知らぬは本人ばかり

「松田って、結構わかりやすいよな」
 ぽつりと呟いた諸伏の声に、萩原が課題に目を向けていた視線を上げた。楽しそうに笑う諸伏の目を見て、彼も本人がいない今だから話題にしたのだと気づいた。
「だろ? やっぱり諸伏ちゃんにもわかっちゃうかー」
「あれだけ熱い視線を向けていれば、さすがにね」
 そう断言できるのは諸伏の秀でた観察眼と、これまで松田と共に過ごしてきた時間のおかげだ。それぐらい彼の態度は普段と変わらないし、実際にその些細な変化に気づけたのも伊達班のメンバーだけだった。渦中の彼女も当然のことながら知る由もない。
「陣平ちゃんも自分の顔の良さは自覚してるし、わりと面食いだから今までの相手も顔で選びがちだったんだけどよぉ……今回は結構ガチっぽいんだよな」
「それもなんとなくわかる」
 諸伏が相槌を打てば、「だよな」と萩原も笑った。
「今まで彼女がいなかったワケじゃないんだぜ? でも、誰に対してもあんま本気じゃなかったつーか……ちゃんと好きって気持ちはあったらしーけど、なんだかんだで色々口出しされると急に冷めるみたいでさ」
「へえ……そんな松田がどうしてあの子に惚れたのか気になるな。接点なんてほとんどなかったと思うけど……」
「それについては大体見当ついてる。最初の射撃訓練の時に他の奴が記念品として弾くすねたことあっただろ? あの時、松田の態度が悪すぎて『お前が弾くすねたんだろ』って教官に言いがかりつけられたじゃん。まあ、あれは分解しちゃった松田にも非があるんだが」
「あー、そんなこともあったあった! 確か、その時に伊達班長と――」
「そっ。一緒に彼女が割って入ってきたんだよ。『松田君が言っていることは本当ですよ。私、見てましたから』って。多分、始まりはそれだと思うぜ」
「……え、それだけ?」
 たったそれだけの出来事で恋に落ちることなんてあるだろうか。確かにあり得ないこともないが、何せあの松田だ。俄かには信じ難い展開である。
 意外と単純な理由に諸伏は目を瞬かせるが、どうやらこの話にはまだ続きがあるらしい。
「まあ、それで話がまとまるなら良かったんだよなぁ」
 萩原が困ったように柳眉を寄せ、言葉を繋いだ。
「あいつ、降谷ちゃんに似てすんげえ負けず嫌いだろ? あの一連の騒動のあと、彼女を追いかけて『余計なことすんじゃねえ』って言っちゃったんだよなぁ」
「……嘘だろ? 仮にも庇ってくれた相手だぞ?」
「マジマジ。虫の居所が悪かったにしても、さすがに俺もそりゃねーわって思った。……でもさ、そんな松田に対してデイジーちゃんは全然怒らなかったんだよな。つか、怒るどころか笑ってたな。『私の弟もやんちゃでよく言いがかりつけられてたから、思い出して体が動いちゃっただけだよ』って。そりゃもう満面の笑顔」
「その時からブラコンの片鱗を見せていたのか、小菊は」
「それな! 合コンの時も超ウケたわー。あの子マジで弟大好きじゃん。今時ああいう子いないよな……そういうトコがまた家族思いでイイ女なんだけど」
 成人しても弟大好きオーラを隠さない女など変人扱いされるばかりだろう。それを周りが『家族思い』で片づけられるのは、一重に彼女が自然体でそれをやってのけるからだ。だから笑い話にしても誰も彼女のそれを馬鹿にはしないし、感心から賞賛の言葉を吐き出す。
 諸伏は先日の合コンを思い出しながら呟いた。
「松田も、彼女のそういうところが好きなのかな……?」
「さぁなぁ。俺が知ってるのは、あの時にデイジーちゃんが松田を褒め殺したことだけだからな。松田は理由もなく殴るような悪い人じゃないし、小さなことでも一度気になったら放っておけない性格なだけだ、って。あの松田に、だぜ? 俺も驚いて言葉出なかったな」
 なるほど、と諸伏は相槌を打った。
 確かに諸伏の知る松田は喧嘩っ早いところがあるが、理由もなしに喧嘩を始めることはない。最初に殴り合うことになった降谷とは単純に売り言葉に買い言葉で馬が合わなかったのだろうが、基本的に喧嘩の前に口で言い負かす傾向がある。大体の物事は彼の中で許せる範囲に線引きがあるし、しっかり考えている節はあった。
 そして過去に射撃訓練で拳銃を分解した件――あれも言われてみればハイレベルの専門知識から一度気になった些細なズレを放っておけず、自分の目でしっかり確認してから直そうと思っただけなのかもしれない。
 短所は長所になるし、長所は短所になる。きっと、ひなたはそれを当たり前のように理解しており、だからこそ松田の短所も長所として捉えられるのだろう。
 ――それは、確かに惚れるかもしれない。
 諸伏は心の中で密かに同意した。
「いつも上っ面ばかりで判断されるから、ちゃんと内面を見てくれたことが嬉しかったのかもなぁ。俺もつい惚れるわ、って思ったし……あ、これ陣平ちゃんには内緒にしてくれよ? 俺、デイジーちゃんにはぜってー手ぇ出さねえって決めてんだ」
「言わないよ。それであの合コンなんだろ?」
「お、やっぱりそれもバレる?」
「わかるよ。お互い親友が大切だからな」
 諸伏がそう言えば、萩原は照れ臭そうに鼻頭を指先で擦った。
「まあ、さすがにあいつにもバレてたんだけどさ……やっぱ応援してやりてーじゃん。ダチの本気の恋」
「……そうだな」
 あの二人の関係がどうなるか、なんて諸伏達にはわかるはずもない。けれど、今のところひなたの態度は悪いものではないし、大切な友人のその想いがちゃんと相手に届いてくれれば良いと願っている。それが例えどんな結末であっても、だ。
 そこで、諸伏はふと『あること』が気になった。
「ところで、さっきから少し気になってたんだけど……『デイジーちゃん』っていうのは?」
「ん? もちろん、小菊ちゃんのあだ名。フルネームから連想したんだけど、どう? ちなみに、本人からは『センスはまあ、悪くない』ってお墨付き貰ってるぜ」
 すでに本人に認知されていた。
 諸伏の脳裏にのんびりとした雰囲気で笑うひなたの顔が浮かび上がる。懐の大きい彼女のことだ。ちょっと変わったあだ名でも笑って受け入れそうだと思った。
 続けて、そんな彼女を優しい目で見つめる松田を思い出す。傍から見れば優等生に惹かれる不良の構図だ。恋愛において実にベタな組み合わせ。相容れないであろう二人が惹かれ合うのはよくあるストーリーである。
「レディ・デイジーと野獣……」
「ちょっ、諸伏ちゃんいきなり何!? どっかの映画のタイトルみたいなのやめて! 超ウケるぅ!」
「いや、なんか想像しちゃって」
「野獣て……野獣てっ……!!」
「そんな笑うとこか?」
 机をバンバンと叩いて涙目になっている萩原。
 何がそんなに面白いのか分からず少し身を引いた諸伏だが、なかなか彼の笑いは止まる様子がない。
 その時、諸伏は萩原の後ろに目を向け、「あ」と口を開いた。
 しかし、それより早く萩原が悪意のない本音を零す。
「だって陣平ちゃん、野獣よりヘタレじゃん!」
「……ヘタレかどうかは知らないけど、後ろには気をつけておいた方がいいと思うぞ」
 ヘタレ、と言われた瞬間の松田の目が獣のように鋭くなる。吊り上がった目で萩原の背中を睨みつけていた彼は、そのままツカツカと早足で萩原に歩み寄り、無遠慮に背後からその首に腕を回した。
 突然の締め付けに息苦しさから「ぐえっ」と声を上げた萩原が慌てたのは言うまでもない。
「よぉ、萩……俺のいないところで随分とお喋りに夢中じゃねえか。まさかその内容が俺の悪口だとはなぁ」
「ウソウソ! 陣平ちゃん、ごめんって!」
「知るか! いっぺん死ね!」
「ほどほどにしなよ、松田」
「諸伏! お前も萩の言葉鵜呑みにすんなよ!?」
「分かってるって。誰も松田がヘタレだなんて思ってないよ。結構頑張ってアピールしてるもんな」
「ちゃっかり面白がってんじゃねーか! クソッ!」
 今度は八つ当たりだった。それでも首を絞められて笑う萩原を見る限り、じゃれ合い程度の力加減なのだろう。
 本当に仲が良いな、と二人のやり取りを微笑ましく眺めていた諸伏は、そこで視界に入ったグループに気づく。
 あれは先日合コンした女子達だ。彼女達は騒々しい松田と萩原のやり取りに気づき、遠巻きにこちらを見てやや呆れたように笑いながら歩いて行く。
 その時、諸伏は気づいてしまった。
 ひなたが、松田を見て微笑んでいた。なんとなくこちらを見ているのではない。彼女の慈愛に満ちた眼差しは、確かに彼に向けられていると感じた。
 しかし、残念ながら彼は萩原への報復に気を取られていて彼女に全く気づいていない。
 思わず、諸伏は肩を竦めてため息を吐いた。
 レディー・デイジーと野獣の恋が進展するのは、まだもう少し先になりそうだ。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -