっている。
…もっとも、どちらも俺のための行動なのだが。


時刻が8時を知らせる。
今日は久しぶりに仕事が休みなので、気兼ねなく朝食を満喫する。


目の前になまえがいたら、この少し焦げたトーストの文句も言えただろうに。今はもうなまえはいない。


なまえが俺の元を去ってから休みを中々入れなかったので、流石にサイドキックに心配されて無理やり休みを取らされた。
いらねえ世話してる暇があったら上に行くために必死こいて仕事しろってんだ。



何気なくサイドボードに目をやると、旅行に行った時になまえと撮った写真が飾られていた。
片付ける暇もなかったし、そもそも片付ける気にもならない。

そういえばあの旅行の日も少し変だった。
あいつはなんて言っていたっけ。


『私ね、昔のことって全然思い出せないんだ』


そうだ、部屋で二人日本酒を空けながら会話してる時にこんなことを言っていた。
この時は子供の頃の記憶なんざ覚えてるやつの方が少数派だろ、なんて言った気がする。
なまえの表情が酷く悲しげだったのを覚えている。

なんだ?
何かが引っかかる。

『勝己の個性はいいなあ、格好良くて』

…俺の、個性は

『私の個性は』

なまえは無個性だろ?

『…ごめん、それ誰だっけ』
『あれ、何か約束してたっけ』
『あ、ああ…あのことね…』

思い出せば思い出すほど、違和感が生まれてくる。
その違和感のピースが、ひとつひとつパズルのようにハマっていく。


「待てよ…あいつの個性って、本当に…」
 


無個性だったのか?



弾かれたように身体が動き出していた。
気持ちが悪い。
どうしてこんなことに気がつかなかった?
なまえの職場まで走る。


この家からはたった一駅分。
近い物件を選んだから。


職場に行くまでもなく、その姿はそこに合った。
なまえは最寄り駅の改札口に所在なさ気に立っていた。
咄嗟にその腕を掴む。

「…なにしてやがる。てめェ…会社、遅刻してんじゃねえか」

なまえがふると肩を震わせて、俺を見上げる。
その瞳は不審気で、まるで知らないものでも見るような目だった。
一瞬で何かを悟ったように困ったように笑う。こいつは俺の前でこんな顔をしない。

「ごめんなさい…どこに行けばいいのか、分からなくなって」

久しぶりに聞いたなまえの声は、よそ行きの声色をしていた。


ああ、やっぱりな。



「…ッなまえ!」



絞り出すようにその名前を口にする。
弾かれたようになまえは俺を見上げて、…視線が合った。
その瞳が大きく見開かれ、一瞬にして希望と絶望が入り混じった表情をする。

そして、少しの逡巡。
わなわなと口を開く。


「…勝、己」


名前を、呼んでくれた。


「聞きたいことがある。いっぱい…ある」


なまえはその瞳からぼろぼろと涙を流す。


「私…勝己のことまで、忘れて…」


やっぱり、と顔を両手で覆って声も出さずに泣いた。



個性、…忘却。




時間が経てば経つほど、記憶を失っていく。
今日はついに職場への道も忘れていた。


「好きだ、なまえ。俺の元へ戻ってこい。忘れるなら思い出させてやる。それでもダメなら…新しい思い出を作りゃいい。」



なまえは泣くばかりで頷かなかった。



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