お別れと、物語のはじまり

「ぴっぢゅぅううううう!!」
 いつもの可愛らしい声とは真逆の、唸り声にも似た全力の鳴き声がまるで咆哮のように響く。その鳴き声を持つポケモンはナックルジムでもサヨのピチューだけだ。
 ピチューは力の限り小さな体から大量の電気を放出していた。
 その向かう先にいるのは、ジムで育てるポケモン達の中でも一番気性が荒いジャラコだ。ジャラコは短い四つ足で踏ん張りながら襲いかかる電流に耐えた。耐え抜いたあともまだ痺れは残るだろうに、ふんと鼻を鳴らすと前足で地面を打ち鳴らしている。そして狙いを定めると、相手に向かって全速力で頭を突き出しながら突撃してきた。
 見事な頭突きがピチューの体に直撃する。
 いとも簡単に吹き飛ばされたピチューは、ぺしゃりと音を立てて地面に倒れた。
 はらはらとしながらその様子を見守っていたサヨは、我慢できずにピチューに歩み寄った。
「ピチュー、そろそろやめようよ……さっきもポケモンセンターに行ったばかりなんだよ?」
「ぴ、ちゅ……」
 まだまだ、と言いたげにピチューが体を起こす。今の一撃でふらふらになったというのに、少しも諦めるつもりはないようだ。
 そんなピチューの様子にサヨが困った表情を浮かべると、近くを通りかかったヒトミが声をかけた。
「どうしたの、サヨちゃん」
「ピチューが言うこと聞いてくれなくて……最近、ずっと他のポケモン達に勝負を挑みに行くんです」
 サヨがそう答えた瞬間、ピチューがジャラコに突撃した。
 今度はがむしゃらに体当たりを繰り出した。まるでさっきの頭突きの仕返しと言わんばかりに攻撃しているが、一度だけふらりと体が傾いたものの、ジャラコはなんともない様子でピンピンしている。
 ジャラコはくるりと体を回転させ、短い尻尾でピチューを振り払った。
「ぴちゅう……!」
「ああ、もう、言わんこっちゃない……!」
 サヨは慌てて足元に吹き飛ばされてきたピチューを抱き上げる。さっき元気になったばかりだと言うのに、もう体中が傷だらけになっていた。
 ジャラコはピチューがサヨに抱き上げられるのを見ると、これで終わりだと言いたげに鼻を鳴らして踵を返して行った。
 入れ替わるようにやって来た飼育係のトレーナーの男が、ピチューを見て興味深そうに笑った。
「ああ、今日もジャラコに挑んでるのかい。頑張るねえ、ピチュー」
「頑張るって、何を?」
「何って、そりゃあポケモンバトルだろう? キバナ君の公式戦を見て、ピチューも強くなりたいと思ってるんじゃないのかい?」
「ええっ!?」
「そうなの、ピチュー?」
 サヨとヒトミは驚いたようにピチューを見下ろした。
 気力を取り戻したピチューが意気込んで頷く。必死に小さな手を動かして「ぴちゅぴちゅ! ぴかちゅ!」と訴えるが、残念ながら何を伝えたいのかサヨにはあまり分からない。ただ、強くなりたいと思っていることはしっかりと理解できた。
「ピチューはサヨちゃんが大好きだからねえ。強くなってパートナーを守りたいんだろうさ」
「なるほど。それは一理ありますね……」
「そんな……急いで強くならなくてもいいんだよ?」
 いつもの訓練の時と違い、観客席いっぱいに人が集まったナックルスタジアムで見た光景はサヨとて忘れられないものだ。
 中央のコートで白熱としたバトルを繰り広げるポケモン達。
 そのポケモンに指示を出すポケモントレーナーの戦略。
 キバナや、他のトレーナーの指示に従って戦う姿はやはり痛ましいと思ったが、キバナ達の戦い方には圧倒されるばかりだった。『ダイマックス』を間近で見るのが少し怖いと思っていたサヨでさえ思わずその戦いに引き込まれてしまうような、そんな大迫力の戦いだったのだ。ピチューが影響を受けてしまうのも納得ができる。
 しかしながら、サヨもこればかりは楽観的になれない。
 何しろ、ここ数日のピチューは本当に怪我が絶えないのである。
「ピチューは今でも十分強くて可愛いのに……」
 サヨがそう声をかけると、ピチューは不満そうに頬袋を膨らませた。
 納得させるどころか、完全に機嫌を損ねてしまったらしい。
「サヨちゃん、男の子はいつだって女の子の前で見栄を張りたいものなんだ。強くなりたいっていうピチューの気持ちを否定しちゃ駄目だよ」
