臆病な雛菊

 初めて入試試験で小菊ひなたという女を認識した時、「女子にも威勢の良い奴がいるな」と思った。始まりはその程度の認識だったのだ。そして、警察学校に入ってその女が女子グループの班長に任命された時は納得したものだ。彼女は伊達の中でも一際目立つ存在だった。
「私には、心から守りたいと思う家族がいます。そして、これまで出会ってきた人達の日常が平穏であることを願っています。ここは、私が大切に思う人達の未来を守るための、最初の入り口であると思っています」
 集団面接で聞いたその声は、他の者よりも圧倒的に強い意思が宿っていた。真面目で正義感の人一倍強い女なのだろうと思えたし、彼女の言葉を聞いた面接官の顔も他の者に対するそれより真剣だった。
 伊達は班長の定例報告会に集った面々を見ながら、男に混じっても動じることなく班長としての務めを全うする彼女に目を向けた。相変わらず人前では堂々と振る舞う姿は、普段のほんわかした雰囲気からかけ離れていた。
 おそらく、スイッチの切り替えがしっかりできるタイプなのだろう。そういう彼女がリーダーだからこそ、女子達がまとまっていられるのだと感じた。
「そう言えば小菊、弟の結婚式はどうするんだ?」
 ふと合コンで聞いた話題を思い出し、報告会を終えてから伊達が彼女に声をかければ、ひなたは「ああ、それね」とやや寂しげに笑った。
「実は、結婚式はしないことになってるの。子どもできちゃったし……双方の親から口を揃えて、したいなら自分達で資金を集めなさい、って言われてるんだぁ」
「ああ……まあ、そうだよな。悪い、変なこと聞いた」
「ううん。彼女さんとの未来を考えて聞いたんでしょ?」
「なんだよ。バレてんのか」
「そりゃあ分かるよ。伊達君、同じ班のメンバーのことも大切にしてるし。知ってた? 人ってね、基本的に誰に対しても同じ態度で優しくするもんなんよ。あくまで私個人の意見だけど、誰か一人だけ特別優しくする人なんていないと思う。もしいたら、多分、危ない人」
「お、おう。ありがとよ……」
 突然の褒め殺し攻撃をくらい、伊達は戸惑う。
 これも良いところの一つであるが、誰にも公平な彼女は平然とした顔で当たり前にやってのける。慣れない人間には少しむず痒く感じられるところだった。
 伊達は困ったように笑った。
「お前……ほんと、遠慮なく相手を褒め殺しにするよな。そういうのは程々にしといた方がいいんじゃないか?」
「え? なんで?」
「勘違いする野郎もいるだろって話」
 実際、それで伊達の班員も餌食になっている。先日の合コンも彼のために開催されたようなものだ。何も聞かされていなかったが、後々に彼らの様子を見ていればすぐに理解できた。
 それに、ひなたのこういう所はすでに噂になっている。遠巻きに彼女を見つめる男子達が陰で「小菊って可愛いよな」と囁く声を何度も耳にしていた。その度に伊達班の野獣が大きな舌打ちと睨みつける攻撃のコンボを繰り出すのだから質が悪い。ちなみにその親友と悪友は爆笑を堪えているので役に立たないのは把握済みだ。
 人を惹きつける容姿ではなく、雰囲気を持つ女。彼女はそういう自分の魅力に、あまりに無頓着すぎた。
「実際、自分が気づいてないだけで野郎共がその気で近づいて来たことも何度かあったんじゃねえか?」
 伊達の疑念を、ひなたはケラケラと笑い飛ばした。
「まさか! ないない、そんなこと! 誰もこんなメンドクサイ女、本気で相手にしたりしないよ」
「どうだかなぁ……まっ、知らぬは本人ばかりってな」
「ええ? 信用ないなぁ……そもそも、私そんな思わせぶりな態度とってる? 大体の人は重度のブラコンって気づくとドン引きして逃げてくんだけどなぁ……」
 なるほど。無頓着であっても、おそらく無知ではない。
 伊達は会話の流れで目の前の女性の性格を分析する。
 相手がどういう反応をするか理解していて言っているのだとしたら、いつも見せるのらりくらりとした雰囲気もわざとなのか。彼女は伊達の思う以上に強かで、身内にいる野獣よりも扱いづらい女かもしれない。
 それならば、と伊達は先手を打った。
「なぁんか面白くねえなぁ」
「面白くないって……」
「この際だ。同じ班長のよしみで吐け! お前、実は好きな奴がいるだろ」
「……どこからそんな確信を得たのか気になるわぁ」
「俺の勘だな。心配すんな、口は堅ぇからよ」
「そう言う人が真っ先にポロッと口を滑らすんよ」
「お前も俺に対して信用ねえな?」
 そんな軽口を言い合っていると、タイミング悪く女子寮と男子寮の分かれ道に到着した。
 もしかしたら、このタイミングも図られていたのかもしれない。そう考えるぐらいには、伊達の中で小菊ひなたという女子は賢い女と認定されていた。
 しかし、強制終了になると思われた会話は、分かれ道でひなたが足を止めたことで続けられた。
「……昔ね、助けてくれたんよ」
「あ?」
「高校の時の話。友達と遊ぶ約束してて、待たせたら悪いなって思って早めに集合場所に行ったら、ナンパに遭ってね。無視してもしつこくて、もう殴ろうかなって」
「小菊も意外と物騒だな」
「あはは! そうだよ。私、結構口にしないだけで、こういうこと思ってるんよ〜。ね、腹黒いでしょ?」
「いや、肝心なとこで馬鹿正直すぎ」
「馬鹿はひどい! 伊達君が探ってくるからじゃん」
「さすがにお前の心の声まで説明求めてねーわ」
 笑いながら一蹴して、「で?」と話の続きを求める。
 ひなたは困ったように微笑み、「まだ聞くの?」とやや呆れたように呟きながら続きを話した。
「まあ実際、腕掴まれたから蹴ってやろうかなって思って足上げたんだけどね……その前に、声をかけられたんよ。『女誘うのに必死すぎんだろ。ダセー』って。その人に睨まれたナンパ野郎はすぐ逃げちゃったし、助けてくれた彼はお礼を言う前にどっか行っちゃうし……結局、相手の記憶には少しも残らない、些細な出来事になった」
「へえ……意外とお前もそういうのに弱いタイプか」
「ん〜。それは少し違うかも」
 のんびりとした口調でひなたは否定した。取り繕うでもなくただ素直に反応しているのだと分かり、伊達は不思議そうに「じゃあ、なんだよ?」と首を傾げた。
 彼女も自分のことながら、よく分かっていない様子で首を傾げてみせた。
「なんだろねぇ……好きなのは好きだけど、恋にはならないかなって感じ。ただ、忘れられない人なだけ」
「そういうのを恋って言うんじゃねぇの?」
「違うよ。全然違う。そんなんじゃない」
 今度は少し、力んだ声音だった。
 ひなたの目が仄かに暗い色を宿すのを見て、伊達は追及をやめて真剣な目を向ける。
 自分の些細な変化を見逃すつもりがない彼に気づいて、ひなたの顔にも諦観の色が浮かび上がった。
「……自分に向けられる好意が怖いんよ」
 ぽつりと、小さな声で彼女は呟いた。
「今のは内緒にしてね、伊達君」
 消え入るような囁きだった。さっき告げられた言葉も、聞き慣れた日本語なのに不可解な言語に聞こえた。
 背を向け、「おやすみ」と声をかけて去って行く彼女の後ろ姿を、伊達はしばらく呆然と眺める。
 それから自室に戻り、一夜明けても結局、伊達がひなたの言葉を正しく理解することは不可能だった。


