迷宮入りの乙女心

 昔から『態度が悪い』という理由だけであれこれと難癖をつけられることが多かった。自分の素行の悪さは理解している。しかし、それだけで何もしていない自分が罪人のように責められる理由にはならない。
 松田はそうした上辺だけで他人を決めつけるような人間が心底嫌いだった。それは成人して警察学校に入ってからも一貫して変わらず、だからと言って幼少期から変わらない粗暴な一面も改めるつもりはなかった。
 彼女と初めて話した時も、そうだった。
「余計なことすんじゃねえよ」
 初めての射撃訓練で壊れた拳銃が配られたのは運が悪かった。どうも手に馴染まないそれが気になって分解してしまったが、そうでもしないと落ち着かないし納得もできないのだから仕方ない。それが松田の性分だ。
 そして、これまでの経験から警察学校でも自分が教官に目をつけられることは想定内だった。それが当たり前だと思っていたし、特に気にすることもなかったのだ。
 もちろん、だからと言ってやってもいない事で責められる謂れはない。あの時、自分を庇ってくれる者がいなければ松田は教官を殴ってしまっていただろう。
 だが、なかなかどうして、素直にはなれない。
 その時、松田を庇ったのは班長の伊達だけでなく女もいた。普段は友人達と一緒にのほほんと笑っている、外面だけ見れば警察官には不向きと思う暢気な女だ。その名も小菊ひなたと言う、凡庸な見た目の女だった。
 そんな女に庇われたという事実を、どうしても松田のプライドが許してはくれなかった。
「『良い子ちゃん』ぶってる奴が一番うぜぇんだよ」
「おい、松田! 庇ってくれた相手にそりゃねーだろ」
 自分の隣にいた親友が呆れながら諌める。幼少期から付き合いの長い彼でも、この発言は目に余るものだったらしい。分け隔てなく女性に優しくする性格が余計に松田への小言を助長したのかもしれない。
 だが、それでも松田は発言を撤回しなかった。
 そもそも、松田は自分を庇う人間が周りからどういう目で見られるか想像がついていた。こういう人間はあとで教師や目上の大人達から『問題児のお目付け役』にさせられるのだ。松田はそういった『優等生ぶった』人間も嫌いなのである。だから最初、入校式で総代を務めた降谷とも口喧嘩になり、殴り合いにまで発展した。
 恩人に冷たい眼差しを向ける松田に、萩原は深いため息を吐いた。そして、笑顔で話しかける。
「ごめんな? こいつちょ〜っと口悪くてよぉ……誰に対しても素直じゃねーの」
 両手を合わせて「許してやって」と謝る彼に、勝手なことするなと松田は舌打ちを零した。謝罪する気はさらさらない。むしろ不満をぶちまけ、清々しい気持ちだ。
 対し、ひなたはそんな松田の言葉に目を丸くしてはいたものの、全く傷ついている素振りはなかった。それどころか、我に返ると快活な笑顔を浮かべていた。
「あははっ! ごめんごめん! 実は私の弟もやんちゃでよく言いがかりつけられてたから、思い出してつい体が動いちゃっただけなんよ」
「……は?」
 馬鹿正直な答えに松田はポカンと口を開いた。
 萩原も呆然とした表情でひなたを見つめる。
 無防備な相手にストレートのパンチを繰り出したつもりが、いとも簡単にかわされたような手応えのなさ。彼女の反応は、正に暖簾に腕押しという感じだ。
 いつものようにへらりと笑い、ひなたは言葉を続けた。
「いやぁ、やんちゃな弟でも根は良い子だから放っておけんくて……でも『良い子ちゃん』って言われたのは初めてだから、なんか照れるなぁ……」
「はぁ……?」
「あ、ごめん。こういうのが松田君の気に障るんだよね」
 今度はひなたが手を合わせて謝罪する。それもすぐに「でもさ」と静かな声音で言葉が繋がれる。
「実際何も悪くなかったじゃん。松田君は理由もなく他人を殴るような悪い人じゃないでしょ? さっき訓練で拳銃を分解したことも、小さなことでも一度気になったら放っておけないだけじゃん。その特技、尊敬する」
 どきり、と松田の心臓が跳ねる。
 ひなたの顔は依然として笑みが浮かんでいるが、瞳はまるで松田の胸の内側を見透かしているようだった。それぐらい、今の彼女の言葉は真っ直ぐ心に突き刺さる。
 自分の何を知ったような口振りで言うのか、とそう罵りたいのに、上手く言葉にできなくて松田は口籠る。そうして反論しようと開いた口は自然と閉じられてしまった。衝動で口を開くのはいつもの事なのに、彼女の温和な空気に充てられて勢いも削がれてしまった。
 変な奴。馬鹿な女。暢気すぎ。
 そんな罵倒だけが音もなく脳裏に流れていく。
 この時、胸の奥に小さな灯火を感じた松田は、自分が彼女に敗北したのだと悟った。見事な完敗だった。