「でも、このままじゃ他のポケモン達にも怪我をさせてしまいますし……」
「それじゃあ、キバナ様に相談してみるのはどう? 私達と一緒なら、町のすぐそばで特訓させてもらえるかも」
「あ、そっか……うん、お願いしてみる! ピチューもそれでいい?」
 ヒトミの言葉にパアッと表情を明るくしたサヨが腕の中にいるピチューを見下ろすと、ピチューもまた嬉しそうに笑った。怪我を忘れさせるほど元気な鳴き声が返ってきて、サヨはニコリと笑みを深くする。
「そういえばサヨちゃん、今日はお勉強の日じゃないのかい?」
「はい。この前簡単なテストをして、合格が出せたらもう大丈夫だろうって言われてるんです。今日中に教えてくれるらしいんですけど……わっ! こら、ピチューッ! 大人しくして!」
 思い出したように尋ねるトレーナーに答えながらサヨがそっと傷薬を取り出すと、その容器を目にしたピチューが途端にサヨの腕の中で暴れ始めた。傷口に沁みるのがよほど嫌なのだろう。傷薬は嫌だと涙目で訴えてくる。
 ――が、怪我を負ったのは自業自得だ。強引に取り押さえたサヨが問答無用で傷口にスプレーをかけると、「ちゃぁあ……」と悲しそうな鳴き声が上がった。
 サヨとその相棒のやり取りを見て、先輩トレーナーの二人は揃って笑みを浮かべた。
「文字の読み書きも問題なくなったし、トレーナーとしての貫禄もついてきたし……サヨちゃん、今度のジムチャレンジに参加してみるのもいいかもしれないわね」
「ジムチャレンジ……?」
「八つの街を巡って、その街にあるジムリーダーにポケモンバトルで挑戦するんだよ。今度のリーグ戦で順番がどうなるかは分からないけど、うちは変わらず最後の砦になるだろうね」
「キバナさんとポケモンバトルって、軽装のまま激戦地の戦場に行くようなものじゃないですか……? 私なんかじゃ砂嵐一つで死んじゃいますよ……」
「あっはっはっ! 流石のキバナ君も普通のジムチャレンジでそんな荒々しいバトルはしないよ!」
「フフフッ。それに、サヨちゃんなら絶対生きて帰れると思うわ」
 楽しそうに笑いながら否定する彼らに、どうしてそんな風に言い切れるのだろう、とサヨは首を傾げた。
 エキシビションマッチで見たキバナはドラゴンポケモンそのもだ。勝利をもぎ取るためにバトルに夢中になっているのだろうが、あの荒々しさを普段の穏やかさの裏に隠し持っていると思うと恐怖すら感じる。
 傷薬が傷口に沁みるのを必死に耐えているピチューの頭を優しく撫でながら納得できない顔で首を傾げていると、そこへもう一人、ナックルジムのトレーナーがやって来てサヨに声をかけた。
「あ、いたいた! おーい、サヨちゃん! 荷物届いてるよ!」
「荷物……? 私宛てにですか?」
「そう。ランサスさんって人から」
 その名前を耳にした瞬間、どくりと心臓が跳ね上がる。
 ほんの少しだけ嫌な予感を感じながら、サヨはトレーナーに連れられて届いた荷物の確認に向かった。


 *** *** ***


「本当に良かったのか、何も言わないままで」
 多くの人が行き交うシュートシティの空港の片隅で、キバナはキャリーケースを引いて歩く老紳士にそう声をかける。
 相棒のパルスワンがキバナの声にぴくりと耳を動かし振り返るが、当の本人に迷いはないのだろう。振り返ることなく、朗らかに答えた。
「僕は別れを惜しむのが苦手でね。特に優しくて可愛らしい女性とは離れがたくなってしまうんだよ」
「それ、あんたじゃなかったら聞き捨てにならない台詞だよ、ランサスさん」
「はっはっは。感情のままに動けるのは若者の特権だよ、キバナ君」
 キバナの言葉の裏に隠された感情を見抜いているのか、ランサスは心底楽しそうに笑った。
「最後にあのスタジアムで君のバトルを見ることができて良かった。とても素晴らしいポケモンバトルだった。若い頃を思い出して、年甲斐もなく血が滾ってしまったよ」
「血の気が多いところは紳士らしくないな」
「トレーナーたるもの、バトルには熱くなってしまうものだろう? それに……男はいくつになっても少年時代が忘れられないものさ」
 飄々と言葉を連ねる彼に、キバナはひょいと肩を竦める。
「そりゃ、初恋が忘れられなかった自分のことを言っているのか?」
「フフ。そうだねえ……長いこと生きてきたが、こんなにも運命を感じる出会いは彼女以来だ」
「おいおい……冗談もほどほどにしてくれよ」
「それぐらい魅力的な女性だということだよ。君は良い女性と巡り会えた。離れたくないと思うのなら、人一倍大切にしてやりなさい。コソコソするんじゃなくて」
「コソコソしようとしたら、あんたがサヨにバラしたんだろ。俺、めちゃめちゃ疑われたんだからな、『ランサスさんに無理言ったんですか?』って」
 キバナがそう不満を零すと、搭乗口へと繋がるゲートを前にしてランサスはようやく足を止めた。それからおもむろに振り返り、一通の手紙を差し出す。
「これを、サヨさんから君へ」
「手紙……? なんでランサスさんが……?」
「最後のテストとして書かせたんだ。本人に読ませるのは嫌だと言われたから僕が預かっていた。合格は君の口から伝えてあげてくれ。……ああ、心配しなくとも、僕は中を読んでないよ」
 ――コソコソしてるのはお互い様じゃん。
 キバナは肩を竦めて笑った。
「あの子はきっと、ドラゴンの美しさにも引けを取らない立派なレディになるだろう。誰かを思いやるには、それだけ気高い思想も持ち合わせていなければならない。譲らない頑固さも、何かを追い求める一途さも、彼女の美徳だよ」
「知ってるよ。それはトレーナーとしても大事な資質だからな。諦めの悪いところもそうだ」
 目深に被っていた帽子の陰から、柔和な瞳がじっとキバナの顔を見つめた。
「キバナ君は、彼女がどうしてタイプライターに執着していたか知っているかい?」
「タイプ音が好きだってことは、前に聞いたことがある」
「そう。死んだ母親のタイプ音が忘れられないと言っていたよ」
 キバナは目を見開いた。
 サヨの家族について話を聞いたのは、これが初めてだった。
「彼女の母親は小説家だったらしい。ある日、その遺品の中に未完成の話が残されているのを見つけて読んだそうだ。そこに描かれていたのはタイプライターを扱う少女の話で、途中で終わっているがとても面白かったと話していた。自分と同じ、タイプ音が好きな主人公だったと」
「それじゃあ、サヨがタイプライターを欲しがっていたのは……」
 こくり、とランサスは深く頷いた。
「何かに執着するということは、それだけ思い入れが強いということ。人が思い出を形に遺そうとするのも同じだ。それは決して悪いことじゃない。……でも……あのタイプライターを手元に置き続けて、一つだけ気づいたことがある」
 なんだ、とキバナは視線で尋ねた。
 ランサスは小さくため息を吐き出し、続けた。
「死んだ人間に執着することは良くない。『形見』は人との繋がりを大切にした証だけれど、もう永遠に繋がることのない絆だ。実際、彼女の前に何人もの人が声をかけてくれたのに、結局僕はこの歳まで手放せなかった。あれを捨てることは、『彼女』への想いを捨てることだと思っていたから」
「……それだけ好きだったってことだろ」
「そう。愛は、良くも悪くも人を狂わせる。たった一つの愛が、誰かの人生を変えてしまうんだ。添い遂げる自信も、想い続ける決意も、そのあとを追いかける覚悟すら与えてくれる」
 それの何がいけない、とキバナは眉を顰めた。
 そんな彼の心を見透かすように目を細め、ランサスは静かに告げた。

「つまりね、キバナ君。愛は時に、人を殺すんだよ」

 道行く人の声も、雑踏も遠退いていく。
 二人の空間だけが異様な空気に包まれたような、そんな気がした。
 空港にアナウンスが流れたのはその時だ。
 もうすぐランサスが乗る便が出発するらしく、搭乗口に向かう人が増えた。
「おや、もうこんな時間か。歳を取ると、話が長い上に説教くさくなってしまうからいけないね」
 ランサスはそう言って、空気を一変させて朗らかに笑んだ。
「まあ、こんな話をしてしまったが……愛は素晴らしい。だからこそ、あの子には僕みたいに死者を想うだけでなく、いつか自分が愛した人と添い遂げて欲しいと願っているんだよ。こうして年老いてから感じることだが、意外と一人が寂しくなる時もある」
