君の笑顔を取り戻すために

 サヨという人間は不思議だ。不思議を通り越してキバナですら変人と認識しつつある。
 その変人と称される所以は、他でもない『凝り性』な一面が原因である。
 と、言っても、彼女が妙にこだわっていることなど一つだけなのだが。
「わぁあ……!」
「うわぁ……俺様、バイト代を渡しただけでこんなに嬉しそうな顔されたの初めて……」
 ポケモンの円らな瞳に負けず劣らずキラキラと光り輝くサヨの目。期待の込められた眼差しは間違いなくキバナの手の中にある『給料』と書かれた文字だ。
 どこの世界でも自ら働いて食い扶持を稼ぐのは当たり前のことである。このお給料も、サヨがガラルで生きていくためにナックルシティスタジアムの掃除やジムで育てているポケモン達の世話をしながら稼いだ賃金だ。
「悪いな。まだお前の戸籍登録とか色々済んでなくて手渡しに――」
「ありがとうございます、キバナさん! ようやくこれで『あの子』をゲットできます!!」
「いや、まず人の話を聞け……つか、無理だろ。アレいくらすると思ってるんだよ。まず生活用品を買いなよ」
 口から出そうになった呆れのため息をぐっと呑み込んで、キバナは代わりに言葉を吐き出した。
 サヨの言う『あの子』とは先日もショーウインドーに張り付いて熱心に見つめていたタイプライターのことだ。
 ――どんだけ欲しいんだよ、あんな物。
 今時、部屋の置物にしかならないような代物だ。ディスプレイとして飾られているのはキバナも何度か見たことがあるが、実用されているところは見たことがない。
 さりとて、このお給料はサヨが自分で働いた結果である。彼女が買いたい物を買うのに異論はないし、誰にも文句を言う権利はない。
「まあ、お前が頑張って稼いだお金だし、使い道に口挟むつもりはないが……」
「大丈夫です! この日のために前回も前々回もたくさんお給料を貯金しておきましたから、何も問題ありません!」
 ぴくりとキバナは眉を動かした。
 確かにサヨは無駄遣いはしない。ジムの備品でもそうだが、プライベートでは特に必要最低限の物を必要な時にだけ買いに行くスタンスのようだった。アクセサリーどころか、自分が身に纏う服ですら全く興味を示さない。(スタジアムの掃除で汚れるからなのだが)毎日同じデザインの安い服を何着か着回しているのも知っている。
 だからこそ、ふとキバナは不思議に思ったのだ。
 サヨがこの数ヶ月で、妙に痩せていることに。
「……お前まさか……寮に戻ってから何も食べてないんじゃないだろうな?」
「大丈夫です! 毎日ここで美味しいお昼ご飯とおやつを食べてるので!」
 ピクリとキバナの眉が動いた。
「……ピチューは?」
「ピチューには専用のお高いフードをあげてますのでご心配なく!」
 ぴくり、ぴくりと再びキバナの眉が動く。次に人懐っこい笑みを浮かべる顔は形を潜め、垂れ下がっている目尻を吊り上げて剣呑な眼差しでサヨを見下ろした。怒りのオーラが漂っているのは誰の目から見ても間違いない。
「……サヨ。確かにこの給料はお前が頑張って働いて得た金だ。お前にだけ使い道を選ぶ権利がある。でもよ、俺様は一応……『一応』! 今はお前の『保護者』なわけよ?」
 繰り返し、キバナは同じ言葉を低い声で告げた。『一応』と強調している部分がどうにも自分に言い聞かせているように聞こえるが、残念ながらそこに宿る感情に興奮状態のサヨが気づくことはない。
「こちとら、そんな貧相な生活させるために雇ってお給料を渡してるわけじゃないんだよ。だから……今回ばかりは見過ごせねーぞ」
「……へ……?」
 ようやくキバナの異変に気づき、目を点にしながら石のように固まるサヨ。
 そんな彼女を真上から見下ろしていたキバナは、デスクで事務作業をしていたジムトレーナー達に目を向け、声を上げた。
「レナ! ヒトミ! 今すぐサヨ連れて買い物に行ってくれ! 日用品とか、服とか、特に食料品とか! できるだけ多めに!!」
「「了解しました」」
「いやぁぁぁぁああああ!! キバナさんの馬鹿ぁぁぁああああああ!!」
 キバナに負けず劣らず世話焼きな女性トップツーが名前を呼ばれた。指名されたのはもちろん、上司の言葉に逆らうどころか従順に任務を遂行する真面目な人材である。
 それを理解した瞬間、サヨが全力で「鬼ぃ! 鬼畜っ! 悪魔っ!!」と泣き叫んだ。
 ――誰が鬼畜で悪魔だコラ。誰のためを思って忠告していると思ってんだ。
 これには流石のキバナも我慢できず、「つべこべ言わず、まずはちゃんとご飯を食べろ!」と給料の入った袋をサヨの頭に叩きつけた。
 いでっと声を上げながら頭上で給料袋を受け取ったサヨは、そのまま颯爽と現れた腕利きのジムトレーナーの女性二人に腕を拘束され、情けない声を上げながらずるずると引きずられて行った。
 呆れた顔で成り行きを見守っていたピチューがサヨ達のあとを追いかけるのを見送り、キバナはガシガシとバンダナを巻いた頭を掻き上げた。
「ったく……なんなんだ、あいつは……」
「最早、あそこまで頑張られると執念すら感じられますね……」
「どう考えても頑張りどころが違うだろ」
 書類仕事を続けるために自分のデスクに腰かけるキバナ。疲れを滲ませているが、言葉とは裏腹に少しだけ晴れやかな表情で書類に目を向ける彼を見て、リョウタはクスクスと笑い声を零した。
 物言いたげな雰囲気を感じ取り、キバナは唇を尖らせる。
「何が面白いんだよ、リョウタ」
「いえいえ。バトル以外で楽しそうなキバナ様を見るのも珍しいなあ、と」
「楽しそう? これが? 流石の俺様も女に説教して楽しいなんて思ってないぞ」
「でも、なんだかんだ楽しそうに見えますよ。特にここ最近は」
 ニコニコ、愛想の良い笑顔で自分を見つめるリョウタに、キバナはぐっと声を詰まらせる。
 それからゆっくりと視線を逸らした彼は、ぽつりと呟いた。
「……そんなに分かりやすい態度だったか?」
「さあ? 本人に伝わってないなら、そうでもないんじゃないですか?」
「地味に刺さる」
「事実ですから。でも僕、こっそり応援してます」
 人の事を言えないぐらい楽しそうに笑っているのはリョウタの方だ。
 そんな年下の部下を見て、「あっそ」とキバナは気まずい表情で視線を逸らし、窓の外に目を向けた。
 今日もナックルシティは雲一つない晴れ空だった。


 キバナがサヨを買い物に行かせたことを後悔したのは、それから数時間後のことだ。
 夕暮れ時になってようやくスタジアムに戻って来たサヨがさめざめと泣いているのを見つけ、キバナはギョッと目を剥いた。
 相棒のピチューは当然のこと、付き添いに行かせたレナとヒトミですら泣き止まない彼女に困った顔を浮かべているのを見て、キバナは腰を屈めて何事かとサヨの顔を覗き込む。
「サヨ、何があった?」
「ぐすっ……なんでもないです……」
「なんでもなくないだろ。怖いヤツがいたのか? 人間か? ポケモンか?」
「子ども扱いしないでください……なんでもなくないこともなくないので……」
「いや、それどっちだよ……」
 強がって言葉を返してくるが、全くヒントになるものは与えてもらえなかった。
 頑なに自分の口から語ろうとしない彼女に、キバナは昼間と同じくガシガシと頭を掻き上げ、思わず本音を零す。
「ったく……泣いてると余計にめんどくせぇんだな、お前……」
「っ……! うぅっ……!」
「キバナ様!」
「今のはひどいです!」
「はい俺が悪かったです、スミマセンデシタ」
 ――やべえ。女が群れるとさらにめんどくさい。
 部下二人から非難の目を向けられたキバナは引きつった顔で謝りながら姿勢を正し、再びサヨに視線を落とす。
 そして、しゃくり上げるのを必死に堪えるその頭に手を置いた。
「事情は良く分からないけどよ、とりあえず元気出せって。な?」
 しかしながら、サヨは自分を慰める優しい手を力強く振り払った。
「じゃあ仮にキバナさんが長年追い求めていた伝説のドラゴンタイプのポケモンがいたとして! 十数年かけてやっと居場所を見つけて、あと少しで手に入るってところで! そのポケモンを他の人に奪われたら元気を出せますか……!?」
