恋する野獣

「萩原くーん」
 訓練を終えた後の校舎周辺の掃除中に声をかけられるのはよくあることだ。中でも頻繁に名前が挙がるのは伊達班で最も社交的で女の扱いに長けた萩原だった。
 近くにいた幼馴染みや彼の親友を含め、全員の視線がそちらに向けられた。声をかけてきたのは同じ教場で学ぶ女子達だ。手早く掃除を終わらせたようで、萩原に向かって満面の笑顔で手を振っていた。
「週末の合コン、忘れないでね〜」
「もっちろ〜ん! 色男たくさん連れてくから、楽しみにしててよ〜♪」
 萩原の言う『色男』とは、大体が伊達班のことである。
 つまり、今の会話の流れで彼と仲の良いメンバー全員の週末の予定が確定されたのである。
 降谷はジトリとした目で萩原を見たが、振り返った彼はニパッと人の良い笑みを浮かべて「てな訳で、みんな週末よろしく!」と親指を立てていた。
 班長の伊達が呆れた様子で息を吐いた。
「お前な……せめて相手の予定くらい確認しろよ」
「だってみんな暇だろ? 班長以外彼女いねーし」
「悪かったな」
「特に欲しいと思ったこともないからな」
 降谷が軽く悪態を吐けば、諸伏もそれに続く。だが、どちらも特に気分を害したわけではなく、事実にただ軽口を返しただけだった。
 そこで、立ち去って行く女子のグループをぼんやり見つめていた松田が口を開いた。
「次、あそこのグループとやんの?」
「そうそう。まあ、誰が来るか俺まだ知らねえけど」
「ふーん……まあ、いいけど」
 気のない返事だが、どこか様子がおかしい。
 この手の話題になると決まって「またかよ」と呆れた顔をするのが萩原と一番付き合いの長い松田だ。いつも文句を言いながらも「じゃあ来ねーの?」と尋ねる萩原に「行かねぇとは言ってねーだろ!」と返すのがお決まりのパターンである。
 その彼が、今回は珍しく素直に参加の意を示した。
 降谷達の目が点になる。
「どうしたんだ、松田……? 熱でもあるのか?」
「は? 熱なんかねえよ」
「いいや、何か変だ。まさかお前、腹が減り過ぎてその辺の草でも食べたんじゃないだろうな?」
「駄目だろ、陣平ちゃん。ペッしなさい、ペッ」
「あん!? んなモン食うわけねーだろ! おちょくってんのかテメェら!!」
「あー、はいはい。喧嘩するなら後でしろ。さっさと掃除終わらせて飯食おうぜ。俺が腹減ったわ」
 わりと真面目に心配している諸伏はともかく、笑い交じりに声をかけてきた降谷と萩原の目は完全に揶揄いの色を浮かべていた。すかさず短気な松田が声を荒げると、伊達は素早くその場を仕切り直した。
 さすが班長と言うべきか。彼の言葉に、同じく腹を空かせた男達は大人しく手を動かした。


