ドラゴンに助けられた少女

「はぁぁぁあああん」
 人目も憚らず恍惚とした表情で、まるで見目麗しい異性を見てときめくようなうっとりとした声を上げながら雑貨屋のショーウィンドーに張り付く女がいる。歳は十代後半といったところだ。足元にいる手持ちのピチューに呆れた眼差しを向けられていることにも気づかないまま、ガラス越しに並ぶそれを見つめる横顔は買ってもらえないおもちゃを物欲しそうに眺める小さな子どもと同じだった。
「黒と銀のレトロな雰囲気……金色に光るキーボード……何度見てもすごく綺麗……! こんなに理想的で素敵なデザイン他にないよ……!」
 ぶつぶつと呟きながら色んな角度から見ようと右、左と顔を動かして夢中になっている彼女に、足元にいる小さな相棒は不貞腐れたように桃色の頬袋を膨らませていた。どうやら自分の存在を忘れられていることが大層お気に召さないらしい。
 しばらく呆れたようにその姿を眺めていたキバナは、大きなため息を吐いた。
 彼が『最強のジムリーダー』としてガラル地方に名を馳せて早数年。チャンピオンの座を目指して旅を始めた時から世界には様々な『変わり者』がいると理解している。しかし、このナックルシティで暮らし始めてからその『変わり者』の遭遇することはめっきり減ったが、彼女のこれは今回が初めてではなかった。
「またやってるのか、サヨ」
 ため息混じりにキバナが声をかけてみれば、我に返ったサヨは張りついていたショーウィンドーから離れ、行儀良く姿勢を正した。
「す、すみません……」
 気恥ずかしそうに顔を赤らめながら俯く様子は、さっきまで奇妙な声を上げて商品を見つめていた者と同一人物とは到底思えない。自分の行動を思い返して恥ずかしさから小さくなってしまった彼女に、キバナは責めることはせずにただ微苦笑を浮かべた。
「ほんと好きだな、そのタイプライター」
「はい! 必ずやこの子をゲットしてみせます!」
「そんなポケモンを捕まえるみたいに……まあいいけど、お前が楽しそうなら」
 ぐっと握り拳を作って力強く答える彼女に、それより、とキバナは彼女の足元にいるピチューに目を向けた。
「でも、そろそろいい加減にしとかないと、お前の相棒が嫉妬で電気浴びせてくるぞ」
「えっ!? そ、それだけは……! ごめんね、ピチュー。許して?」
 慌てて足元にいるピチューに声をかけるサヨだが、残念ながら彼女の相棒はご機嫌斜めのようだ。「もう知らない」と言いたげにぷいっと顔を背けると、キバナの方へと駆け寄ってその肩の上に収まった。
「自分と一緒にいるのに余所見ばっかするなんてつれないよなぁ、ピチュー?」
「ぴちゅ!」
 同意しているのだろう。自分の頭を撫でながら宥めるキバナに不満げな声を上げ、ピチューは素っ気なくサヨから目を逸らした。
 機嫌を損ねてしまった彼に、そんなぁ、とサヨは眉尻を下げて情けない声を漏らす。
「お前はもう少し男心を理解した方がいいな」
「男心というか、ポケモン心ですけど……というか、そういうキバナさんは人のこと言えるんですか? またあることないこと報道されてる、ってレナさんが怒ってましたよ?」
「そういえば腹減ったな〜。俺の用事も終わったし、昼ご飯買いに行こうぜ」
「あ、話を逸らした! ご飯なら私が先に買っておいたので大丈夫です!」
「おっ。流石サヨ、気が利くじゃん。リョウタ達の分は?」
「もちろん、全員分買っています。ちなみにお店の人のご厚意で出来立てほやほやです」
 作ったのは店の人であるのに自分の手柄のようにどやぁ、と自信満々に買い物袋を見せたサヨ。
 そんな彼女に、キバナは「上出来」と歯を見せて笑った。


 サヨという人間とキバナ達が出会ったのは、たった数ヶ月前、ワイルドエリアでのことだった。
 ワイルドエリアは各エリアによって天候が荒れやすい。しかし、その日は運の良いことにどのエリアも天候が晴れとの予報があり、それならば外で特訓しよう、とキバナは息抜きも兼ねてジムトレーナー達とキャンプを行っていたのである。
 そんなキバナ達の前にサヨが現れたのは、特訓を終えた頃。陽が傾き、空が赤く染まり始めた時だった。
 偶然にもキャンプ道具を片づけていたジムトレーナーのリョウタが、上空を飛んでいる手持ちのペリッパーの異変に気づいて声を上げたのである。
「キバナ様! ペリッパーが何かを見つけたみたいです!」
「何の足音かしら……? ポケモン達が警戒してる……こっちに近づいて来るみたい」
 同じくジムトレーナーのレナが何かの足音に気づき、手持ちのキュウコンと共に周りに目を向けた。
 キバナもその言葉に耳を傾けた。聞こえてくるのはドドドドと体の大きな生き物が走り抜ける音だ。同時に、微かではあるが怒り狂ったように枝を折る音が聞こえてくる。
 そんな激しい物音の中、林の奥から小さなピチューを大事に抱えて傷だらけになりながら走り抜けて来る人影があった。
 それは少女だ。その死に物狂いで懸命に足を動かす彼女の後ろに、大きな巨体で突進してくるキテルグマの姿もある。
「おいおい、マジか……あいつトレーナーじゃないだろ!」
 ぎょっとしてキバナが声を上げた瞬間、少女が足を縺れさせて派手に転んだ。
「フライゴン!」
 キテルグマの集団はもうすぐそこまで迫ってきている。
 キバナが自分の上空を飛んでいた手持ちに声をかけると、彼は迷うことなく少女の救出に向かった。
「ペリッパー! 白い霧!」
「ジャランゴ、地震!」
 続けてトレーナーに声をかけられた二匹がすぐに飛び出す。
 真っ直ぐに少女へと飛んだフライゴンが間一髪のところでその華奢な体を掬い上げると、ペリッパーが起こした白い霧がキテルグマ達を包み込んで視界を遮り、ジャランゴが思いきり前足を上げて地面を打ち鳴らした。
 突然襲いかかってきた攻撃に、獲物を追いかけていたキテルグマ達は驚いて足を止めると、踵を返して逃げ惑うように林の奥へと散り散りになって消えて行った。
 ひとまず追い返すことには成功したようだ。
 その場にいた全員がホッと息を吐き、続けてフライゴンによって運ばれてきた少女に目を向ける。
 すでにポケモンからの攻撃を受けたのだろう。腕や足に切り傷をこさえて、ボロボロの姿のまま地面にしりもちをついていた彼女は、何が起こったか分からない様子でキバナ達の顔を見上げていた。
 しかし、呆然としていたのは短い時間だった。
 我に返ると、彼女は震える唇を必死に動かした。
「た、助けて、ください……!」
「キテルグマなら大丈夫だ。もう追って来ねえよ」
「ち、違います! この子です! 傷がひどくて……もう息も浅いの……!!」
 涙を浮かべ、がたがたと体ごと震える声で必死に訴える少女の腕の中にいるのは彼女と同じく傷だらけになったピチューだ。その小さな体でよほど強い攻撃を受けたのだろう。見た限りでは傷はあまりに深く、その様子から助かるかどうかも不安になるぐらいだった。
 キバナはすぐに身近にあった鞄から応急処置用の医療道具を取り出し、トレーナー達に指示を出した。
「緊急だ! 誰かポケモンセンターにコールしてくれ! 怪我人もいるから、病院の手配も頼む」
 その言葉に、慌ただしくトレーナー達が動き始める。
 キバナはそんな彼らを横目に、地面にへたり込んだまま動けないサヨの頭に手を置き、意識のないピチューに声をかけた。
「応急処置をしてすぐに動く。お前も、もうちょっとだけ耐えてくれよ」


 ワイルドエリアで出会った傷だらけのその少女はサヨと名乗った。歳は十八。もうすぐ高校を卒業し、大学に進学する予定だったのだという。
 そこまではいい。キバナが頭を抱えたのは、その後だった。
「あの、ガラル地方って、どこの国ですか……?」
「は?」
「言葉は通じるけど、日本……では、ないですよね……? もしかして、ここがあの世……? あの世って、外国みたいな世界なのなかな……この文字も見たことないし……」
「は?」
 もう「は?」以外の言葉が出ない状況であった。
 詳しく聞けば、彼女はポケモンを実際に見たことがないのだと言う。世界のどこにもそんな名前の生物は存在せず、いるのは『生き物』と呼ばれる人間以外の姿をした何かであるらしい。それらは『動物』だったり『魚』だったり『虫』だったりと確かに姿形はポケモンと似ているが、ペリッパーのように白い霧を出したり、ジャランゴのように地面を揺らすほどの力も持たないと言うのだ。そもそも『ポケモン』という存在というべきか、その概念が彼女の中にないのである。
 一緒にいたピチューも、たまたま目が覚めたワイルドエリアの林の中で出会ったのだという。どこに行けば良いのか分からずに彷徨っていた自分が腹を空かせていたところ、木の実を分けて一緒についてきてくれたのだとか。
「……は?」
「あの、すみません……私もどう言えばいいのか……えっと、ちょっとファンタジーなことを言うなら、『異世界トリップ』でもしたってことでしょうかね……? あはは……」
 現実逃避なのか、単純に誤魔化したいのか、サヨは呑気に笑ってみせるが困惑が隠せていない。
 ――というか、笑いじゃねえ。
 キバナはまとまらない思考の中で激しくツッコミを入れた。口に出したところで真実が分からないので何も言えないが、これではまともに話が進められそうにもない。
 ガシガシと後頭部を掻きながら、どうしたものかとキバナは考える。
「はあ……ベイビィポケモンに保護された人間とか聞いたことないな……」
 思わず口を衝いて出た言葉がこれだった。
 彼の言葉に、サヨは目を剥いた。
「ベイビー!? え、あんな強いのにあの子赤ちゃん……!? うそ、死んじゃったらどうしよう……!! 普通に考えてあんな大怪我で無事なわけが――」
「いや、さっき無事だって説明しただろ」
「あ……そうでした……」
 ポケモンを知らなければ、当然ポケモンセンターの存在も知らない。
 極めつけはポケモン達が人間と同じ治癒能力を持っていると考えているようで、サアッと白い顔は青褪めていく。そんなサヨの顔を見て、「あ、コイツまじでポケモン知らないな」とキバナは確信を得た。
 とりあえず信じても良いのだろう、『ポケモンを知らない』という事実だけは。『異世界トリップ』についてはあまりにファンタジーな話であるため鵜呑みにできないが。


 だが、冷静なキバナとは反対に、荒唐無稽なこの話を真っ向から受け止め、嬉々としてサポートを名乗り出た人物がいたのである。


「やあ、サヨ! 元気か?」
「あ、ダンデさん! こんにちは!」
 そう、何を隠そう。このガラルで『無敵』の称号を持つチャンピオントレーナー、ダンデである。
 ポケモントレーナーの性というべきか、彼は困っている者がいたら捨て置けない性分だ。昨今では各地で起こるダイマックス事件にも飛び回っているほどのお節介焼き。そんなダンデは住む家もなければ家族と友達にも会えなくなってしまったサヨに慈悲深く手を差し伸べ、彼のスポンサー会社であるマクロコスモス社に話を通し、ガラルで生活できるように計らったのである。
 ――とサヨの生活を支える基盤までは彼のおかげで整ったのだが、肝心のダンデは多忙の身で各地を飛び回っている。右も左も分からないサヨに付きっきりになりたくても、有名人となっては世間の目があるためそれも出来そうにない。
 そこで彼に変わって保護を申し出たのが同じく世話焼きで面倒見の良い第一発見者のキバナである。傍から見ても「長年の付き合いがある」と言いたくなるぐらいキバナの日常に溶け込んでしまっているので忘れがちだが、今もサヨがナックルシティでのびのびと生活できているのは彼のおかげだ。
 そんな彼女は、ダンデを見るといつも以上に愛想の良い笑顔を浮かべる。
 正直なところ、キバナは彼女のこういう時の笑顔はあまり好きではなかった。
「今日はお仕事ですか?」
「いや、君の顔を見に来たんだ。今日も元気そうで安心したよ。キバナには感謝しないとな」
「そりゃどーも」
「あはは、ありがとうございます。先に連絡をくださればおもてなしの準備をしたのに……ね、キバナさん」
「あー、ウン。ソウダナ」
「……? 何をそんなに拗ねているんだ、キバナ」
「べっつにぃ? なんでもねえよ。なあ、ピチュー?」
「ちゅ……?」
 どうやら複雑すぎる男心はベイビィには伝わらなかったらしい。未だ肩の上にいた彼は円らな瞳をぱちくりさせ、きょとんとしながら首を傾げていた。
 行き場のない気持ちを抱きながらその柔らかな頭をちょいちょいと触っていると、目を瞬いていたダンデは「ふぅん?」と思案するように目を細める。
「……まあ、今日は本当に顔を見に来ただけだからな。またの機会にお茶でもしよう、サヨ」
「はい! 気になるお店探しておきますね!」
「ああ、そうしてくれると助かる。楽しみにしてるよ」
 手を上げながら近くで待っていたリザードンの背に飛び乗るダンデを、サヨはひらひらと手を振って見送る。
 彼らの姿が遠くに離れていくのを確認してから、キバナは唇を尖らせた。
「前から思ってたけど……お前、ダンデには特別愛想が良いよな」
 サヨは目を瞬かせた。
「え、そうですか? 普通だと思いますけど……」
「俺様の時と態度が違いすぎ」
「やだ……なんですか、そのやきもち焼きの彼氏みたいな台詞……」
「それ! そういうとこ!」
「そういうとこって……キバナさんとこうしてお話しができるのは毎日顔を合わせているからですよ? ほとんど顔を合わせない人とこんな軽口で話せません。私、それなりに人見知りしますし……」
「え、何それ。俺には懐いてるってこと?」
「懐いて……ええ、と? そう、なるんですかね……?」
 言葉に詰まり、困惑しながら首を傾げるサヨ。
 そんな彼女を「ふぅん」と物言いたげに目を細めて見下ろしていたキバナは、数秒後に表情を一変させてニカッと人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「じゃあ許す! もっと懐け!」
「どゆこと」
 男心、本当に訳が分からない。
 この後、ナックルシティジムに戻ったサヨがジムトレーナーのレナとヒトミにそうぼやいたことは、キバナが知る由もない話である。


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