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05

 ぽつん、と一人だけ知らない場所に立っていた。
 わかることがあるとすれば、自分が今いる場所が噴水の傍であること。そして、周囲の景色が遊園地のようにエリアで分かれていることだ。大きな山岳、火に包まれた建物、倒壊したビル、土砂に埋もれた町など様々な光景が広がっていた。
 視線を上に向ければ、空はドーム状に貼られたガラスで覆われていた。どこかの建物の中にいるのだと理解できた。
 ──ここはどこなのだろう。
 ──自分の他には誰もいないのだろうか。
 きょろきょろと辺りを見渡してみる。そして、目に入った光景に、思わず目を見開いた。
 人影は、あった。いつの間にか自分の周りに、それらは地面に伏していた。
 ただ、姿形ははっきりと見えない。靄がかかったように『人が転がっている』ということだけが認識できた。
 何が起こっていて、どういう状況なのか。それを知るには自分が動くしかないのだが、残念ながら夢の中では思うように動けないのである。傍に倒れている彼らが誰であるか、死んでいるのかどうかも確認することはできない。

「──」

 ふと、声が聞こえた気がして背後を振り返る。
 一瞬、目に映ったそれが何か、理解ができなかった。

 自分よりも数倍大きな体。
 瞬き一つしないぎょろりと見開かれた大きな目。
 鳥の嘴のような口。
 骨をも噛み砕いてしまいそうな丈夫そうな歯。
 脳が見えたままの頭部。

 明らかに、それは『人ではなかった』。

 ──本能が、危険を告げる。
 けれど、足は動かない。

 ──本能が、身を守れと告げる。
 でも、その不気味な目は自分ではない誰かを捉える。


 その視線の、先にいたのは──。


「おい、佐鳥」
 やけに近い距離で声が聞こえ、びくりと体が跳ねた。
 暗転した世界が眩い光と共に景色を変え、赤と白がくっきり分かれた髪と火傷痕の残る顔が視界に入る。灰色がかった黒と宝石のようなエメラルドの瞳が真っ直ぐに自分を見つめていることに気づいて、ぱちぱちと瞬きをした。
「……とどろき、さん……?」
 佐鳥が名を呼ぶと、轟は無表情のまま窓の外を指し示した。
 いつの間にかバスは停まっており、生徒達が座席から立ち上がって移動を開始している。
「寝惚けてるとこ悪いが、着いたぞ。早く降りろ」
「! すみません」
 その言葉に、自分がバスの中で眠ってしまったのだと理解した。通路側に座っていた自分がなかなか目を覚まさなかったせいで、轟も降りられなかったのだろう。
 ぞろぞろと順番にバスを降りていく生徒達を追いかけるように、佐鳥は慌てて腰を上げる。
 その後に続きながら、轟は僅かに眉を潜めた。
「佐鳥……今日のお前、なんか変じゃないか?」
「え……」
「気のせいだったら、わりぃ。でも、朝からぼーっとしてただろ? さっきもすげー魘されてた」
「それは……」
「もし体調が良くないなら保健室に行った方がいいんじゃないか?」
「いえ、体調は問題ありません」
 すかさず佐鳥はかぶりを振った。言葉通り、顔色も悪くはない。ただ考え事をしていたせいで夢見が悪かった──それだけのことだ。
 事情を知らない轟はやや疑わしそうに彼女を見つめていたが、本人がそう言うのであれば、と深くは追及しなかった。
「……そうか」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「別に、気を遣ったわけじゃ──……」
 そこで、何を思ったか轟は不自然に言葉を止めた。
 そして色違いの目を少しだけ細め、無表情のまま、やや不満そうな声を漏らす。
「……別に、優しくしてるつもりはねぇぞ」
「? 何も言ってませんが……」
「言いそうな顔をしてる」
「言いそうな顔……?」
「今、あの時と同じ笑い方した」
「はぁ……」
 顔に触れながら佐鳥は訳が分からず首を傾げる。轟の言う『あの時』がどの時を指しているのか全く理解ができないが、とにかく自分の表情に原因があるのは間違いないらしい。
 しかし理由を聞こうにも、先に目を逸らした轟は自分をは追い越して先にバスを降りて行ってしまった。
 ──とりあえず、今は気にしないでおこう。
 轟の後ろ姿を見つめたところで答えが分かるはずもない。それよりも、訓練に集中することが最優先だ。
 そう考えた彼女は気を取り直し、バスから降りると生徒達が集まる場所へと足を向けたのだった。


「すっげぇーっ! USJかよ!?」
 水難事故、土砂災害、火事。ありとあらゆる事故や災害を想定し『スペースヒーロー』こと『13号』によって作られた演習場──『嘘の災害や事故ルーム(略してUSJ)』にやって来たA組の生徒達は、中に入るなりその設備を目の当たりにして驚愕の声を上げた。
 佐鳥も同じく、声を失ったまま施設内を凝視していた。
 きょろきょろと視線の落ち着かない生徒達に、宇宙服のようなコスチュームを身に纏った13号が咳払いを一つ。
「えー……始まる前に、お小言を一つ、二つ──」
 これからどんな訓練が始まるのか。そう期待を込めた視線をプロヒーローに向けて耳を傾けた生徒達だが、三つ、四つ、五つと増えていく彼の前置きに少しずつテンションが下がっていた。だけど、誰も増えるだけのそれにツッコミを入れることはしない。
 そんな中で佐鳥は一人、青褪めた表情のままずっと演習場の中を見渡していた。
 見間違いではない。これは現実だ。
 今見ている風景は、バスの中で眠っていた時に見た夢の中の景色と同じだった。

 ──どくり。
 心臓が跳ね、嫌な予感が大きくなる。

 唇を引き結び、警戒心を露わにした表情は硬くなり、手は無意識にポーチへと伸びていた。
 そして、離れた場所で生徒達を見守る相澤に目を向ける。
 視線が交わった彼は、佐鳥の異変に気づいたらしい。けれど怪訝そうに眉を潜めるだけで、13号の話の邪魔をするようなことはしなかった。
 仕方なく、佐鳥は静かに視線を13号の方へと戻した。
「皆さんご存知だとは思いますが、僕の個性は『ブラックホール』──どんなものでも吸い込んでチリにしてしまいます」
「その個性でどんな災害からも人を救い上げるんですよね」
「ええ……しかし、簡単に人を殺せる力です。みんなの中にもそういう個性がいるでしょう」
 ぴくり、と小さく反応した佐鳥には気づいた者はいない。
 緑谷の言葉に神妙に頷きながら、13号は話を続けた。
「『超人社会』は個性の使用を資格制にし、厳しく規制することで一見成り立っているようには見えます。しかし、一歩間違えれば容易に人を殺せる『いきすぎた個性』を個々が持っていることを忘れないでください」
 佐鳥は参加していないが、A組の生徒達は初日で相澤の『体力テスト』や前回のヒーロー基礎学で『対人戦闘』を行い、自身の力の可能性や、それを人に向ける危険性を知る機会があった。
 それらを思い出して真面目に耳を澄ませている生徒達を見渡し、13号は明るい声音で前置きを締め括った。
「この授業では心機一転! 人命のために個性をどう活用するかを学んでいきましょう。君達の力は人を傷つけるためにあるのではない。救けるためにあるのだと、心得て帰ってくださいな」
 そう言って「ご清聴ありがとうございました」とペコリとお辞儀をした13号に、A組生徒一同は盛大な拍手を送り「素敵!」「カッコイイ!」「ブラボー!」と称賛の声を上げた。
 ──傷つけるためじゃなく、救けるために。
 その言葉が何度も胸に刻まれていくのを感じながら、佐鳥もまた13号を食い入るように見つめて控えめに手を打った。
 彼が説いたそれは、佐鳥が幼い頃から何度も人に言い聞かされたものだ。そして、今でも自らに言い聞かせている言葉でもある。
 あまり意識をしていなかったが、今この瞬間、彼女は自分が雄英高校のヒーロー科にいるのだと実感した。
 これから自分達は、この最高峰の教育機関で立派な思想を持つヒーロー達から人を救ける術を教えてもらい、その教訓を身につけていくのだ。
 ──それがどれだけ有益で、幸運なことか。
 恵まれた環境にいられることに、佐鳥はひっそりと感謝の念を抱いた。

 その、警戒心が僅かに薄れた時だった。

 今、ここには自分達以外は誰もいないはず。
 なのに演習場内のどこかで空気が揺れ動くのを、確かに感じた。

 勢いよく振り返り、演習場内に目を向ける。13号を囲んでわいわいと騒ぐクラスメイト達を余所に、佐鳥は警戒心を露わにしながら辺りを見渡した。
「どうした、佐鳥?」
 またもや一人異変を感じて誰もいないはずの空間を睨みつける彼女に、相澤がようやく声をかけた。
 その声を耳にした轟もまた、佐鳥を振り返る。
 佐鳥はポーチの中へと手を忍ばせて、右へ左へとあちこち視線を向けながら答えた。
「何か来ます! それも……一人じゃありません!」
「なんだと?」
 いつもの冷静さを装いつつも威嚇して唸るような彼女の声に相澤が眉を潜めるのと、演習場内を照らしていた照明が点滅し、階段下のセントラル広場にある噴水から湧き出る水が不自然に揺れたのは同時だった。
 他の生徒達や13号も異変に気づき、なんだなんだ、と視線を動かす。
 そして、ほどなくして噴水付近で黒い靄が発生した。小さな穴の中から誰かの手が見え、佐鳥の言う『何か』の正体を察した相澤が「全員、一かたまりになって動くな!!」と声を張って指示を出す。
 その直後、黒い靄が瞬く間に大きく広がり、闇の中からぞろぞろと人が飛び出してきた。
「何だアリャ!? また入試ん時みたいなもう始まってるパターン?」
 切島の言葉に、緑谷が遅れをとるまいと一歩を踏み出そうとする。
 しかし、それを前に立っていた佐鳥が素早く腕を伸ばして制止した。
「ダメです、緑谷さん!」
「動くな! あれは──敵(ヴィラン)だ!!」
 相澤の言葉に、生徒達が硬直した。
「敵!? バカだろ!?」
「ヒーローの学校に入り込んでくるなんてアホすぎるぞ!」
 果たしてそうだろうか。佐鳥は驚くクラスメイト達の声を聞きながら、敵の目論見を考える。
 ここにはプロのヒーローが集まっているのだ。奴らだってそんなことは百も承知の上であり、だからこそ中途半端な計画で学校に乗り込むことは考えないはず。でも、こうして乗り込んできたということは、目的を遂行できるだけの算段が向こうにあるということだ。
 先日のマスコミの件から、全て仕組まれているのは明白である。
 嫌な予感が的中した、と佐鳥は奥歯を噛んだ。
「先生、侵入者用センサーは!?」
「もちろん、ありますが……!」
「現れたのはここだけか、学校全体か……何にせよ、センサーが反応しねぇなら向こうに『そういうことができる』ヤツがいるってことだな」
 一切警戒の構えを解かない佐鳥に並んで、冷静に分析した轟が敵を見下ろしながら八百万の言葉に続いた。
「校舎と離れた隔離空間。そこにクラスが入る時間割……バカだが、アホじゃねぇ。これは何らかの目的があって用意周到に画策された奇襲だ」
 そこで、轟は佐鳥の顔を横目に見る。
 敵から少しも目を逸らさない彼女はひどく血色の悪い顔をしていた。いつも冷静で静かに感情を見せる美しい瞳は、今は何かを躊躇い、怯えているようにも見えた。
「あれは危険です……! 先生、今すぐ避難しましょう。ここで奴らと戦ってはダメです!」
「そうだな、佐鳥。お前とはあとで『みっちり』話をしなきゃならねぇみてぇだ。だから……今は13号の指示に従ってさっさと避難しろ」
「先生は!? 一人で戦うんですか!?」
 緑谷の焦る声に、相澤は無言で足を進めて行く。
「あの数じゃいくら個性を消すっていっても……イレイザーヘッドの戦闘スタイルは敵の個性を消してからの捕縛だ。正面戦闘は──」
「一芸だけじゃ、ヒーローは務まらん。……13号! 任せたぞ」
 それだけ言い残し、相澤はたくさんの敵の群れへと飛び込んでいく。
 緑谷の言う通り、『イレイザーヘッド』の個性は相手の個性を打ち消す『抹消』だ。戦闘においては不向きな個性である。
 しかし、彼の実力は決してそれだけではない。首に巻いていた布を巧みに使って相手を翻弄し、接近戦闘で難なく敵を倒していた。
「すごい……! 多対一こそ先生の得意分野だったんだ」
「分析している場合じゃない! 早く避難を!!」
「緑谷さん、急いで」
 相澤の戦闘を見つめていた緑谷を飯田が窘め、しんがりで敵を警戒している佐鳥もそれに続いて彼の腕を引っ張る。
 しかし、13号の指示のもと生徒達が踵を返して演習場から避難を開始した時、彼らの前に大きな黒い靄が立ち塞がった。

「させませんよ」

 ──退路を断たれる。
 状況を理解した佐鳥がすかさず靄に向かって手の平を向け、横一文字に空を切った。
 刹那、大きな風の刃が生徒達の頭上を通り過ぎ、真っ直ぐに敵を襲う。
 だが、それは敵の個性と相性が悪かったらしい。刃は靄を切り裂いただけで、敵は人型を形成しながらいとも簡単に風を受け流してしまった。
「退路を奪取すべく先手を打つとは、流石は雄英生と言うべきか。いやはや、素晴らしい判断力です。……ただし……『躊躇い』がなければ、ですが」
 靄の言葉に、佐鳥は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「初めまして、我々は『敵連合』。僭越ながら、この度ヒーローの巣窟雄英高校に入らせて頂いたのは──平和の象徴『オールマイト』に息絶えて頂きたいと思ってのことでして」
 13号を含め、その場にいる全員が空気を凍らせた。
 平和の象徴『オールマイト』。それは存在そのものが『犯罪抑止力』となるほどの実力を持つナンバーワンヒーローの男だ。今年から雄英高校の教師を務めることになっており、今日も相澤、13号と共に『人命救助訓練』を行う予定だった。
「本来ならばここにオールマイトがいらっしゃるハズ……ですが、何か変更があったのでしょうか? まあ、それとは関係なく──」
 言葉と同時に靄が広がり、敵の攻撃を察知した13号が臨戦態勢に入る。
 しかし、それより早く切島が敵へと飛び込んだ。続けて爆豪が突っ込み、個性の『爆破』でボンッと相手を吹き飛ばす。
「その前に俺達にやられることは考えてなかったか!?」
 だが、相手は『空間移動』の能力を持つ相手だ。佐鳥の攻撃と同じく攻撃をどこかに転移させたのか、それとも効いていないのか。彼は「危ない危ない」と言いながら平然とそこに立っていた。
「ダメだ、どきなさい二人とも!」
 生徒が前に出ては、自らの個性も発動できない。そう考えた13号が忠告するも、時はすでに遅し。

 ──散らして。
 ──なぶり。
 ──殺す。

 敵の声と共に個性の靄が大きく広がり、A組生徒達の周りを包囲しようとする。
 すかさず近づいてきたそれを避けるべく佐鳥と轟は同時に背後へと飛び下がるが、それでも間に合わなかった。
「っ……佐鳥!」
「!」
 咄嗟に轟が佐鳥に手を伸ばした。
 それに佐鳥は驚いたように目を丸くしたが、呼ばれるままに彼に手を伸ばそうとする。
 だが、お互いの手が触れ合うよりも早く轟は靄に呑み込まれ、佐鳥もまた一人だけ闇の中へと押し込まれてしまった。
 そして次に視界が開けた時、佐鳥はセントラル広場の噴水付近に立っていた。

 ──たくさんの敵に囲まれたままの、相澤と共に。


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