 松田陣平という男について説明するなら、協調性のない自由奔放な人物、というのがほぼ全員の共通の認識である。粗暴な言動から喧嘩っ早い印象も根強いだろう。仲間内でも、わりとそういう認識がされがちである。
 だが、萩原という親友だけは違うのだ。
「確かに喧嘩っ早いけどよぉ……ああ見えて繊細で熱いトコあんのよ、陣平ちゃんは」
 というのが、彼の言である。
 分解魔と呼ばれるほど手先の器用な男であるのは知っているが、繊細という表現にはさすがの降谷も諸伏と並んで首を捻ってしまった。あまりに普段の彼に結びつかないワードだった。きっと誰が聞いても同じ反応をするだろう。
 それが事実なら、どうしてこの場でいつも通りの態度でいられようか。
「松田君は? 彼女いるの?」
「あ?」
 これである。毎度のことながら女子からこの質問を投げられると凄んで睨みつけるのだから困ったものだ。
 隣に座っている降谷が肘で突けば、松田は煩わしそうにテーブルに肘をついたまま眉を顰めた。
「い、いないよね……ごめん」
「陣平ちゃんは律儀な男だから、彼女がいたらここには来ないよ」
「え、そうなんだ!」
「意外と彼女に優しいんだ?」
「おい萩、勝手なこと言うな!」
「照れんなって」
 そうじゃねえ、と不機嫌な顔になる松田に対し、萩原は全く意に介していない様子だ。彼はそんなことより、と女子側の座席を見渡して、さっきから降谷達が気になっていたことを口にした。
「女子、もう一人が来ないままだけど、大丈夫?」
「ああ、平気平気。ちょっと家の用事で遅れてるけど、もう着くって連絡あったから」
「今日来るのって、いつも一緒にいる子だよな? 確か君達のグループで最後の一人って……」
 同じ教場にいる女子は男子に比べて圧倒的に少ない。降谷がその脳裏にとある人物を思い浮かべた時、ゆっくりと降谷達の後ろにある襖が開かれた。
「ごめんなさい。遅くなりました」
 この時、降谷は気づいてしまった。やんわりと微笑を浮かべて申し訳なさそうに謝る彼女の声に、松田がピクリと肩を震わせたことに。そして、彼の視線は肩越しに背後を見て、すぐ前に向き直った。
 明らかに彼らしくない反応だと思った。同時に、萩原から聞いた『繊細』という言葉を思い出す。
「おかえり、ひなた」
「あっくん、どうなった?」
 あっくん、という名前にまた松田が反応する。
 そんな彼に気づかないまま、遅れてやって来た小菊ひなたという女子は向かい側に座ると、話しかけてきた友人にブイサインを向けた。
「無事、結婚オーケー出ました!」
「けっ……!?」
 ぎょっと男性陣が目を剥いた。約一名は降谷の隣で凍りついている。反対に、女子からは「おおーっ!」と歓声が沸き上がった。
 まさか同期の、それも同い年の女子からそんな話題が飛び出してくるとは。
 降谷は顔色を失った男の横顔をちらりと一瞥し、人知れず心の中で合掌した。なるほど。この男、本当に意外にも『繊細』なのかもしれない。あまりに悲惨な結末で、今は慰めの言葉も出ないが。
 しかし、そんな男を救済する者がいた。
「なんだ、小菊。お前も相手がいたなら言えよ」
 彼女持ちの伊達である。ぽかんと言葉を失う降谷達を置いて一人我に返り、仲間を見つけたと言わんばかりに笑いかける彼に、ひなたは「いやいや」と間延びした口調で手を横に振った。
「私じゃなくて弟のことなんよ」
「へ? 弟……?」
「そうそう、弟。流石に私がするなら今日ここに来れないよー。相手に失礼だもん」
「律儀なのがここにもう一人いたな、松田」
 あからさまに肩の力が抜けていく松田に、降谷はわざとらしく声をかけた。すぐさま吊り上がった猫目がこちらを睨んだが、酒を口に含んで知らんぷりで通した。
 そんな彼らのやり取りを他所に、萩原が話を膨らませて行く。
「弟君って、まだ若いだろ? 何歳?」「もうすぐ十八。五つ下なんだぁ」「十八!? 高校生!?」「他人事だけど、やっぱり話聞いたらビックリするわよねぇ。学生結婚だもん」「いやもうそれ大問題じゃん」「だからお姉ちゃんが召喚されたんだよね〜?」「待ち受け弟カップルにするぐらいブラコンだもんね〜」「ちなみに、弟君ちょっと松田君に似てるよ」「まじかよ」「何それ見たい!」「俺も気になる」「いいよ〜」
 いそいそと差し出された待ち受け画面に目を向ける。
 確かに、彼女の弟はどこか松田に似ているところがあった。どちらかと言えば、松田が兄だと言われた方がしっくりくるかもしれない。「本当だ、松田に似てる」と各々が感想を口にする中、松田だけが渋い顔になる。
「てか小菊ちゃん、弟君のこと好きすぎない?」
 萩原の言葉に、ひなたは満面の笑みになる。
「やんちゃするから可愛いんよ、男の子は」
 ――なるほど、これは落ちてもしょうがない。
 降谷と、そして萩原の視線が同時に動く。
 当の本人は自分に注目されている視線など気づいてる様子もなく、テーブルに肘をついたまま、真向いに座る彼女をぼんやりと見つめていた。平然を装った彼の眼差しは眩しいものを見るように細められ、口元がゆっくりと弧を描いている。

 それは間違いなく、恋をしている男の顔だった。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -