レディ・デイジーと野獣の恋

 目の前で一人の男を囲み、あーでもない、こーでもないとアクセサリーを見つめる女子の集団がいる。そのハーレムの中心で彼女達の話に付き合っている男は心底楽しそうだ。紳士を自称するだけあって、一人一人にどんなアクセサリーが似合うか考えて提案している。
 ひなたはその男――萩原をじとりとした目で見つめた。
「萩原君って……ほんとチャラい……」
「あーゆー奴なんだよ。慣れろ」
 ひなたの隣に立っている松田も同じ顔だった。最早この現象について考えるだけ時間の無駄であると思っているのか、すでに興味もなさそうだった。
 そんな松田を横目に見て、ひなたはすぐに視線を戻す。
 本当なら、今日は女子だけでショッピングを楽しむ予定だった。その出先のショッピングモールで偶然にも伊達班と遭遇したのだが、その結果がこれである。
「小菊はあっちに混ざらないのか?」
「いやいや、伊達君。さすがにあのテンションには混ざれないよ……見て、アレ。獲物を狙ってる目だよ?」
「あー、それな。餌に群がる猛獣みてー」
「誰もそこまで言ってないけど……」
「松田。それあっちの女子に聞かれたら殴られるぞ」
 松田の言葉に呆れたひなたと降谷に続き、伊達と諸伏も苦笑いした。しかし、松田はベッと舌を出しただけで反省している様子はなく、「んなことより……」と話題を変えてひなたを振り返った。
「お前は? 何か欲しいモンないのかよ?」
「私は……特に、今は……」
 ひなたはキョロキョロと視線を動かし、辺りの店に目を向けた。元より今日は友人の買い物に付き合うつもりだったのだ。それに、今は買い物よりも松田からできるだけ距離を置く方法を考えている。
 平静を装いながらも内心は落ち着かないまま、ひなたはチラリと松田に視線を戻した。
 そんなひなたの様子を観察していたのか、松田は目を細めて「はは〜ん」と意地の悪い笑みを浮かべていた。
「……わっかりやす」
 ひなたはくるりと背を向けた。それもこれも原因は彼にある。先日、資料室でキスをされたことを今でも鮮明に思い出してしまうからだ。おかげで意図せず松田を意識してしまう毎日で、ここ最近は目も合わせられない。
 どうして自分がこんな目に、と頬を膨らませるひなたの顔を見て、諸伏は笑いながら松田を振り返った。
「なあ、松田。なんか小菊が拗ねてるんだけど?」
「いい加減にしとかないと、そろそろ本気で嫌われるんじゃないのか?」
 諸伏に続いて降谷が揶揄うような口調で告げるが、松田は少しも焦りを見せず平然とした顔で宣った。
「へーきへーき。小菊、俺のこと大好きだから」
「開き直ると清々しいほど堂々としてんな。まだ恋人でもねーのに……」
 伊達の言葉に、ひなたは「そういえば」と伊達班のメンバーを――主に伊達を咎めるように見つめた。
「もう今さらなんだけど……なんで伊達班の人達にいろいろバレてるの? みんな口が軽すぎじゃない?」
「いや、何も俺達だって一から十まで全部聞いてるわけじゃないぞ? さすがに松田がいつ、どこで、どんな風に告白したとかは知らないからな?」
「確かに。ゼロと俺は松田の態度で気づいただけだよな。松田も俺達が聞かないと君のことはあまり話さないし……喋るとしたら萩原と……班長……かな?」
「どーせ萩はお節介で、班長は口が滑ったんだろ?」
「う……すまん、小菊」
「うん、まあ……別に怒ってるわけじゃないけど」
 松田も押しが強いのは確かだが、講義や訓練中にそれらしい態度を見せることはほとんどない。そのおかげで松田とひなたの関係を知る者は限られている。
 そこまで気にしなくてもいい、とひなたは手を振り、そして「あっ」と思い出したように声を上げた。
「そうだ。私、パソコンが欲しいんよ。自作するやつ」
 予想外の解答に「はあ?」と松田が目を瞬かせる。
「なんでそんなモンに興味あんだよ?」
「そう言えば、サイバー関係の授業だけ小菊が成績トップだったよな。パソコンも自分で組み立てられるのか?」
「ううん、全然。さっぱりわからん!」
「って、知らないことを胸張って言うなよ」
 諸伏の質問に、小菊は笑顔で首を横に振った。
 すかさずツッコミを入れた伊達を筆頭に、漫才よろしく男子全員が拍子抜けしたように肩を落とすので、ひなたは少し恥ずかしくなって頬を指先で擦りながら答えた。
「いやぁ。むしろ全く知らないから勉強しようかなって」
「小菊は真面目だな……でも、そういう店に行きたいならこのエリアにはないぞ? ここからだと、もっと奥のエリアだな……わりと端の方になるが」
 近くにあった案内板を見上げながら降谷がそう言えば、何かを閃いた諸伏が声をかけた。
「じゃあ、松田。彼女と一緒に行って来たらどうだ? 機械関係には松田が一番詳しいだろ?」
 諸伏の提案に、松田も何か察したらしい。ニヤリと笑いながらひなたに顔を近づけてきた。
「まっ、そりゃそうだな! そういうことは俺の専門分野だ。手取り足取り詳しく教えてやるぜ?」
「いい。いらない」
 身の危険を感じて後退り、ひなたはすかさず拒否した。これは良くない流れだ。全力で首を横に振った。
 しかし、残念ながらひなたの主張は我が道を行くマイペースな松田には全く通用しなかった。
「遠慮すんなって! ほら、行くぞ」
「いや、待って……ほんと待ってぇぇえええ……!」
 半ば強引に自分の手を握って歩き出した松田に、ひなたは慌てて伊達達を振り返って助けを求める。
 だが、彼らはにこやかに手を振って二人を送り出すだけだ。萩原を囲む女子達も全く気づいてくれない。
 そうだった。伊達班のメンバーは仲間のために考えて動ける集団だ。この展開も上手く図られたに違いない。
 ひなたは諸伏達を睨んだ。その目から逃れるように、彼らは一斉に明後日の方を向いてしまった。


 ひなたと二人きりになったあとの松田の足取りは軽く、どこか機嫌が良さそうだ。何かと周囲の店に目を向けては、女性受けの良さそうな商品を見つけてアレがある、コレがあると何度も話しかけてきた。
 そんな松田に頑なに「興味ない」と素っ気ない言葉を返していたひなただが、あまりに彼が辛抱強く話題を振ってくるのでだんだんと罪悪感は膨れ上がっていった。
 その我慢比べは、もう少しで目的地に辿り着くという所でひなたが香水に目を向けたことで決着がついた。
「小菊は香水とかつけてねぇよな?」
「香りと相性が悪いと気にする人がいるから、匂いがするものはあまり……でも、嫌いじゃないよ」
「まあ、そうだよな。……少し見てみるか?」
 相槌を打ちながら、松田は適当にいくつかサンプルを手に取って匂いを確かめる。
「……松田君もあまりニオイがしないよね。煙草の」
「は? なんで知って……萩しかいねぇな。ったく……また余計なことを教えやがって。あのお喋りめ……」
 恨めしそうに呟いた松田に、ひなたは小さく笑む。
「別に、隠さなくても良かったのに」
「煙草嫌いだったら印象悪くなるだろ。それに、喫煙者でもねー奴の前で吸うつもりもねぇよ。体に悪いし」
「それを喫煙者が言ったら本末転倒なんだけど……」
「うっせ。……んなことより、ほら。コレ嗅いでみろよ」
 近づいたビンからふわりと香る匂い。甘ったるいというよりは、さっぱりとしたものだ。意外と自分好みかもしれない、とひなたは目を輝かせた。
「あ。コレ、わりと好きかも……」
「じゃあ、これで決まりだな」
「うん。……うん?」
 一体何が決まったというのか。頷いておきながら全く訳が分からず、ひなたは松田を見上げる。
 だが、その時にはすでに自分に背が向けられており、彼はその商品を持ってスタスタとレジに向かっていた。
 ひなたはさらに首を傾げる。松田が持っていたアレは確か、女性ものではなかっただろうか。それなのに、どうして自分の意見を聞いたのか。
 まさか、と予想した答えは、会計を済ませて戻って来た松田が自ら証明した。
「ほらよ」
 差し出されたそれに、ひなたはギョッと目を剥いた。
「やっぱり私に……!?」
「当たり前だろ。これ女モンだぞ? 俺つけねーし」
「ええ……ごめん、いくらだった? 払うよ」
「馬鹿。プレゼントなんだから払わせるワケねーだろ」
「プレゼントって……私、誕生日でもないんだけど……」
「じゃあ、誕生日の前祝いってことにでもしとけばいんじゃね? 大事に使えよ」
 そう言った松田の表情はとても優しいものだった。そんな顔をされて断れるほど、ひなたは無情にもなりきれない。根負けしておそるおそる商品を受け取ると、手の平に乗った重さにギュッと胸が締めつけられた。
「……ありがとう、松田君」
 自然と口から零れ落ちたお礼に、松田は破顔した。
「おう。……んじゃ、お前の見たいトコにも行こうぜ」
 ひなたは大きく頷いた。
 誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえたのは、その時だ。
「あれ? お前、ひなたじゃね?」
 ひゅ、とひなたは声を呑んだ。
 松田も呼び声に反応して振り返る。
 同じ年頃の男が数人。そのグループに混ざっているのが、大学生の頃にひなたと付き合っていた男だった。
 彼と一緒にいた友人達は茶化すように笑っていた。
「なんだよ。お前の元カノか?」
「おー、大学ん時のな。久しぶりだなぁ。お前、こんなトコで何してんの? そっちの男、もしかして彼氏?」
 蔑むような口調。嘲笑うような眼差し。人の好さそうな顔をして無神経な男は、馴れ馴れしくもひなたに近づいて二人を交互に見ると、にんまりと唇に弧を描いた。
 松田が静かに眉を顰める隣で、ひなたは居心地の悪さを感じながら素っ気なく言葉を返した。
「……違う」
 その愛想のない答えに、男は満足げに笑った。
「まっ、そーだよなぁ。お前みたいな女、誰も相手にしねーわ。病気レベルのブラコンだし」
「あ? 喧嘩売ってんのかテメェ……!」
 松田の目がさらに剣とした光を宿した。
 その睨み一つで男達が少し怯えたことに気づき、今にも殴りかかろうとする松田の腕を掴んだひなたは、かつて恋人だった男を冷たい目で見つめた。
「迷惑だから話しかけないで。さよなら」
「うわ、怖……え、何? もしかして、そっちのガラ悪いお兄さんはこいつに気がある感じ?」
「だったらなんだよ?」
「松田君、やめて。相手にしてないで」
 ひなたが強い口調で引き止めると松田はこちらを一瞥し、顔をしかめて舌打ちした。怒りは全く治まっていないようだが、ひとまず殴りかかることはなさそうだ。
 ひなたは安心したように小さく息を吐き、早くその場を去ろうと彼の腕を引いた。
 しかし、向こうは逃がすつもりはないらしい。
 背を向けた二人の背に、下卑た笑いが襲いかかった。
「なあ、そこのあんた。そいつがキズモノだって知ってんの? やめといた方がいいぜ。そいつの背中の切り傷、見たらぜってーヤる前に萎えっから」
 ――ああ、本当に終わった。
 ひなたの心に黒い沁みが広がっていく。こうなると分かっていたから早く離れたかったのに、天は最後までひなたの味方をしてくれることはなかった。
 彼女の手から松田の腕がすり抜けていったのは、そう絶望した直後だった。ひなたがそれに気づいた時にはすでに遅く、青筋を浮かべた松田の左手は真っ直ぐに相手に伸びていき、その胸倉を掴み上げていた。


 一方の松田は、せせら笑う目の前の男の言葉にだんだんと暗い表情になっていく彼女を見て、自分の中にあった全ての疑問点が線で繋がった気がした。
 この時になって、初めて彼は「そういうことか」と冷静にひなたの置かれている状況を推しはかることができた。何故今日まで彼女が頑なに自分と付き合うことを拒んでいたか、その理由をようやく理解できた瞬間だった。
 きっかけは、この男だった。ひなたが守り通した大切なモノを見下し、彼女の心を、その誇りを穢した。他人の気持ちを素直に受け入れられなくなってしまうほどの傷を与えたのは、間違いなくこの男だ。
「……ざけんなよ」
 こんなクズのせいで、彼女は人の好意も素直に受け止められず一人で苦しんでいたのか。冷静な思考の裏で、ふつふつと腹の底で怒りが燃え上がる。今にもボコボコに殴ってしまいそうな右手と同じぐらい、絞り出した声も震えていた。腸が煮え繰り返るとは正にこの事だ。
「さっきから往来でゴチャゴチャうっせーんだよ。惚れた女にフラれた腹癒せのつもりか? ぁあ? でけぇ口利くわりには随分と小せぇタマしてんだなぁ、オイ」
 胸倉を掴んで一睨み。たったそれだけで、さっきまで大口を叩いていた相手の目に怯えが現れる。所詮、これは負け犬の遠吠えにすぎないのだ。分かっている。
 けれど、頭では理解していても止められなかった。惚れた女を公の場で侮辱されて黙っていられるほど、松田はまだ大人にはなれなかったのだ。
「な、なんだよ……俺は本当のことを……」
「あ? だからなんだよ? つか……男なら惚れた女の体に傷の一つや二つあるぐらいでグダグダ言ってんじゃねーよ。ハナっからテメェに女を満足させるだけの器量がなかっただけの話だろ、腰抜けが」
 男の言い訳に耳も貸さず一蹴した松田に、いつの間にか集まっていた野次馬の中から「それな」という賛同の声が上がった。蔑むような視線も彼らに向けられる。
 完全に見せ物の状態になっているが、そんなこと今はどうでも良い。松田は「ストップ!」と連呼しながら必死に自分の腕を抑えに来たひなたに目を向けた。
「小菊」
 怒気を含んだ静かな呼び声に、仲裁に入ってきたひなたの肩が震える。彼女はおそるおそる松田の顔を見上げた。その諦めと恐れを宿した目を見つめ返すと、松田は自分の荒んだ感情がゆっくりと凪いでいくのを感じた。
「……こいつが言ったことは本当か?」
 冷静さを取り戻した問いかけに、口ごもったひなたが俯き、無言で頷く。
「今まで頑なに俺を拒んでた理由もそれなんだな?」
 目が動揺し、また少し間を置いて、頷いた。
 視線はまだ合わない。俯いたまま顔を上げようとしない彼女に、松田の口からは大きなため息が溢れた。
 そして、男の胸倉を突き飛ばすように放す。
 力の限り強く押され、その勢いで体がふらついた男はそのまま地面に尻餅をついた。
「失せろ。二度と俺達の前に現れんな。次同じことやったらなんとでも理由つけてしょっ引くからな」
 そう言って、黙って隠し持っていた手錠を指に引っかけながらクルクルと回す。地面に尻餅をついたひなたの元恋人はそれを呆然と見ていた。
 そんな彼とは別に、真っ先に顔色を変えたのは一緒にいた仲間達だ。どうやら他にも疚しいことがあるらしく、彼らはヒソヒソと話しながら徐々にその顔色を青褪めさせていく。まだ何かあるのか、と松田がギロリと睨み返せば、人を射殺さんばかりのその冷たい眼力に「ひっ」と悲鳴を上げ、「俺は関係ないからな!」と彼らは一斉に走り出した。そこでようやくひなたの元恋人も立ち上がり、慌てて彼らの後を追いかけて行く。
 その後ろ姿にベッと舌を出して悪態をついたあと、次に松田はひなたを振り返り、その頭に両手を伸ばす。
「お〜ま〜え〜は〜っ!」
「えっ……ぁいたたたたっ!」
 握り拳を作り、グリグリとこめかみ付近を押し潰す。
 当然のことながら、彼女からは悲鳴が上がった。
「なんだありゃあ!? 男としても人間としてもクズどころかゴミ以下だろ! お前の人を見る目はどーなってんだ!? この顔についてるのは飾りかっ!!」
「ご、ごめん……痛い痛いッ!」
「い・た・く・し・て・ん・だ・よ! くそっ、今まであんなクソと俺を同列に並べやがって!」
「そ、そんなこと――」
 してない、と言いかけた言葉をひなたは飲み込んだ。
 それが答えだ。彼女は今、無意識で自分がしていたことにようやく気づいたらしい。
 気が済んだ松田は手を離し、深いため息を吐いた。
「いいか、真面目に答えろよ。こんなこと死ぬほどムカつくから一度しか聞かねえぞ」
「は、はい……」
「あいつと俺、どっちがカッコイイ」
 何を聞かれるのかと身構えていた彼女は目を丸くした。
「ま……松田君……」
「じゃあ、あいつと俺の言葉、どっちが信用できる」
「松田君」
 即答だった。当然だよな、と松田は頷いた。
「なら、もう付き合うのになんの問題もねえよな」
 ひなたは口を開いたまま呆けていた。この状況で何を言われたのか理解できなかったようだ。ぱちぱちと大きな目で瞬きを繰り返し、こちらを凝視している。
 その反応に、松田はハッと息を吐くように笑った。
「なんだよ、その間抜け面。……ほら、もう行くぞ。せっかく萩達がくれたデートの時間が無駄になんだろ」
 目的地はすぐそこだ。気を取り直すように、けれど彼女に有無を言わさぬつもりで、松田はその手を引いた。
 その瞬間、ひなたは自らその壁を乗り越えてきた。
「……ありがとう、松田君」
 穏やかな声に、松田は無言で振り返った。
 仄かに赤らんだ顔で目を潤ませながら、彼女は優しく微笑っていた。そして、そんな幸せそうな顔で自分が贈った香水を握りしめ、愛を囁くように告げたのだ。
「これ、今度のデートで必ず使うから。楽しみにしてて」


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