「それはマジ無理。一生ヘコむ」
 リアル過ぎる『もしも』の話を想像して、手を振り払われた瞬間よりも絶望を感じた。
 そこでようやくサヨの身に降りかかった悲しみを理解したキバナは、ひとまず彼女を落ち着かせるべくいつも彼女の面倒を見ているリョウタとレナとヒトミの三人に夕飯を食べに行こうと声をかけた。もちろんお代はキバナ持ちである。
 三人は迷うことなく、快く頷いてくれた。
 店に向かう途中ではレナとヒトミが気を紛らわせようとあれこれ笑顔で話しかけていたが、ずーんと暗いオーラを纏ったまま年下の女に手を引かれて歩くサヨが注目されたのは言わずもがな。いつもは人目に晒されることに慣れているキバナも、この時ばかりは自分達に集まる視線に些か居心地の悪さを感じながら行きつけの料理店の扉を開いた。
「いらっしゃい、キバナ君。席空いてるよ」
「こんばんは。ありがとな、おっちゃん」
 声をかけてくれた店主にキバナがお礼を言って、全員が席に着く。
 そこで店主はサヨの顔を見ておや、と目を丸くした。
「どうしたんだい、サヨちゃん。キバナ君に泣かされたのかい?」
「うっ……」
「え、本当に?」
「違うって! お前もいい加減泣き止めよ、子どもじゃあるまいし」
「子どもだもん……」
「もうマジめんっどくせぇえ……」
「ど、どうせっ……め、めんど、……うぅっ……めんどくさい、もん……!」
「キバナ君、ガラル紳士が泣いてる女性に追い打ちをかけるもんじゃないよ」
 泣くまいとしゃくり上げながらもその大きな瞳からほろりと涙を流したサヨ。そんな彼女の頭を撫でて自分を責める店主に、言葉通り面倒くさそうに目を細めたキバナはため息を吐いてからメニュー表に手を伸ばす。
 それにつられるように各々が食べたい料理を選び終え、サヨのメニューは店主がお勧めする料理を振る舞ってくれるという話になった。
 しかし、いつもなら自国の料理とは違うメニューに目を輝かせるサヨも、今回ばかりは真新しい料理を見てもあまり反応を示さなかった。
「――で? つまる話、お前がいつも見ていた店が閉店してしまったと……?」
 運ばれてきた料理を口に運びながら話を聞いていたキバナがそう訊ねると、行儀悪くも目の前に置かれた魚をフォークで突いているサヨは項垂れたままこくんと頷いた。
 ようやく落ち着いた女性陣から詳しい事情を聞いてみれば、買いたい商品を置いていたあの雑貨屋が店主の高齢を理由に閉店してしまったのだという。ショーウィンドーの商品は当然全て取り払われ、薄暗い店には『閉店』と書かれた紙が貼られていたそうだ。
 泣いたことが分かるぐらい腫れ上がった目蓋があまりに痛々しいが、事情を知ったキバナは納得したように記憶の中に残る店主のことを思い返した。
「言われてみれば、あそこのじーさんもそれなりの歳に見えたからなぁ……確かにもう無理だろうな」
「でも、確かにこれはショックですね……」
「私、なんかつられて泣きたくなってきました……」
「サヨちゃんなりに頑張って貯金していたことを考えると、私もなんだか……」
 気遣うようにサヨを見つめるリョウタの隣で、うるうると目尻に涙を浮かべるレナとヒトミ。この二人はサヨが絶望した瞬間を目の当たりにしているだけにやけに同情的だった。テーブルの上で大人しくポケモンフーズを口に入れていたピチューですら慰めるようにぽんぽんと優しくサヨの手を叩いていた。
 欲しい物のために食事を減らしてまで貯金を続けていた健気なサヨのことを知っているキバナも多少は胸が痛む思いだが、起こってしまったことは仕方ない。
「まあ、店が閉まっちまったもんはしょーがないよな。別にタイプライター自体が売ってないわけじゃないんだし、また新しい店で探せばいいだろ?」
「……うん……」
「とりあえず食べな。せっかくの美味しい料理が勿体ないだろ」
 励ましてみても、しおらしく頷いたサヨの表情は依然として暗いまま。とにかく今は料理を食べろと声をかければ、彼女はようやく切り分けた魚の身をフォークに突き刺し、口に運んだ。