 明るい雰囲気ではあるが、しみじみと語る彼の言葉にはどこか重みを感じられた。
 きっとそれは、キバナがまだ経験することのない『時間』だ。たった一人を想い、愛し、そうして残り短い時間も一人で生きる、一人の男の本音だった。
 その思いを素直に受け止め、キバナはニカッと笑った。
「心配いらねーよ。俺、欲しいと思ったら手に入れるまで諦めねえし」
「はっはっはっ。この二ヶ月、とても有意義で楽しかった。遠くの地でも君がチャンピオン・ダンデを倒す日を心待ちにしているよ。その恋の芽がいつか花開く時もね」
 そう言ってランサスはパルスワンをモンスターボールの中に戻し、背中を向けて歩き出す。
 キバナはその姿が見えなくなったあとも、ランサスが乗っているであろう飛行機がゆっくりと地上を離れて大空へと飛び立っていくまで見送り続けた。
 そしてその機体が小さくなった頃、手渡された手紙に目を落とす。
 ガラル一のトップジムリーダーともなれば、ファンレターを受け取る機会は頻繁にあった。しかし、これはファンからの手紙ではない。自分が密かに想いを寄せる女性からの、送られてくるはずのなかった手紙だ。
 丁寧に封を開いてみると、まず目に焼き付いたのはタイプライターのクールなフォントだった。濃い部分もあれば薄い部分もあるインクの文字はまるで手書きのような雰囲気も感じさせるので、読む側としても悪い気はしなかった。
 文字を追っていけば、『拝啓、麗しきドラゴンストーム様』というお茶目にも遊び心を感じさせる丁寧な書き出しから始まっていた。
 ピチューと一緒にワイルドエリアで助けられたこと。
 ナックルジムで雇ってくれたこと。
 ガラルの文化や文字が分からないと言えば少しずつ教えてくれたこと。
 ランサスと引き合わせてくれたこと。
 一枚の紙きれにはサヨらしい言葉で、彼女の本音を余すことなくキバナから与えられたものへの感謝と、これからもその恩を返していきたいという思いが綴られていた。先日誘ったエキシビションマッチをきっかけにポケモンバトルだけでなく、もっと多くのポケモンのことを知りたいとも書いてあった。
 そして、キバナは最後の一文に目を通し、目を細める。
 バタバタと忙しない足音が鼓膜に響いたのはその時だった。
「ああ、いた! キバナさぁん!」
 サヨだ。
 脇目も振らず、人目があるにも関わらず、彼女は思いきり有名人の名前を口にした。
 別に隠れているつもりもないが、今はプライベートの時間なのでキバナは私服だ。上手く人混みに紛れていたというのに、一斉に注目の的になった。
 瞬く間に「え、キバナ!?」、「どうしてこんな所にいるの!?」という声があちこちから上がり、キバナは目くじらを立てた。
「馬鹿ッ! こんなところで大声で呼ぶな! 目立つだろ!」
「そんなことより! どうしてランサスさんがガラルから出て行っちゃうこと黙ってたんですか!」
「そんなことって、お前な……」
 突然のことで混乱しているのか、飛びついてくるサヨは全く周りが見えていないようだ。この様子では自分がどこに来ているのかも分かっていないのかもしれない、とキバナはため息を吐いた。
「内緒にしてくれって言われてたんだよ……お前がそうやってピーピー泣くと思ったからランサスさんも黙って行ったんじゃねーの? 文句あるならランサスさんに言ってくれよ」
「ピーピーって……ひどい……今のはピチューが『ほっぺすりすり』しても許されると思う……」
「許されるわけないだろ! おい、ピチューもやめろって!」
 サヨの言葉に足元から無言でテテテと近づきて来たピチュー。その丸い頬袋からパチパチと電気を発しているのを見て、すかさずキバナは逃げるように後退りした。日頃の触れ合いからある程度の耐性はついているが、痛いものは痛いのである。
 そうして逃げ惑うキバナを見て、ふとサヨはある物に気づいた。
「あ!? それ、まさか……」
「あ? ……ああ、これか。ランサスさんに貰った」
「やっぱりあの手紙!? 読んだんですか!?」
「そりゃあ貰ったら読むだろ、普通」
「う、嘘でしょ……キバナさんに見られないと思ったからあれこれ正直に書いたのに……信じられない……こんなのひどい……悪夢だ……死ぬ……」
「死なない、死なない。あつーいラブレターだったぜ。ありがとな」
「ラブレターじゃないです! 感謝のお手紙です!」
「はあ? めちゃめちゃ俺様のこと『大好き』って書いてただろ。書いた内容忘れたなら今ここで読み上げてやろうか? こほん……『拝啓、麗しきドラゴンストーム様。この手紙があなたに届かないと分かっていますが、言葉ではうまく伝えられそうにないので』――」
「あーっ!! わーっ!! やめてください!! 公開処刑反対です!! 異議有り!!」
 ニヤニヤと笑いながらサヨの手紙を開いて頭から読み始めたキバナに、サヨは今度こそその手紙を奪い返すべく飛びかかる。
 しかし悲しきかな、身長差からどれだけぴょんぴょんと跳ねてもその手紙には手が届かない。
 挙句、二人のやり取りを遠くから見ていた野次馬のギャラリーからは「そんなところでイチャつくなよ〜」と揶揄い交じりの声が飛んでくる始末で、ようやく周りの目が集まっていることに気づいたサヨは顔を手で覆い隠した。その指先から耳の先まで赤く色づいているのを見て、キバナはおっ、と目を丸くする。
「穴があったら入りたい……」
「え、何。今さら照れるところ?」
「うるさいです。キバナさんの馬鹿。ダンデさんに浮気してやる」
「おっと、そうくるか」
 他の男ならともかく、彼女の口から出てきたのは自他共に認めているライバルの名だ。
 聞き捨てならない発言に、キバナは目を吊り上げる。
 ――さて、この鈍感女にどう分からせてやろうか。
 ギラリと瞳を光らせる目の前のドラゴン使いがどれほど想いを募らせているか、この少女はまだ理解していない。自分に向けられるポケモンの信頼も、人の優しさも、全てが善意だけで成り立っていると思っている。
 今も、そうだ。
 軽口を叩けるのはそれだけ相手を信頼しているからこそ。『浮気』なんて言葉を軽率に口に出せるのも、自分に向けられた感情に気づいていない証拠だ。
「……最初はさ、本当に困ってるみたいだったから、なんとかしてやらないとって思っただけなんだ」
 ぽつりと呟いたキバナに、サヨが顔を上げた。
「『異世界から来た』とか言われても、正直俺には真実がわかんねえ。泣くとめんどくさいし、変なとこ凝り性だし、自分の欲しいモンのためにご飯食べなくなるとこもどうかと思う。……でも、初めて会った時にお前が本気でピチューのこと助けたいって言ってくれたから、俺もお前のことを信じていいって思えたんだ」
 サヨがガラルに来てまだ一年も経っていない。でも、そんな時間の差を感じさせないほど、すでにサヨはキバナの世界に溶け込んでいて、大切な存在となっていた。
 キバナの唐突な告白にサヨは動揺した。
「な、なんですか急に……」
「急じゃない。ずっと思ってた。お前、本当にすごいことしてるんだよ。家族も友達もいない、そんな知らない場所で一人で働いて、文字もポケモンのことも一から勉強して、頑張ってると思う」
「やめてくださいよ……そういうの、生きていく上で当たり前のことですから……」
 恥ずかしさのあまりそっぽを向いたサヨ。未だに赤くなったままの顔を手で仰ぎならすげなく答える彼女に、キバナは目を細めて笑う。
 彼女はいつも自分の頑張りを『当たり前』と言うが、それは誰にでも真似できることではない。努力はあくまで才能の一つだ。もし彼女が諦め癖のある人間だったら、あるいはもっと自分に甘い人間だったなら、今こうしてキバナは目の前にいる彼女に惹かれなかったはずだった。
「そんな調子の良いこと言って、今回のことを誤魔化そうって魂胆ですか?」
「お前のそういうところも嫌いにはなれないんだよなぁ、残念ながら」
 よほど腹を立てているらしい。少しばかり斜め上をゆくサヨの言葉に、キバナは腰を屈めて顔を寄せた。
 今の彼には、躊躇いも、遠慮もない。
 近づいた異性の顔に身構えるサヨに喉を鳴らしながら口角を上げ、キバナはまだほんのりと赤くなったその耳に唇を寄せた。


「そろそろ素直に認めようぜ。俺達がお互い大好きだってこと」


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