 世間には『惚れた方が負け』なんて言葉があるが、まさかその言葉を何度もみ締めることになるなんて松田は想像もしていなかった。挙句、自分がフラれる未来が訪れるなんてことも想定外である。
 しかし、それも始まりを考えれば当前の結果だった。嫌われたとしても自業自得だと納得できる。
「そもそも、少し内面を褒められただけで好きになる方が単純なんじゃないか?」
「うっせ! お前の初恋だって子どもの時に女医に優しくケガ手当てされたのがキッカケじゃねーか」
「そういう陣平ちゃんの初恋は俺の姉貴だし、初めて会った時に一目で惚れたんだけどな〜」
「うるせーよ萩! つか、コイツらにバラしたのお前だろ、このお喋りめ!」
 いつの間にか自分がフラれたという話が班全員に知れ渡っていた。その原因が間違いなくこの親友であると察した松田は、ジトリと萩原を睨みつける。
 彼はどこ吹く風といった様子で笑みを浮かべていた。
「だって陣平ちゃん、全然隠すつもりないじゃん」
 これだ。反省の色を見せるどころか開き直っている。
 ちっ、と松田は大きな舌打ちを返した。
 そんな仲間のやり取りを静かに見守っていた諸伏が、心底不思議そうに首を傾げる。
「でも意外だな。少なからず彼女も松田のこと意識しているように見えたんだけど……」
「ヒロもか? 僕もそう思っていたんだが……」
「それはもうアレじゃね? 最初に松田が『うぜぇ』とか言っちゃったから信用ないんだぜ、きっと」
「萩。お前マジでぶん殴んぞ」
「冗談だって、そう怒んなよ。あん時のことは合コンの後でちゃんと謝ったって知ってっから! ……んで、こっから真面目な話。実際なんて言ってフラれたんだ?」
「あ? ……んでそんなことまでお前らに教えなきゃなんねーんだよ……」
「だってお前、諦めるつもりねーんだろ?」
 確信を持った言葉に、松田はぐっと言葉を飲み込んだ。
 それは明らかに図星だった。へえ、と感心した他三人分の眼差しが真っ直ぐに自分へと向けられ、いたたまれない気持ちになった松田は顔を背けた。
「……笑いたきゃ笑えよ。こんな女々しいヤツ」
 もう自暴自棄だった。フラれても諦めないなんて往生際が悪いことぐらい、自分でも自覚していた。
 そんな彼の頭をぐしゃぐしゃに撫で回して励ましたのは、この班で唯一恋人のいる班長の伊達だった。
「なんで笑う必要あんだよ! それぐらい一途な方が女は安心するんだ。もっと自信持てよ」
「うわっ! おい班長! ガキ扱いすんなよ!」
「バーカ、褒めてんだよ! 大体、惚れた女簡単に諦められるくれぇなら告白なんか必要ねーんだよ。もっと当たって砕けろ!」
「いや、砕けるのは駄目だろ班長」
「というか、すでに砕けたあとなんだが?」
「まあ、陣平ちゃん打たれ強いし。このまま引き下がるとか想像できないよな」
「ったりめーだ! なんか負けた気分で腹立つしよぉ……くそっ! ぜってー落とすからなァ……!」
「言いたいことは分かるが、その言い方もどうなんだ」
 今にも獲物に食らいつくようなギラギラとした目で離れた場所にいる彼女を睨みつける松田に、「そういうところだろ」と降谷は呆れた顔になる。
 すると、そんな松田の執念が届いたのか、友人と会話を楽しんでいたひなたの視線がこちらを向いた。怖い顔の松田に少し戸惑っているようだったが、いつものようにへらりと笑ってひらひらと手を振っていた。
 松田の思考は停止した。
「あれで陣平ちゃんフッたとか信じられる?」
「だよな。ホント、彼女になんて言ってフラれたんだよ松田……あれ? 松田?」
 諸伏が視線を戻した時、そこに松田の顔はなかった。あれ、と全員が視線を下げて見れば、耳を真っ赤に染めた松田がしゃがみ込んで項垂れている。
「……好きだから付き合いたくねーってよ……」
 唸るような呟きに、伊達班の心は一つになった。
 それを世間では『両想い』と言うのではないか、と。


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