知りたい花の色

「デ・イ・ジー・ちゃん♪」
 ちょうどいいところに見つけた、と萩原がその背に声をかけると、彼女は振り返って首を傾げた。
「萩原君、お疲れ様。どうかした?」
「お疲れ。んーと……見かけたから声をかけただけ」
 さらりと嘘を吐いた。
 萩原は彼女が出てきた部屋の表札を見上げる。そこには『資料室』と書かれていた。ほんの少し前の話だが、同じ班の諸伏も血眼になってこの部屋に籠っていたことがある。彼女が同じようにここに入り浸っていることは、その諸伏や降谷からの情報だった。
「何か調べものしてた? それなら俺も手伝うけど」
「ううん、大丈夫」
「そ? 一人より二人の方が捗ると思うぜ?」
 ひなたはゆるゆると首を横に振った。
「調べても、ここじゃ大したもんは出てこないんよ」
 誤魔化すつもりでも、嘘も言っていない。それだけ時間を費やして調べものをしていたのか、彼女の言葉通り期待外れの結果になっているようだった。
 萩原は「そっか」と相槌を打つ。
「じゃあさ、気晴らしにこのあと付き合ってくんね?」
「付き合うって、どこに……」
「コレ」
 右手の人差し指と中指を口元に近づけたり離したりを繰り返す。その動作が何を表現しているのか気づいたようで、ひなたは驚いたように目を瞬かせた。


 学校から少し離れた所にある公園は、夜の散歩にはうってつけの場所である。流石の警察学校関係者も、この歳になって公園に足を運ぶことはほとんどない。訪れるのはほとんどが喫煙者ばかりだった。それでも学校の規則が厳しく、ヘビースモーカーもいないのでほとんど利用する者はいない。伊達班で喫煙するのも、萩原と松田の二人だけだ。
 自分から少し離れた場所で吸い込んだ煙を吐き出す萩原を、ひなたはベンチに座ってしげしげと観察した。
「萩原君、本当に煙草吸う人だったんだね……」
「あれ? 知らなかった?」
「うん。近づいても臭いとか全然しなかったから」
「臭いには気をつけてるぜ。煙草嫌がる女の子もいるし」
「そういうトコ、本当にチャラいというかなんというか……ちょっと女子っぽいよねぇ……」
「え、俺もしかして今ディスられてる!? 紳士はそういうことにも気を遣うんだよ!?」
「紳士! 確かにそれっぽいけど!」
 けらけらと笑っているが、『っぽい』とはひどい言い草だ。仲間からも「チャラい」と言われることはあるが、基本的に誰に対してもできる限り紳士的に対応しているし、喫煙に関しても他人に害がないよう気をつけている。ひなたと距離を置いているのが良い例だ。
 相変わらず思ったことをポンポンと口にする彼女に、意地の悪いことを閃いた萩原はサラリと告げた。
「ちなみに、陣平ちゃんも喫煙仲間だから」
 途端にひなたの笑い声が小さくなる。自分を見つめる目に困惑の色が浮かび上がるのを見て、萩原はしたり顔になった。わざとらしくニヤニヤと笑ってみせれば、ひなたはひょいと肩を竦めた。
「別に、松田君のことは聞いてないけど」
「うっそだぁ〜。実は気になってるくせに」
「やっぱり『そういうつもり』で誘ったんだ? 親友がフラれたって話はいくら女子に優しい萩原君でもムカつくのかな? 友達思いの集まりだもんね、伊達班は」
「わあ、小菊ちゃん可愛い顔して意外と言うね……」
「でしょ? 幻滅した?」
「いいや。知らない一面に惚れ直した」
「嘘つき。本当はちょっぴり腹立ってるくせに」
 ほんの少しだが、語気が強くなった。その言葉尻から僅かな変化を感じ取り、萩原も真剣な表情になる。
「小菊ちゃんさぁ……わざとでしょ? いつものソレ」
「そんなことないよ。信じるかどうかは任せるけど」
「……正直、今のはちょっと可愛くねーな」
「可愛くないよ。だから誰かに好かれるとも思ってない」
 そこで、二人の間に静寂が訪れる。
 萩原はひなたの顔を観察した。ひなたは手に持っている缶を見つめたまま無言になったが、その表情はどこか暗い。萩原が聞き出そうとしている内容は、あまり触れられたくない話題なのだろう。
「聞かれたくない? なんで松田をフッたの、とか」
「だって、萩原君達には関係ないし」
「そりゃそーだ。じゃあ、今から俺が陣平ちゃんの良いところについてプレゼンでもしようか? 小学校からの付き合いだから沢山語れることあるぜ」
「プレゼンって……あははっ! そんなの要らないよ。教えてもらわなくても知ってるもん」
 その笑いは堪らず、といった感じだった。瞬く間にしんみりとした雰囲気が一瞬で吹き飛んでしまい、萩原も「だよな〜」と笑う。そうして穏やかな雰囲気に安心したのか、ひなたは自ら口を開いた。
「でも、子どもの頃の松田君は興味あるなぁ」
「おっ、気になる? つっても、大体今と変わんねぇけどなぁ……俺ん家の工場にある車分解したり改造したりして怒られるわ、歯が欠けるような喧嘩して怒られるわ……まあ、小菊ちゃんが言うところの『やんちゃ』が多かったよな。俺も一緒になってやってたけど」
「爆弾作るとか普通に危ないことするじゃん……二人とも、よくそれで自分がお巡りさんになろうと思えたね」
「まぁね! でも、松田の場合は親父さんがきっかけらしいんだ」
「松田君のお父さん?」
「そっ。プロボクサーの松田丈太郎。松田がガキの頃に殺人容疑で誤認逮捕されてんだ。今はジムでボクシング教えてる。コエーけど、カッコイイ人なんだぜ」
「そうなんだ。そんなことが……」
 ひなたの表情が少し思いつめたものになる。当時の松田のことを考えているのだろう。
 萩原は気づかれないよう、小さく笑んだ。
「そん時の松田とはまだ仲良くなかったから俺も詳しくは知らねーけど、周りから『人殺しの息子』だって色々言われてたみたいなんだ。そのせいか松田、今でもあんま自分から人に歩み寄るってことしないんだよな……今まで付き合ってた女ともあっさり別れちまったし」
「……」
「だからさ……そんな松田が自分から女に近づいてくのって、マジで惚れてる証拠だと思うんだよ」
「……そっか」
 短い相槌は元気がなく、表情も徐々に憂いを帯びていく。それはすぐに彼女のお得意の笑顔で塗り替えられてしまったが、痛々しかった。
「萩原君は、本当に松田君が好きなんだねぇ……」
「そりゃあ、一緒にいて面白いし。カッコイイ奴だから」
「うん、わかる。カッコイイよね、松田君。真っ直ぐで、裏表ない感じが凄く好感持てるし……口は悪いけど、根が真面目なところも素敵だと思う」
「そんで見ず知らずの女の子がナンパされてたら、しれっとした顔で助けちゃうしな?」
 ひなたが驚いた顔をした。
「それ、駅前でのことじゃね? 俺も一緒にいたんだよ。その後ちょっとトラブったから、すげー覚えてる」
「……バラしたのは伊達君だよね? もう……内緒にしてって言ったのに……」
「伊達班長に隠し事は無理だって。この前も俺が彼女へのサプライズ提案したら見事に失敗したから」
「想像できる。伊達君らしいなぁ」
 慌てふためく伊達を思い浮かべたのだろう。ひなたは軽く笑って、星も見えない空を見上げた。
「萩原君の言う通り。松田君がナンパから助けてくれたんよ。たった一言で。……私、名前も学校も知らない男の子のことがどうしても忘れられなかった」
「……なのに、その松田の気持ちが怖い?」
 うん、とひなたは迷いなく頷いた。
「私、臆病なんよ。人の好意が信じられない。好きだって言われることは嬉しいけど、どうせいつかなくなっちゃう気持ちでしょ、って心のどこかで思っちゃう」
「……そう思うような、何かがあったんだ?」
「それは……」
 ぐっ、と缶を握るひなたの手に力が入る。同時に、きゅっと眉間に皺ができた。言葉を詰まらせる様子に気づいた萩原は慌てて煙草の火を消し、彼女の手に触れる。
「言いたくないなら無理に言わなくていいよ。ごめん。そこまで辛そうな顔すると思わなかった」
 触れてハッキリと伝わる。彼女の手は震えていた。これ以上は完全に部外者が立ち入ってはいけない領域だ。
 きっと、踏み込むことが許されるのは一人だけ――。
「……帰ろっか。こんな時間まで付き合わせてごめんな」
 もう一度、謝罪を口にする。それにひなたはゆるゆると首を横に振り、「こっちこそ、ごめんね」と震える声で謝罪を返した。きっと、それを本当に伝えたい相手は別にいるんだろう。
 萩原は親友と彼女の未来を憂い、小さく息を吐いた。


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