 もぐもぐと静かに咀嚼するサヨに、そっと店主が近づいていく。
「サヨちゃん、どうだい……? お口に合うかな?」
「うん……これ、すごく美味しいです」
「それなら良かった! いつもの可愛らしい笑顔で言ってくれると、僕はもっと嬉しくなっちゃうな」
 美味しいの一言が嬉しいが、一番は客の笑顔である。
 目の前のガラル紳士が遠回しにそう伝えているのだと気づいたサヨはほんの少しだけ口元に笑みを浮かべ、レナとヒトミはぽっと頬を赤らめて店主に尊敬の眼差しを向けた。
 それを見たリョウタが「キバナ様ももう少し優しくした方が……」なんて言うので、肩を竦めながらキバナは舌を巻いて苦い顔を浮かべるのだった。


 *** *** ***


 ――本当に閉まってる。
 ビンテージ調の外観に合わせたお洒落な扉に引っ提げられたプレートには『CLOSED』の文字。中を覗ける小窓に薄いレースのカーテンが敷かれているが、その奥に人の気配は全く感じられない。扉横の外壁に貼られた紙には閉店の挨拶が丁寧に述べられており、サヨ達の言う通り店主は商売から足を引いてしまったようだった。
 どうしたものか。頭に手を置き、がらんどうになったショーウインドーを見つめながら、キバナは深い溜め息を吐き出した。
「なんで俺までこんなことしてんだか……」
 あれからサヨは毎日のようにナックルのありとあらゆる店を見て回っている。しかし凝り性が仇となっているのか、折角見つけた商品もこだわりが強い彼女にはどうも納得のできる物ではないらしく、ため息を吐きながら帰ってくるばかりだ。
 北にあるガラル一の観光地――シュートシティに行けばもっとたくさんの店があるのだが、あちらはナックルよりも最新の物が多く取り揃えられている傾向がある。正直なところ、サヨの望む物があるとは考えられない。
 ならばいっそのことネットで買えばいいのでは、と思ったキバナだが、ここでもまた彼女は「現物を自分の目で見て買うことに意味があるんです」と妙なこだわりを見せて頑なに首を縦に振らない。普段は大人しく真面目で従順な姿勢を見せるだけに、この頑固な一面には周囲も驚いているほどだ。最早、感服の域である。
 ――でも、まあ、あそこまで諦めが悪いとな。
 自分の食事を減らしてまで物欲を優先することは馬鹿のすることだと思うが、その根性と行動力は嫌いではない。
 キバナとて、諦めの悪い男だと野次を飛ばされたことは何度もある。初めてチャンピオンのダンデに負けてから数年、ジムリーダーとなってからも与えられたチャンスを活かせず、何度も敗北を経験している。それでも、悔しい思いを抱えながら諦めきれずに「今年こそは」とダンデに勝つ瞬間を夢見て立ち上がってしまうのだ。
 おそらくサヨもそういう人間なのだろう。頑張る方向性が少し――否、かなり狂っているが、その執着心はひっそり好ましく思っていた。
 ――それに、あいつには今、親も友達もいないしな。
 ――いきなり知らない場所で生活することになったわけだし。
 だからつい、本当に今回はなんとなく、サヨの泣き顔を思い出して何かできないかと考えてしまった。
 しかし、残念ながら現実は変わらないのである。
「……帰るか」
 どうにかしてやりたくとも、店は閉まっているのだから仕方ない。
 肩を竦めて、キバナは踵を返した。
 雑貨店の扉が開き、からんころんと鈴の音が響いたのはその直後だ。
 中から姿を現したのは、他でもない店主の老父だった。え、と目を丸くしながら振り返るキバナに気づき、彼もまた目を瞬かせて首を傾げている。
「おや……彼の有名なジムリーダーさんとお会いできるとは光栄だ。こんな古臭い店に、何か用でもありましたかな?」
 ――ツイてるのは俺か、それともサヨなのか。
 皺の多い顔で朗らかに笑んだ彼に、キバナもまた満面の笑顔を返しながら、星の巡り合わせに盛大に感謝した。


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