「なあ、萩原。お前、他人の好意が怖いって思ったことあるか?」
「なんだそりゃ? ないけど……」
「だよなあ。俺もねーわ」
「……あ。もしかしてそれ、デイジーちゃんの話?」
「デイジーちゃん? ……ああ、なるほど。わかるか?」
「なんとなく……あ、班長知ってた? 陣平ちゃん、俺達のいない間にあの子に告ってたって」
「え!? マジかよ……」
「マジマジ。俺も昨日聞いたばっかで驚いたんだよ。すげーわ、二人とも。全然そういう素振り見せねーもん」
 松田を応援しているのは他でもない親友の萩原だ。その彼がこうして落ち着いているということは、結果はやはり良くなかったのだとわかる。
「フラれたか……まあ、そりゃそうだろうな。小菊には高校の時から好きな奴がいるみてーだし」
「え!? 何だよそれ! どこ情報!?」
「昨日、本人から聞いた。ナンパ野郎から助けてもらった人が忘れられないんだと。本人は恋じゃないって言ってたけどな……相手も覚えてないって」
「……なあ。それ、マジだよな?」
 垂れがちの目が真剣な色を浮かべる。いきなり真顔になった萩原に、伊達は戸惑いがちに頷けば、「そっかー」と嬉しそうな声を上げて彼は満面の笑顔になった。
 その理由を伊達が知るのは、もう少しあとの話だ。


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